第49話 オークション

 オークション当日。

 ラフィの目立つ青い髪問題は、帽子を目深に被らせることで解決させた。

 衣装選びで散々振り回されたが、オークションそのものにはさほど関心を示さず、事前展示されている他の出品物の鑑賞を他人事のように楽しんでいた。

 他人事だったのは、ラフィの絵が落札されるまで。

「そんなにどうするんだ」

 落札された瞬間、ざわめく会場でラフィが眉間にシワを寄せ、不満げにつぶやいたほどの金額になった。

 金貨にして、一二八〇〇枚。

 出品料と落札金額の一割をオークション側に、絵の鑑定代や鑑定証を書いて貰った代金を差し引いても、一一〇〇〇枚以上は手元に入る。

 王都に屋敷が建てられる金額だ。

 建てたところで、管理費やら生活費が入っていないので、すぐ売る羽目になるが。

 田舎なら金貨三〇枚もあれば物件を借りて小さなカフェが開ける。それを鑑みると、田舎暮らしでは持て余す金額だった。

 けっして高くはない給料で働き、多いとはいえない財産の持ち主であるのに、ラフィが馬鹿みたいな大金に対して渋面をつくっているかというと、俺たちが旅人の感覚でいるせい。

 こんな大金、運ぶにしても盗賊に狙われる。無事に運べたとして、保管する場所が無い。それこそ、狙われ放題だ。

 金があり過ぎるというのも困る。

 ラフィがこれをどうするのかわからないが、念のため信用に足る寄付先を調べておくか、それとも輸送方法を検討するかと考えているうちにオークションが終わり、ロビーで騒がしい一画があった。絵を高額で落札した男が新聞記者らしい数名に質問を受けている場面だ。どうやら、そう無い高額になったらしい。

 想定外の大ごとになった。どこの誰が、こんな板切れに紙を貼ったそこに落書きしたようなこれに、小さな国なら軍事資金並の金を思い切りよく払えるのか。

 価値観の違い。そんなに価値があったものだったのだろうかと、あの絵を思い出そうとしても、どんな絵だったのかも忘れてしまった。元々、そんなに興味深く見ていない。

 ともあれ、山から旅をした甲斐があった。キギ・コナの屋敷から持ってきていた絵も無事に落札され、ヤガたちと別室で待つ。

「いやぁ、凄い金額になったね」

「そうですね」

 当事者のラフィを見れば、渋い顔のまま。幸運が舞い込んできたというより、不幸な目に会ってる者の顔だ。

「ラフィ君は凄いね。しかも、あのマド・キリュに」

「俺が凄いのではなく、あの絵が良い物だっただけの話だ」

 ヤガは落札者を知っているようだ。資産家なのだろう。

 しかし、この町でゼラ・パムも、デル・ダナも、貴族階級を表す敬称をつけて呼んでいなかった。愛人と過ごす町特有の規則があるのかも知れない。どんな人物なのか、後で聞くとしよう。

