一 : 黎明 - (9) 吉利支丹、フロイス、そして

 翌日。奇妙丸は堺の街へ散策に出掛けた。宗久は多忙の身の為、代わりに手代てだい末吉すえきちという者を付けてくれた。末吉は四つ上の十七歳と歳が近いことから、すぐに打ち解けて気さくに話す仲となった。後ろを歩く新左は言葉遣いや態度が気になるみたいだが、奇妙丸はお構いなしだ。

 末吉に連れられて、奇妙丸一行は港にやってきた。港には奇妙丸が知っている弁財船を遥かに超える大きさの船が幾つも停泊していた。

「これはガレオン船と申しまして、南蛮の者達はこの船に乗って何カ月もの航海を経て我が国にやって来るのです」

 末吉の説明に、奇妙丸は感心したように頷く。見れば、船の側面には大砲の発射口と思われる四角い穴が複数確認出来る。

「あちらに停まっているのは明からの船、その隣に停まっているのは琉球からの船になります」

 船の上には乗組員と思しき人が作業をしたり談笑をしたりしている。様々な国の人が行き交い、色々な国の言語が飛び交うことから、奇妙丸はまるで異国に来たような感覚になった。

 こういう体験は、岐阜や清州に居ては絶対に味わえなかった。外の世界に触れる事の大切さ、そして送り出してくれた父に感謝だ。潮の香りは同じ筈なのに、聞こえてくる言葉が馴染みのない異国のものが混じっているだけで感じ方すら違ってくる。

 暫し異国の情緒に触れた後、奇妙丸一行は港から街の方へと移動してきた。すると、街の一角に何やら人だかりが出来ているのが奇妙丸の目に留まった。人々の半分程が十字架クルスの首飾りを下げ、中にはそれを後生大事に両手で握り締めている者も居た。

「末吉、あの集まりは何だ?」

 奇妙丸が気になって訊ねると、末吉は事も無げに答えた。

「あぁ、あれは吉利支丹キリシタンの集まりですよ」

「きりしたん?」

 聞き馴染みのない単語に首をかしげる奇妙丸。その様子を見た末吉はさらに説明を続ける。

耶蘇やそ教(キリスト教)……簡単に言えば、南蛮における仏教みたいなものです。伴天連バテレンと呼ばれるお坊様が辻に立って、説法を説いて自らの教えを人々に広めようとしているのです」

「へぇ……」

 末吉の説明に、奇妙丸は興味深そうに頷いた。それも無理はなく、当時キリスト教はまだ広く認知されていなかった。

 天文十八年八月、スペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルが日本でキリスト教の布教を行うべく、薩摩国坊津ぼうのつに上陸。当初は島津貴久から許可を得て領内で布教活動を行っていたが、地元の仏教勢力の反発に遭い、この国の都である京を目指すことにした。途中、肥前国平戸での布教活動を経て、天文二十年(一五五一年)一月に京へ到着した。ザビエルの目的は帝や将軍・足利義輝から日本国内における布教の許可を得る事だったが、拝謁は叶わなかった。失意のまま京を去ったザビエルは、その後平戸・山口・豊後と各地を転々としながらも着実に信者を増やしていき、同年十一月に日本を去った。

 ザビエルが去った後も日本にはキリスト教の教えを広めようと志す宣教師が活動していたが、その活動範囲は京から西の国々に限られ、東国にはまだその教えは届いていなかった。その一方、キリスト教の布教が行われた西国では徐々に熱心な信者の数が増やしていき、庶民だけでなく武家の中でも改宗する者が現れ始めていた。堺もザビエルが一時滞在していた事があり、薬商で豪商の小西隆佐りゅうさが吉利支丹になるなど、階級を問わず浸透しつつあった。布教が許された地域では精力的に活動を行っていた事から、こうした光景も堺では珍しいものではなくなりつつあった。

「末吉は詳しいのだな」

「よく取引をされている方が吉利支丹でして、熱心に色々と教えて下さるのです。『改宗しないか?』と薦められましたが、他の方の付き合いもありますので受けるつもりはありませんが……」

