第50話 上流階級の殴り合い
オークションで絵が高額で売れた直後から、寄付をと打診してくる連中が安宿に訪れるようになった。きちんとした身なりの者も、汚れて擦り切れたぼろを纏った者まで、上から下、よくもまあこんなに幅広い生活水準の人間たちがやって来るものだ。
この町に詳しくない俺たちでは、詐欺師なのか本当に寄付を必要としている慈善団体なのか見分けがつかない。それに、宿に泊まる他の客に迷惑を掛けかねないので、常駐している警備に言って追い返して貰った。治安維持が機能している都会でよかった。
金の処遇について話をしたいが、ラフィは次々やって来る客から逃げるようにヤガと一緒にギャラリーに出掛けて留守にしている。
俺の金でもないのに、寄付をとせがまれてもどうにもできない。それでも、ラフィが選べる選択の足しに、この町で顔の利く男を訪ね、パブへ向かった。
「ミラ! アンタが辞めちまって大変だったんだぞ」
店に入った途端、嬉しそうな破顔のマスターに文句を言われた。
「すみません。突然のことで」
「オレはいいさ。けど、アンタ目当てに来ていた客が何人か、ショックで寝込んじまったらしい。もう少し顔を見られると思ってたのが、急にいなくなっちまって」
「いじらしい」
「昼から酒をかっ食らってるジジイ共に向かっていじらしいなんて言うのはアンタくらいさ。酒しか喉を通らねぇって話だ」
飲んでるじゃないか。食べ物も腹に入れず、酒だけを飲んでいる原因で寝込んでいるのでは。
「ま、そのうち元通りになるだろ」
豪快に笑うマスターに、白ビールと牡蠣を頼んだ。
目当ての人物、ゼラ・パムは、相変わらず午後のティータイムの時間にカウンター席で、俺たちのやり取りを微笑みながら見ていた。
「帰って来たのかい、僕の女神」
「貴方の女神はエディリアナさんでは」
「彼女は春の妖精さ。いつ僕の前から消えてしまうのか」
「季節的にはもう春です。まだ寒いですが。……うまく行っていないので?」
「彼女にはパトロンがいるからね」
「すみませんが、感傷的になるのは後にして貰えませんか。ゼラさんに訊ねたいことが」
「いいよ。なんだい?」
詳細を省き、俺たちのところへ訪ねてきた慈善団体が信用に足るのか、そもそも本当に存在するのか、情報を聞く。
「君が言った一三件中、七件は聞いたことが無いね」
情報通の彼が知らないのだ、やはり詐欺師が混ざっていたらしい。しかし多いな。
「事情はよくわらないけど、寄付団体を探しているのかい?」
「知り合いに尋ねられまして」
「キャラバン隊の用心棒をしていたんだっけ。商人かな。ウチの優秀な侍従に調べさせよう。情報収集ならお手の物さ」
「よろしいので」
「もう会えないものだと思っていた君が頼って来てくれたのだから、喜んで力になる。それに、ミラがこの町で作ったチョコレートを一番最初にご馳走してくれたお礼に」
「あのとき、代金はしっかり頂きました」
「しかし、ミラが作ってくれなかったら、一生あの味を知ることはなかった。感謝している。輸送船の面でもね」
「そっちが本題では」
甘いチョコレートの人気に火がつき、輸送船を増やす話になり、そこにゼラ・パムが投資した流れだ。やっぱり、チョコレートブームに乗っかっていた。
「船に投資とは、賭博と同じようにも思えます」
「確かに、リスクは高い。天候や潮の流れ、海賊、疫病、様々な要因で帰って来られない船もあるからね。それでも、船乗りたちは大海原の向こうに思いを馳せ、航海に出る。命を危険に晒し冒険する彼らの気概に、僕が叶えられない夢を託しているんだよ」
「冒険に憧れがあったのですか」
「あれ? 言わなかったっけ?」
「大海原に出てみたいと言っていました」
「パム家は代々、女性が家を継ぐ家系でね。妻が務めを果たしている間、家は僕が守らなくてはならないんだ」