 金の問題は置いておいても、ラフィを誇らしく思う。

 背の低いラフィに合わせて、屈んで耳打ちする。

「ご主人様」

「改まって、何だ?」

「抱きしめてよろしいでしょうか」

「止めろ! みんな居るだろう」

 慌てたラフィが半歩逃げた。二人きりなら大胆に命令口調で甘えるくせに、大勢がいる場所では恥じらう。だから余計に揶揄いたくなる。

「では、取り引きが完了次第、宿の部屋で祝杯を」

「……まあ、後でなら」

「言いましたね。覚悟しておけ」

 笑顔で伝えれば、ラフィが頬を染めて、ヤガが引いた。

「ミラくん、綺麗な笑顔が意味深で怖いよ。祝杯の気配じゃない」

「心外ですね。言葉以外の意味なんてありませんのに」

「詮索はしないでおくよ。なんか怖いし。

 それはそうと。コナ家の絵を売った金で新しい絵を買うんだけど、ラフィ君に見て貰おうかな。投資目的だけど、今度は現役画家の絵が欲しいって言われてる」

 苦いチョコレートを前にしているときと同じ顔をしているラフィよりも、他人事のヤガの方が嬉しそうで、明らかに浮かれている。

「絵を見るのは別にいい。それより、俺の方が問題だ」

「大金積んでたらキャラバン組むにしても嫌がられるだろうね」

「用心棒を増やしたいところですが、人数が増えただけ統率がとれるかどうか」

 軍のように普段から組織として訓練されていない、かつ、荒れくれものの多い連中の集団をまとめられるか。

 個人で働いている用心棒より、集団で形成している傭兵団に依頼するべきか。こっちも信用が課題だ。傭兵が盗賊に化けないとも限らない。

「大金を、何かに変える。……紙切れ、か」

 落札された絵を眺め、なにやら不穏な呟きがラフィの口から聞こえた。

「絵ではなく? 本か紙でも買って持って帰るのですか?」

「いい土産になりそうだ」

 貴重な本、それも写本ではなく原本ならばそれなりの高額だ。だが、貴重であるから高価であって、簡単に手に入るものではない。

 しかし、別の物に変えてしまうのは良い案ではないか。

 思案しているところ数名が部屋へ入ってきて、頭を切り替える。

「遅くなってすみません。新聞記者に取材の申し込みをされてしまいまして。申し遅れました。シビ・ジアの絵を落札したマド・キリュと申します」

「初めまして。こちら、出品者のラフィ。私は付き添いのミラ」

 ニコニコと上機嫌の中年男――マド・キリュと、社交性のかけらも無く仏頂面のラフィが握手を交わす。上流階級らしい上品な服装を着こなし、長いことその世界で生きてきた貫禄が窺え、デル・ダナとはまた違った高貴な印象だ。

「いやはや、シビ・ジアの新作がまだ出て来ようとは夢のようです。落札出来たことはとても幸運だ」

「私は絵の知識は無いのですが。世間の関心が高い作品なのでしょう」

 ぎゅっと閉じたへの字口を開こうとしないラフィの代わりに、社交的な笑みを向けて俺が答えた。

 マド・キリュは満足げに頷くと、興奮気味に頬を高揚させる。

「シビ・ジアは華やかな花のように短い人生を終えた生き方も然る事ながら、彼が産み出した作品も素晴らしい。一枚の絵画で一抹の儚さを感じさせる、物語のある絵を描く画家で、ファンは多いですから。落札したこの絵も、花の命の儚さがよく表現されていて胸にくるものがありますな。この抽象的に描かれた花の筆使いなんか、透けるような柔らかさがあって。逆に、花瓶はどっしりと存在を主張している対比が面白い。年代としては、花の描き方からするに、シビ・ジアが三十を過ぎた辺りに見られる作風ですかね。この時期になりますと――」

「そうなのですか」

 凄い剣幕で延々と捲し立てるマド・キリュに、相づちを打つ。絵に興味は無いが、いい格好をしたいい大人が興奮して夢中で語る様は、大人の皮を被った子供のようで興味深い。投資目的や金儲けや資産のためではなく、純粋に絵が好きだと、十分に伝わってくる。

「――理想の色を求めて恋人から貰った高価な宝石も砕き、自身の肌を裂いてまで求めた。絵の具、赤色一つにしても、狂気ともいえる並々ならぬこだわりが見え、微妙な色合いの違いが美しい」

 上機嫌だったマド・キリュの顔が、苦々しいものに変わった。

「しかし、ハン・リャタめ、私がシビ・ジアのコレクターだと知っておきながら、わざと競り合ってきおって。出来ることなら、あの高慢な顔を殴ってやりたいわ」

 憤るマド・キリュから出てきた名前に引っかかりを覚えた。確か、美術館で見た『狩猟の女神』の持ち主の名前だ。女神の絵と俺が似てるだの似てないだの、ラフィと会話した内容で覚えている。

「なら、殴ってやればいい」

 静観していたラフィが唐突に言い放ち、マド・キリュの眉が上がった。

「ほう。それは、どうやってですかな?」

「簡単だろう」

 ラフィが説明すると、マド・キリュが大笑いした。

「それはいい。是非とも、やりましょう」

 どういう風の吹き回しだ、最初は警戒した様子でマド・キリュを見ていたのに。落札した絵画について熱弁している辺りから、態度が少し軟化した。

 絵に描いた上流階級だと身構えていたら、家柄をかなぐり捨てた中年の姿をした少年だった、といった具合なのだから、わからなくもない。

 ラフィが俺の方に向き直る。

「お前が一緒に演劇場から出てきた奴はどんな奴だ?」

「ゼラ・パム氏のことでしょうか」

「ソイツだ。前にヤガが言っていた」

「そんなに深い交流をしていないので、そこまで知っている訳では無いが。分別のある、気前のいい男ですか」

「確かに、彼はそんな感じです」

「キリュさんは、ゼラさんのお知り合いで?」

「この町の社交会で知らない者は居ません。彼は交流が広いですから。上流階級から船乗りまで、あちこち顔が利くようで。手が早いといった浮き名を多く耳にしますが、基本的に、親切で気のいい青年です」

 投資は情報収集が肝だ、社交的なゼラ・パムにはピッタリな仕事のやり方なのだろう。しかし、社交場での評判通り、下町でもそのままの印象だ。自身を取り繕って、印象操作をするタイプではない。あれが彼の本質、自然体なのだ。

 ラフィが嫉妬心を燃やした相手の名前が、なぜ今ラフィの口から出てきたのかわからない。

 もしや、直接対決でもするのか。

 直情型のラフィでも、この国の貴族に対し、そこまで馬鹿はしないと思うが。

 杞憂に終わればいいと心から願う。

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