 畿内には大きな力を有する寺社勢力が幾つもあり、そうした寺社勢力と繋がりのある商家も少なくない。新興勢力であるキリスト教に対する反発は依然として残っており、吉利支丹となれば迫害されたり不利益をこうむる恐れがあるので、興味はあっても二の足を踏む者も多い。

 奇妙丸も、遥か遠くの南蛮からやって来たキリスト教に興味があった。東国ではまだ珍しいこともあるが、仏教勢力の排斥はいせきがあるにも拘わらず説法をすればこれだけの人数が集まる理由を知りたい気持ちが強かった。

 末吉と奇妙丸一行は、話を聞こうと輪の外からうかがう。すると、遠巻きに見ていた末吉がそっと声を掛けてきた。

「奇妙丸様、これは良い時かも知れません。今説法を行っているのは“フロイス”という御人で、南蛮人ではありますが我が国の言葉を話せる方です」

「そうなのか?」

「はい。南蛮からやって来た伴天連の多くは通訳を介して教えを伝えるのですが、フロイス様は直接やりとりが出来る数少ない方なのです」

 そうこうしている間に、説法が終わったみたいで人々がその場から離れていく。輪の中心には、黒い洋服を着た背の高い南蛮人が立っており、話を聞きに来た人達と親しげに話をしていた。

(あれが、南蛮人……)

 初めて目にする南蛮人、宣教師に、奇妙丸は興味津々に遠目から眺める。

 やがて列を成していた人の数が減っていき、最後には奇妙丸一行だけが残された。それを見計らって末吉がフロイスに近付いて事情を説明すると、フロイスが快く応じてくれたみたいで末吉は笑顔で手招きしてくれた。

「お初にお目に掛かります。岐阜城主・織田“上総介”信長の嫡子、奇妙丸にございます」

 奇妙丸が挨拶をすると、フロイスは鷹揚おうような態度で頭を下げた。フロイスの傍らには目付きの鋭い武骨な男が立っている。刀を差している事から用心棒か。無精髭に総髪と、いかつい印象を奇妙丸は抱いた。

「初めまして。私はルイス・フロイスと申します。デウスの教えをこの国の人々に広める活動をしている者です」

 フロイスは末吉が言っていた通り、人を介さず自分の口で答えた。ややたどたどしさはあるが、十分に聞き取れる範囲だ。どうやら日本の言語や文化も理解しているみたいだ。

 ルイス・フロイス。天文元年(一五二三年)生まれの三十七歳。十六歳でイエズス会に入会、アジアの重要拠点であるインドのゴアに赴くと日本へ向かう直前のザビエルと出会い、日本という国に関心を示すこととなる。

 永禄六年、フロイス三十一歳の時に肥前国横瀬浦に上陸し、念願だった日本の地を踏んだ。当初は大村純忠すみただが治める大村領で布教を行っていたが、戦乱から逃れる為に平戸の近くの度島たくしまへ避難。そこで十か月の間、病魔と闘いながら日本の言語や文化について学んだ。翌永禄七年に平戸から都である京へ向かい、十二月二十九日に京へ到着した。

 京に着いたフロイスは先述したガスパル・ヴィエラや目が不自由で元琵琶法師という異色の経歴を持つ日本人修道士ロレンソ了斎と共に布教活動を行っていたが、ヴィエラに京での布教を許可した将軍足利義輝が永禄八年五月十九日に永禄の変で殺害されると、寺社勢力と結び付きの強い三好三人衆が京を支配するようになり、迫害を恐れて堺へ避難した。永禄九年にヴィエラとロレンソ了斎が九州に戻った後は、フロイスが京都地区の布教責任者となり、畿内各地でキリスト教の布教に尽力してきた。

 すると、フロイスがおもむろに右手を奇妙丸の方に差し出してきた。何がしたいか分からず固まっている奇妙丸に、フロイスの傍らに控えていた男が声を掛けてきた。

「南蛮では、友好の証として互いの手と手を握り合う作法があります」

 そうなのか……と奇妙丸が恐る恐る自らの右手を差し出すと、フロイスの右手でギュッと握られる。フロイスの手は大きくてゴツゴツしているなぁ、と奇妙丸は率直に感じた。

 フロイスは奇妙丸の手を放すと、ゆったりとした口調で話し始めた。

「先日、貴方の父君である信長様とお会いしました。畿内での布教を認めて下さり、とても感謝しています。父君に会われたら、『フロイスがそう申していた』とお伝え下さい」

 この年、フロイスは足利義昭の新座所として築いている二条城の建築現場において、工事の監督をしていた信長と対面。その場で布教を許された事で、足利義輝以来となる庇護ひご者を得たのである。

