第47話−後.可哀想な生き物

「……本当は、本当は、わかっているんだ。……ミラが俺に合わせてるのではなく、俺が食事に興味が無くて全部ミラに丸投げするように、ミラだって俺に選択を委ねる事くらいあるって」

 どちらかといえば、自分で選ぶのが面倒というより、ラフィの意見を聞いてから、自分の希望と照らし合わせて選びたいという思惑なのだが。それはそれとして、忖度なく嫌なものは嫌だと、此方の要望ははっきり伝えてきたつもりだ。

 選択の全てをラフィに任せてきた覚えは無い。しょっちゅう俺にどう思うか、どうしたいかと意見を聞いてくるのはラフィだ、その都度、自己主張はしっかりさせて貰っている。寧ろ、ラフィが俺の意見に合わせる方が多い。

 なのに、俺がラフィに合わせてると思っているのは、俺が仕えていた従者でラフィが主人だった手前の、完全にラフィの勘違い。

 そう思ったが、あえて口にしない。鼻を啜り、涙声で必死になりながら、なんとか頑張って話そうとしているラフィの邪魔をするべきではない。相槌を打ち、ラフィの言い分を聞くことに専念する。

 訂正するなら、ラフィが全部話し終わって落ち着いた後だ。本人がいっぱいいっぱいの状態、俺の話が受け入れられる余裕はない。

「ミラが、誕生日が嫌いなのは、国に居た頃、常にホスト側で、招待客を持てなす側にあって、面倒だったからからだろう」

「あの頃は大変だった」

 王子の誕生日は、準備も当時も後処理も、とにかく忙しくて、値踏みし、子供相手にちょっかいを出して揶揄ってくる嫌味な大人相手にひたすら耐えてきた。子供時代の誕生日なんて、ろくなもんじゃなかった。苦労した嫌な思い出しかない。

 とはいえ、誕生日が嫌いというものではない。ただ単に、誕生日を祝う意味がいまいちよくわからないからだ。王太子であれば、一年の成長や無事な姿を知らしめ、人脈を繋ぐ会として有効な手段だったのだが。

「ミラが恋人が嫌だって言ったのは、恋人以上だと思っていてくれているからだろう」

「はい」

 それだけは合っている。そこだけは正しく伝わっていたらしい。先の二つはちょっとズレているが。

「本当は……本当は、全部わかっている。ミラが俺を裏切る筈が無いことくらい。金や良い暮らしがしたい訳じゃない。俺の為に国を捨て、俺をあの国から外へ連れ出し、解放してくれた。国を出た後も、ずっと傍に居て、義務でも何でもないのに世話をしてくれて。尽くしてくれるミラのことを信じているのに。

 でも、良い服着て、他の男と楽しそうに笑って居るところを見たら、絶望した気になって。目の前が真っ暗になった。

 疑っていないのに、ミラを疑った。疑いたくないのに、ミラは俺じゃない方が良いんじゃないのかって。

 ここの町のヤツはみんなミラに声掛けてくる。ミラは俺のだ、俺のなのに。それでミラがどうなるっていうものじゃないのはわかっている。ミラはただ町の連中と交流しているだけだって。

 でも、嫌だ。嫌なんだ。そう思う自分が嫌だ……。ミラは悪くないのに、八つ当たりした。もう、嫌だ……つらい……苦しい……」

 感情を溢れさせて溜めていた弱音を一気に吐露し、心を一滴残らず絞るみたいに泣きじゃくる。雨の中に捨てられ、ずぶ濡れで心細く鳴き続ける子猫の悲壮感があった。

 ラフィのそれは、ただの嫉妬だ。俺が他の男と交流をしていたから、そこに嫉妬した、嫉妬してしまう事が辛いと泣く、構造は単純。

 三〇年も一緒に居て、どうしてこうも、何時までも処女しい気持ちのままでいるのか。慣れや、飽きることを知らない、いつまでも俺のことだけで心を満たし、壊れそうなほど思いを溢れさせる。俺が居なくなれば食事もろくに摂らなくなるし、俺が居ても心を病む。俺が居ても居なくても、死んでしまいそうな生き物。

 こんな儚く危うい存在を、手放せる筈がない。

「演劇場から出てきたとき、ミラが着ていた服、似合っていた。今の俺じゃ、あんな高価なもの買えない」

「ラフィが稼いだ金で俺の為に選んで買ってくれた服以上に、価値のある服は無い。金額で価値は計れません」

「ミラは俺のなのに、俺じゃ無いヤツが選んだ服が似合っていたことが嫌だ」

「金で買えるほど安くないと言ったのは、どこの誰だ?」

「わかっている。頭では、わかっている、だが……悔しい」

 この町は、どうもラフィと相性が悪い。あまり長居すると、取り返しがつかなくなるほど心を病んでしまいそうだ。

 俺で限界まで満し、壊れそうなほど泣くラフィは嫌ではない。コイツの全てを支配している優越感を覚える。

 この安宿に泊まり続け、俺という狭い檻に閉じ込められて、壊れていく元凶の本人に泣き縋りながら、腕の中で衰弱していく様を観察するのも、支配欲が満たされて楽しいかもしれない。