ゼラ・パムは王宮務めの子爵という家柄、離婚でもしない限りはどう努力しても婿養子という事実は変わらない。手前勝手に国を離れられない事情は想像できる。
「この町に御屋敷があるのですか」
「うん。別荘がね」
家を離れているじゃないか。
「それはそれ。夢の話とも別にして。投資する際には、船の規模や資金、船長の人柄、航海士の実積、経験、航路から乗組員の割合、積む荷物、出航する季節まで、細かく調べて検討するけれど。大金を動かすのだから」
憧れがあるからこそ、興味を持って知識を身につけ、そこに投資しているのか。金銭面目的だけでの投資ではなく、投資をして船乗りと同じ船で世界を冒険しているのだ。
「それと、もう一つ。本日は、ゼラさんにこれをお渡しに参りました」
白い封筒を手渡した。
訝しんで封を切り、カードを取り出すゼラ・パム。
「招待状? 主催は……マド・キリュ氏か」
「この度、シビ・ジア作品を美術館で展示し、ささやかなパーティーを催します」
「あぁ、なるほど。話が見えてきた。さっきの寄付の話は、その絵の出品者からの依頼かな」
察しがいい。
シビ・ジアの作品が高額落札されたことは新聞に載っていたのだから、この男が知らない筈がない。誰が、まではわからないだろうが、情報収集に長けた優秀な侍従を召し抱えているらしい彼だ、知られるのも時間の問題。
知られるのは別にいいのだが、交流場であるパブの性質上、大金の話は避けたい。どこの誰が聞いているとも限らないのだ。
「エスコートなさるお相手を一人伴って、いらして下さい」
「君からの招待だ、是非ともお受けしよう」
「お待ちしております」
一礼し、パブを後にした。
パーティーは、ラフィと二人で行った美術館を貸し切り、開催される。話題沸騰中の高額落札作品のお披露目会のようなもの。招待客は話題の絵画を目当てにやってくる。
当日、マド・キリュの招待した上品な客たちで美術館は賑わう。ラフィと来たときの閑古鳥が鳴いていた場所が、嘘のように華やかになった。
シビ・ジアコレクターのマド・リキュ秘蔵の絵画も一緒に展示され、客たちの目を楽しませ、皆壁の絵を観賞していた。
一方、客たちは元々展示してあった絵画の前を、さほど興味なさそうに通り過ぎていく。今日の主役はマド・キリュの作品で、それを見に来ているのだから当然か。
俺といえば、例の女神の絵と見比べられないよう、ラフィに倣い帽子を目深に被ってなるべく風景に溶け込もうと、会場全体を観察しながら人を避けていた。ホストはマド・キリュで主役はシビ・シア絵画なのに、悪目立ちしたくない。
一人だけ、その『狩猟の女神』にチラチラと視線を向けている男が一人。俺と見比べているでものではなく、シビ・シア作品に群がる客たちと、女神の絵の前を素通りする客たちの動向を気にかけていた。
あれが絵の持ち主、ハン・リャタか。
ソワソワして落ち着かない様子で、眉間に皺を作り、誰が見ても不愉快そうな表情をしている。客に見て貰う為に貸し出した絵が、見事に無視されて、内心憤っていることだ。
嫌がらせをした相手が、華々しいコレクションを堂々と自慢し、招待客に褒めそやされ、見せつけている。平静を装ってはいるが、こめかみに浮いている青筋が、穏やかではない内心を物語っている。
顔に泥を塗ってやった状態。身体的な障害ではないが、ラフィの言い方に変えれば「殴ってやった」ということ。
傍から見れば、子供じみた見栄の張り合いだが、見栄で出来ている上流階級だ、下手に噛みついて返り討ちに遭い、痛い目を見た敗北者の姿だった。
招待客に囲まれているマド・リキュがハン・リャタと見合わせ、ニコリと笑いかけ、ハン・リャタのこめかみがヒクついた所を見てしまった。してやったぞと言いたげな勝ち誇った笑みを。
大人げない。
これは、まさに上流階級の殴り合いだった。
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