第51話 遊び人と娼婦
ハン・リャタ以外にも『狩猟の女神』の前に足を止める客が居た。男女のカップルだ。
しげしげと絵を観察し、互いに見合って談笑する姿は、あまりいい予感がしない。
カップルの男の方は、俺が招待状を渡した者だから。
「やあ、ミラ」
目聡く気づいたゼラ・パムがやってきた。エディリアナを伴って。
彼女の格好は、男装でも茶会のときの煌びやかなドレスではなく、洗練された流行りのデザインのもの。ゼラ・パム好みのドレスだとすぐにわかる。
「君はやはり、女神だった」
「たまたま似ていただけです」
「似ていることは否定しないんだ」
「前にも一度、指摘されたので」
「ふうん?」
「お隣の彼女が退屈されていますよ」
エディリアナに顔を向ければ、ニコリと微笑みを向けて会釈してきた。
「おっと、すまない」
「お二人とも、仲がよろしいことね。こんにちは、ミラさん。ゼラさんに誘われて参りました」
「君からパーティーの招待状を受け取って、ようやく決心がついてね。デル・ダナ氏と話をつけてきたんだ。彼女が僕の元に来てくれたのは、君のおかげだ」
「堅実で大胆な冒険をなさるゼラさんなら、決着をつけてくるだろうと信じていました」
「君って人は! チョコレートの投資の件といい、彼女との縁をを取り持ってくれた件といい、つくづく僕に幸運をもたらしてくれる」
「俺は何もしていません。全て貴方の行いの結果です」
ゼラ・パムはいちいち大袈裟に感謝を表現する。演技掛かって見えるが、演技ではなく素で。心からのそれが見えるから、人に好かれる。
高級娼婦を手元に置いて、この先を考えると幸運かどうかはわからない。それでも、想い人が寄り添ってくれるのは幸せなことだ。
「君の髪を結んでいるリボン、彼のタイと同じ色だね」
彼といって目配せしたのは、主催のマド・キリュと絵の話に夢中になっているラフィだ。絵の話で盛り上がっている。
上流階級にある人間が立場を越えて、話が出来るのは珍しい。短い間でもラフィにとって、貴重な友人となればいい。少しは心に余裕が出来るのではないか。
「よく気づきましたね。今日の衣装も主人が選んだものです」
「では、お揃いかな。衣装も君によく似合っている」
「ありがとうございます」
高価なものではないし、ゼラ・パムが着ている衣装に及ばない。しかし彼に褒められると皮肉に聞こえず、素直に喜べた。
「お揃いなのもそうだけど、リボンの真ん中にエナメルの可愛らしいハエが留まっているわ」
エディリアナがちょこんと首を傾げ、悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
本日は、襟足の上で一つにまとめた、シンプルな髪型だ。髪を結い、俺の髪に触ったのは一人だけ。ラフィの仕業だ。
俺に黙って付けたな。
「随分、情熱的ね」
「嫉妬深い方ですので」
「あらあら」
クスクス笑う彼女は、最初に合ったときの対抗意識を向けてくる棘のある印象と違い、年齢よりも可愛らしく感じた。
「ハエのアクセサリーを想い人に贈る意味はなんだったかな、エディリアナ」
「なんだったかしら。ミラさんはご存知?」
ニヤニヤしながら二人して俺に答えさせようとする。
ハエのアクセサリーを想い人へ贈る意味――『鬱陶しがられ追い払われようとも、私はあなたのことを想っています』――
虫で虫除けをする、生き物が好きなラフィらしい。
「さぁ。検討も付きません。それよりも、あの件は」
「誤魔化された。そのことについては、一通り挨拶をしてくるからその後に落ち着いて話をさせてくれないか」
「お待ちしております」
他の招待客に声を掛ける為に二人が離れて行った。
一枚の絵画の前に張り付き、マド・リキュと居るラフィは、話に熱中していた。漏れ聞こえてくる内容からに、絵に対する価値観が一致したようだ。俺では絵のことはわからないし、趣味の話をする相手が出来たのはラフィにとっても良い。山の町にも、絵が得意なリグが居るが、観賞の方となると噛み合わない所がある。造り手と鑑賞者の違いもあるが、田舎から出た形跡の無い青年と、物心つく前から数多くの作品に触れてきたラフィとは、絵の捉え方が違って当然か。その点、マド・キリュは絵画に造詣が深そうだ。そこに惹かれたのだろう。
絵画鑑賞パーティーを遠巻きに眺め、持て余している大金の処理の仕方をぼんやり考える。
流石に安宿に置いておけず、ひとまず貸金庫に預けてある。
何回かに分けて、この町から運び出す方法はどうか。新聞で噂が広まっている、そっちをどうにかしないと持っていると思われて賊がやってくる。
物に変えるにしろ、金貨をそのまま持ち帰るにせよ、安全に山の町へ帰るには金額を伏せて一部を寄付し、寄付した旨を新聞や噂で流布して貰い、手元には無いと知らしめる必要がある。
商品の売り込みでもしているのか、ヤガと話し込んでいるゼラ・パムから離れたエディリアナが、こちらに戻って来た。
「お友達をとってしまって悪いわね」
娼婦の真似事をするつもりもなければ、エディリアナと張り合う気も最初からない。
「なにか勘違いされているようですが。彼が貴女を選んだのですから、邪魔をするつもりはありません。エディリアナさんにとって、ゼラさんは良い方だと思います」
「彼、お金持ちだもの」
「デル・ダナさんはいいのですか」
何故か、疑わしげな目を向けられた。
「貴方も罪な人よね」
「罪を犯した覚えはありません」
「貴方の知らない所で、貴方の美貌に何人が狂わされたのかしら。デルさんったら、あのお茶会で貴方から頂いた本の表紙を撫でながら溜息ばかりついているのよ。失恋した乙女みたいに」
責められても、それは俺の責任ではない。
「いずれ忘れるでしょう」
「どうかしら。貴方のような見目麗しい方はそういらっしゃらないもの」
「早めに町を出た方がよさそうだ」
「あら、私が追い出したみたいじゃない。しばらくは心配要らないわ。デルさんは王都の家族の所へ帰したもの。あのお歳で摂るものも摂らないのはお体に良くないわ。あの人は野心家ですから、お屋敷に帰ればお家の出世に熱心になって恋の痛みも、きっとそれどころでは無くなるのでしょうね。
貴方は安心して、いつまでもこの町に住んで下さっても構わないのよ。私、貴方とは仲良く出来そうだもの」
うふふ、と不適切に笑う。デル・ダナとの茶会のときに嫉妬心を見せていた彼女とは違い、落ち着いた女性の雰囲気を纏っていた。
「ダナさんの前で嫉妬して見せたのは演技でしたか」
「嫉妬もしてくれない相手なんて、可愛げがないでしょう?」
なるほど。相手の好みに合わせ、自分を演出する。海を渡った外国で、一人で生きるエディリアナは強かな女だ。並の男では毛まで毟り取られるだろう。
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