 だが、この町は俺にとっても、少々世話しない。どこに行っても人で溢れていた。

 休日は、バスケットにランチとワインを詰め、ラフィと釣りに行ったり、森へ出掛けたり、山の上の花畑へ足を伸ばしたり。素朴で贅沢な時間を二人きりでのんびり過ごせる土地がいい。

 俺自身もまた、ままならなものだ。壊れるのならいっそこの手で壊してしまいたいと思いながら、ラフィが穏やかなときをずっと過ごして行ければいいと願っている。相反する感情が混在しているのだから。

「この町は、俺たちに相応しくない。オークションが終わったら、帰りましょう」

「帰る……帰りたい……。ミラと、一緒に、山の、町に、帰る……! 帰るっ!」

 どこへとも告げていないのに、同じ土地を思い浮かべて帰ると泣く。

 田舎のあの町なら俺たちの関係は周知済みで、都会のここみたいに、挨拶と天気の話を交わすが如くあちこちでひつこく声を掛けられることは無い。声を掛けられても、本当に挨拶と天気の話と、親しみを込めて茶化してくるくらいのものだ。

 いつの間にか帰りたい場所、帰るべき土地として、俺たちは二人とも、あの町とあの町の人間を気に入っていたようだ。

 体中の水分を全て外に出すのでは無いかと思うくらい、ずっと泣いているラフィの顎を掬い、顔を上げさせた。

 目元を真っ赤に腫らし、濡れた青い瞳は揺れる湖畔の水面に似て、キラキラと輝き見とれるほどに美しい。反対に、不安そうに見上げてくる表情が痛々しく、実に惨めで、何もかも奪い尽くしたい欲求に駆られる。

 開きかけた口に唇を重ね、ラフィの呼吸すら奪うほど、深く口付けた。

 抱き上げてベッドに組み敷く。

 抱き上げた重さも、体を直接触っても特に体重が変かした感じはないが、藁の中に直接潜って夜を過ごしたせいか肌荒れが少し気になった。後で風呂屋に連れて行こう。

「ん、ミラ……」

 身体管理の一環であちこち確かめているとは知らぬ本人は、泣いた顔で微笑んできた。甘える声で名前を呼ばれ、ぞわぞわと情欲をかき立てられる。

 醜い火傷跡のある、冷たく濡れた頬を手のひらで包んで拭ってやった。

「アンタは可哀想だ」

――家畜のようで。

 手懐けられ、管理され、#飼い主__おれ__#に世話をされなければ死んでしまう。従属させられているとは知らずに擦りついて甘え、懐いてくる、家畜と何ら変わらない。ラフィは俺のことを自分のものだと主張するが、体の奥まで侵略され、蹂躙されることを望み、一番柔らかく繊細な部分を余すところなく曝け出して、捧げているのはアンタの方だ。

 無防備なラフィの喉に噛みつく。顎に力を込めれば、窒息させられるというのに、安心しきって何の抵抗もしてこない。

 そればかりか、自ら俺に食われようと体を開くのだ。この薄い皮膚を食い千切り、本当に生きたまま血肉を貪ろうとも、きっとコイツはそれすら享受する。そういう生き物になるよう躾けたのだから。

 あの国から攫ってきて正解だ。

 ラフィは今も昔も、傍に居る俺のことだけで精一杯だ。あの国が、例え、善良で誠実な上流階級と、王位継承の派閥もいがみ合いもなく平和的で、同性愛を認める国だったとしても、国の繁栄に心を尽くし、国民の為に働く王にラフィは絶対になれない。

 一国の王が、たった一人の為だけに一喜一憂し余裕を無くして、たった一人の為だけに存在していたら、国も本人も崩壊する。

 あの国の地はもう二度と踏まないと決意して出てきた。十年前の決意は正しかった。

 俺好みに美味しく育てた。代わりは無い、唯一無二の存在。

 壊してしまうのは簡単だが、失えば二度と手に入らない。俺の傍で笑って怒って嫉妬して泣いて、忙しく表情を変え、ときには想像を超えて障害物があろうが無かろうが真っ直ぐこっちだけを見て傍にやってくる。

 俺の仄暗い支配欲も破壊的欲求も、まるで何も知らない体で、ただ純粋に慕い、好いてくる。何でも知っている幼馴染み同士で観察眼鋭い勘の良いラフィだ、こっちの欲望や衝動に、本当は気づいているのかもしれない。

 飼い主は家畜の世話を第一にする奴隷であり、家畜は飼い主の心を満たす為に支配される奴隷。

 この関係がいつまでも楽しめるように、大事にしなければ。

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