第47話−前.可哀想な生き物

 店員の了解を得たので敷地内へ入る。

 世話しなく騒がしい町中から一変、ここだけ牧歌的で穏やかな時間が流れていた。雪解けの湿った空気が冷たい。それでも、真冬の刺す寒さとは変わりつつある。

 ラフィがここに駆け込んだのもわかる。この町にあって、群衆の気配と喧騒から逃れられる場所だ。

 馬小屋は受け付けのある建物のすぐ近くにあった。放牧にと出している最中だ、馬と何人かの従業員の姿が外の放牧地にある。

「すみません、ラフィを訪ねてきたのですが」

「ああ、居るよ」

 馬小屋へ視線を向けようとしたとき、何かが中へ逃げ込む気配がした。追い掛けて馬小屋に入る。カサッと馬房の奥で干し草の擦れる音がした。

 薄暗く、馬小屋特有のにおいがする。一番奥まで足を踏み入れた先は、干し草が山と貯蔵してあった。捜している人の姿は無い。たが、干し草の山をよく観察すると、一部が僅かに上下して呼吸している。悪戯した子供が下手な隠れ方をしているようで、思わず笑みが溢れた。

 旅の途中で身を潜める場面が幾度とあった。普段ならこんな分かりきった隠れ方をしない。

 命を取りに来た賊ではなく、相手が俺で咄嗟のことだから、全幅の信頼からくる甘えが招いた間抜けな状態。いつもなら警戒心剥き出しで注意深く、完璧に気配を殺して風景と同化するのに、俺が絡むと途端、なんともお粗末。

 もしかしたら、本当は見つけて連れ帰って欲しい強情なへそ曲がりなのかもしれない。

「ラフィ」

 名前を呼ぶと、干し草の山の動きが止まり息を潜めた。わかりやすくて、つい笑い出しそうになったが、グッと堪える。

「迎えに来た」

 暫く待ってみるも、出てくる様子は無い。意地っぱりな上、引っ込みがつかなくなったのか。

 そっちがその気なら、強硬手段だ。

「大事な話だ」

 なるべく真摯に、深刻であるかのように、低い声で静かに告げる。

 遠くからの馬の嘶きやら人の話し声やらが聞こえるだけで、返事もない。聞こえていない筈は無いのに。これでは、干し草の山に向かって独り言を言っている状態だ。

「居た?」

 後から入ってきた馬番の一人が馬房掃除用のスコップを持って声を掛けてくる。

「いいえ。すみません、お仕事中にお邪魔して」

「いや、いいよ」

「申し訳ありませんが、ラフィに伝言をお願いしたいのですが。急遽キャラバン隊の用心棒の依頼が入って、明日の早朝に町を立たなければならなくなった。明後日のオークションはヤガさんに任せて、俺は一足先に山の町へ帰ります。そう、伝えて下さいませんか」

「伝えておく」

「よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げた。

 踵を返して干し草の山を一度も振り返らず、馬宿を後にする。

 今日はラフィに昼食を持って行かない。短期の仕事だ、日払いの賃金を貰っていればそれで昼食くらいは買えるし、そうでなくとも宿へ帰ってくればいいだけで、それも嫌なら仕事仲間に借りるなり何なり、何とでもなる。我慢比べの一日だと腹に据えた。こっちが痺れを切らせば意味がない。

 ラフィが馬宿に籠城してから、仕事を辞めてしまったし、やることがない。一日の殆どを持て余していたので、暇つぶしの編み物用に細い毛糸を買ってある。宿に篭もり、向こうからこっちへ来るまで待つつもりだ。ラフィの今までの行動から、明日の早朝までには絶対に来ると確信がある。

 近くの店に食事を摂りに出たくらいで、一日中部屋で編み物をして過ごした。趣向を変えてレース編みだ。アスコットタイと、つけ襟と、リボンが出来た。身につける予定も無いので、売ってしまおう。

 罠は張った。後は、獲物が自ら飛び込んでくるのを待つばかり。

 編み物に没頭していると、いつの間にか部屋が暗くなり始めた。座りっぱなしで肩が凝る。一度伸びをして、固まった関節を軽くほぐして立ち上がる。もう来ないだろうと本日は諦め、夕食に出掛けるために部屋のドアを開く。

 開けた直ぐそこ、扉の真ん前にラフィの姿があって、ちょっと驚いた。じっと床を睨んで、微動だにしない。

 今来た……ではなさそうだ。いつから廊下に立っていたんだ。

 言いたいことは色々あるが、今ここで切り出すとまた口喧嘩になりそうだ。せっかくおびき出せたのに、堂々巡りはしたくない。

「……とりあえず、中に」

 入り口を塞いでいた自分が逸れて道をあけ、招き入れれば、口を固く結んで大人しく部屋へ入ってくる。

 怒鳴って文句を言うでもなく、拳を握り締め、仁王立ちで俯くラフィ。下を向いたまま、沈黙ののち、ようやく口を開いた。

「置いて……置いて、行くな」

 低く、絞り出した蚊の鳴くような声が聞こえた。

「ラフィ」

「置いて行くな。俺を、置いて、行くな。置いて、行くな」

 一度口を開けば、止めどなく同じ言葉を繰り返す。小さく奮えて、怨嗟の言霊の如く何度も繰り返した。

 この様子じゃ、幽霊扱いされても仕方ない。幽霊というより、霊に取り憑かれている者の異常さにも匹敵する。

 取り憑いているのは、俺かラフィか、もしくはお互いが取り憑き、取り憑いているのか。

「置いて行きません」

「ミラぁ……!」

 俺を見上げた青く透き通る目から涙が溢れた。ボロボロと床に涙を落とすラフィを、胸に抱き寄せる。ようやく捕まえた。干し草と、馬小屋と、ほんのりラフィの汗のにおい。逃がさない意思を込めて、腕を力を入れた。

「置いて、行く、な。俺を、置いて、行くな」

「置いて行かない。用心棒の依頼は嘘だ」

「何?」

「明日出立するのも、アンタをおびき出す為の嘘」

 真実を告白した途端、泣きながらジタジタし出した。力が入っていない。抵抗はしてみせるが、腕の中から抜け出す気が無いらしい。

「ふざけるな。何で、そんな意地悪する」

「アンタが俺から逃げるからだ」

「卑怯だぞ! どれほど心細かったと思っているんだ。この、極悪人! 悪党! 嘘つき! 意地悪! ミラ、ミラぁ!」

「俺から逃げられると思うな。地獄の底だろうが、追いかけて、見つけて手元に取り返す。あんまり脱走するようなら、首輪をかけて鎖に繋いでしまいますよ、ご主人様」

 俺の服をぎゅっと握りしめ、泣き喚いて縋ってくるラフィを抱きしめ、頭を撫でてやる。夜中に泣きながら俺の名前を呼んで、俺のところに帰りたがっていたくせに。意地っぱりが素直に帰ってくる口実が欲しかったんだろ、世話が焼ける。

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