 一方、奇妙丸の方も父がフロイスと会って早々に布教を認めた事について、何の驚きも抱かなかった。父・信長は好奇心旺盛で新しい物好きだし、欲や権力ばかり追い求めている旧来の寺社勢力を好ましく思っていないのもあるだろう。あの父ならやりかねない、というのが正直な感想だった。

「耶蘇教とは、どういう教えなのだ?」

 奇妙丸が訊ねると、フロイスはニコリと微笑んでから説明を始めた。

「キリスト教とは、デウス……神を信仰する教えです。神は唯一無二の存在で、草木や大地・人など万物を創造された御方です。その神の意志を伝えたのがイエス様で、イエス様の教えが教義となっています」

「ふむ。仏教におけるお釈迦様みたいなものか」

「いいえ。イエス様とお釈迦様は似ているとこの国の人達はよく言いますが、全く違います。お釈迦様は人間ですが、イエス様は神の子なのです」

「なんと!?」

 フロイスの言葉に、奇妙丸は驚愕した。お釈迦様は苦しい修行の末に悟りを開かれたとされるが、イエス様は人の子ではないというのか。

「イエス様は悩める人々にデウスの教えを説いていましたが、やがて十字架にかけられ、亡くなりました」

「磔にされるとは……イエスは何か罪を犯したのか? それとも、罠に嵌められたのか?」

「いえ。イエス様は人々の罪を一身に背負い、皆の身代わりとなったのです」

「そんな……」

 奇妙丸は言葉を失った。罪を犯した訳でも着せられた訳でもなく、人々の罪を自らが被る為に死ぬなんて。

「しかし、亡くなられて三日目にイエス様はよみがえり、弟子達の前に姿を現しました。その後もデウスの教えを人々に広められてから、再び天に召されたのです」

 その話を、奇妙丸は俄かに信じられなかった。死んだ人が生き返るなんて話、聞いた事がない。だが、それが本当ならば、イエスという人物が崇められているのも納得だ。

「……フロイス殿が申す通りならば、蘇ったイエスという人を多くの人が目にしたということだな」

「はい。その様子がこの聖書の中に記されています」

 そう言ってフロイスは、一冊の分厚い本を出した。フロイス曰く、この聖書と呼ばれる本の中にはデウスの事やイエス様の生誕から天に召されるまで、信者が守るべき事などが掛かれているらしい。

 さらに、フロイスは続ける。

「我々が守るべき事は三つ。一つ、愛を持って生活する事。近くに空腹で飢える者が居れば食事を分けたり、疲れて歩けない人に肩を貸してあげるなど、周囲の人に思いやりの気持ちを持って接するよう説いています。二つ、日曜日……神聖な日には皆で集まりデウスに祈りを捧げる事。三つ、十戒じっかいを守る事。十戒とは、十個の行ってはならない約束のことを言います」

「ほう。色々とあるのだな」

「ですが、皆様が信仰されている仏教でも似たような事はありましょう」

「確かに。フロイス殿の申す通りだ」

 仏教でも礼拝らいはいで皆が寺に集まる事もあるし、仏教徒として犯してはならない罪が経典きょうてんに書かれていたりする。そう考えると、仏教も耶蘇教もそんなに違いがないように奇妙丸は感じた。

「そして――デウスの前に、身分の違いはありません。大名も庶民も等しく、上下の位はありません」

「何だと!?」

 今日一番の驚きを見せる奇妙丸。階級がある事を当たり前と思っていただけに、フロイスの言葉に衝撃を受けた。身の回りの雑事は全て下働きの者に任せきりで、はっきりと線が引かれている事は大人でない奇妙丸でも知っていたが、耶蘇教はその区切りすら取っ払うというのか。

 しかし、一方でよくよく考えてみれば“武家だから偉い”というのは大きな誤りであるとも奇妙丸は思い始めていた。以前、沢彦和尚も仰っていた。『武家は、帝や朝廷・公家の役割を代行している』と。その地位に長らく胡坐をかいている内、いつの間にか“自分達は偉い”と勘違いするようになってしまった。赤子自身に身分の上下は存在せず、生まれた親の身分を踏襲しているに過ぎないのだ。

 奇妙丸が衝撃を受け言葉を失っているところに、フロイスの傍らに控えていた男が「司祭様、そろそろ……」と声を掛けてきた。その声掛けで長話をしていたと気付かされたフロイスは穏やかな表情で言った。

「もし、デウスの教えに興味がありましたら、教会にお越し下さいませ。私共はいつでも大歓迎です」

 フロイスは奇妙丸一行に頭を下げると、体を反転させて歩き出していった。奇妙丸も頭を下げるが、その時に先程の男が体を寄せてきてソッと耳打ちした。

「……あまり鵜呑みにされませんように」

 男の囁きに奇妙丸は目を点にする。直後、フロイスから「デンベエ、行きますよ」と呼ぶ声がして、男は小走りで駆けて行った。

「若、いかがされましたか?」

 急に固まった奇妙丸に、声を掛ける新左。奇妙丸が去り際に囁かれた内容を伝えると、新左も怪訝けげんな表情を浮かべた。

「……あの者がどういう意図があって若に漏らしたのか分かりませんが、何か裏があるみたいですな」

「そうだな……」

 奇妙丸が抱いた印象としては、フロイスが嘘をついているように感じなかった。フロイスの耳当たりの良い言葉に惹かれる部分もあったが、内情は違うのだろうか。

 渋い表情のままの奇妙丸に、新左がコホンと咳払いをしてから言った。

「……若。そこまで気になるのでしたら、フロイスという御仁ごじんが仰っていた教会に行かれてはいかがですか?」

「されど、私は織田家の嫡男ぞ。興味本位で異国の宗教について知りたいなどという寄り道をしている暇など――」

「よろしいではありませんか」

 奇妙丸の言葉を遮るように、新左は言い放った。

「寄り道、大いに結構。むしろ、最短の道を突き進むよりも回り道をしながらの方が後々の為になる事だってあるのです。若の父君、御屋形様など他人から見れば突拍子のない事だったり奇抜な事をされたりと、遠回りばかりされておられました。これも見聞を広める為と考え、若のやりたいようになさいませ」

 確かに、父・信長は奇抜な恰好で腰から幾つも袋をぶら下げ、柿や瓜を食べながら歩くなど、武家の跡取りとしては有り得ない振る舞いをしていた。その一方で、自らの体験に基づいて槍の長さを伸ばしたり常時動員可能な兵を抱えた結果、尾張半国を治める身から将軍候補を擁して上洛を果たすまでに成長させた。一見無駄と思う行動が後々役に立つ事を証明してみせた。

 てっきり反対されるとばかり思っていた新左から逆に背中を押され、奇妙丸も気持ちが変わった。

「……そうか。ありがとう」

「但し、織田家の体面を汚すような振る舞いについては断固お止めしますので、平にご容赦を」

「ほう……父の時は止めなかったのに私の時は止めると申すか」

 珍しく奇妙丸が反撃すると、痛い所を衝かれた新左は「いや、それは、その……」と激しく狼狽した。その様子を見た奇妙丸は「ふふふ」と笑みを漏らす。

「今のは冗談だ。許せ」

「はぁ……若も人が悪い」

 本気で言ってない事が分かり、心底からホッとする新左。あの父の事だから周囲の諫言かんげんなど聞く耳を持たなかったに違いない。しかし、自分の評判が悪くなるのを承知の上で他人から“うつけ”と呼ばれる常識から外れた行動をしていたとしたら、父はどれだけ心が強いのか。自分の立場に置き換えたとしても、周囲の眼や評判を気にしてすぐに止めていただろう。そもそも、そうした常識の枠から外れた行動をしてみようという思考にすらならなかったのではないか。

 もしかして――父は凄い人なのではないか? 奇妙丸の中に、微かながら見直す気持ちが芽生えた瞬間だった。

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