第46話 食べもの攻め
「おはようございます。お忙しい時間に失礼します」
朝から馬宿を訪ねていた。睨む厩番へ笑みを向けると、頬を染めて困惑顔に変わった。
「……き、昨日のアンタか。忙しいんだ、帰ってくれ」
「ラフィに朝食を届けに参りました。渡して頂けませんか」
今朝、ここへ訪ねる前に買ってきた朝食が載ったトレーを差し出す。
トレーの上には、全て蓋付きの、スープカップに小さな木箱に飲み物用のコップ。
中身は、細かく刻まれたキャベツやニンジンや玉ねぎや豆と一緒にタラが入ったスープ。タラの白身がホロホロ解ける、具沢山のもの。
木箱の中はこんがりキツネ色に焼かれたベイクドポテト。茹でたジャガイモだと、時間が経つと水分を吸って食感を損なうので焼いたものにした。
飲み物は牛乳。山で飲んでいる羊のミルクよりも若干さっぱりしている。もちろん先に俺が味を確かめているから、ラフィが食べられないものは入っていない。
「だから、ラフィなんてのは居ないって言ってるだろ」
「昨日は、夕食は摂られましたか？ 入浴は？ 人らしい生活をしていましたか？ 厩の馬と一緒に藁の中で寝てはいませんか？」
「あー、いや」
バツが悪そうに床に視線を落として目を泳がせる。
察するに、図星。やはり食事もしていないし、馬小屋に寝泊まりしているらしい。馬小屋はいいとしても、生命維持に必要な最低限の食事くらいはして欲しい。意地を張るとそれすらままならない、どうしょうもない人だ。
「昼にまた昼食を届けますので、ラフィのことをよろしくお願いします」
「あぁ？ あんたも人の話を聞かないな」
「お邪魔しました」
仕事の邪魔だと言われる前にさっさと退散した。
厩番に何を言われようが、なんと思われようが、ラフィの生命が掛かっているのだ。出しゃばりだろうが、余計なお節介だろうが焼いてやる。嫌なら、本人が出てきて直接言ってくればいい。顔が見られて無事が確認できる。まずは安否確認、連れ戻すうんぬん説得はそれからだ。
予告通り、昼食も届ける。
皮目をパリッと中がフンワリ焼かれた脂の乗った鯖に、乾燥トマトと小さく切られたジャガイモや野菜のソースは貴重で高価なオールスパイスやタイムが使われたスパイシーだが辛みの無い、香り豊かなもの。それが、小麦の香る歯切れのいい無発酵の薄焼きパンに巻かれ、ボリュームがあっても手で食べやすい。飲み物は、スッキリした甘さのアップルティー。
また来た、伝言係じゃない、と文句を垂れる厩番に押し付け、朝食の食器を回収した。
中身が入っままだ。何も減っていない。
これくらいなら想定内。こっちは、一日は様子見だと構えている。二日も食べないようなら、意地だのなんだのと言っていられないから乗り込む気ではいるが。
朝昼と魚が続いたから、夜は肉にした。
塩とセージに、ニンニク、本当はここに胡椒が入るのだが抜いて貰い、オリーブ油で焼かれた厚切り豚肉のロースがメイン。厚切りだが、オーブンでじっくり中まで火が入り、肉質はきめ細かくて柔らかい。程よくある脂身を噛むと、ジュワッとほんのり甘い脂が出てくる。つけ合わせに、ニンジングラッセに、粉ではなく茹でたジャガイモを荒く潰したマッシュポテト、自然な玉ねぎの甘さが味わえるオニオンスープ。飲み物は、ラフィ好みの渋みの少ない赤ワイン。デザートに砂糖漬けのレモンピールを使った、バターとレモンが香る、焼き目が香ばしくしっとりとした甘いケーキ。
食べないかもしれないが、食べてくれることを願ってメニュー選びに手を抜かない。
今回はどうだろう、また駄目だろうかと思いながら、夕食も同じように届け、昼食の食器を回収した。
持ち上げた食器が軽い。朝食のときとは違い、今度は空。してやったり、第一関門突破。ちょっと嬉しくなった。
幼馴染みだけあって、食事を摂らなかった場合、次に俺がどう行動するか予想がついて、渋々食べたとも考えられる。ラフィが機嫌を損ねて食事を拒んだとき、無理矢理口に匙を捩じ込んで、泣こうが、喚こうが、どんな手を使ってでも食わせてきたのは俺だ。
山の町の屋敷で、旦那様を説得してキャラバン隊に同行しようとはせず、誰にも告げず置き手紙だけで飛び出して来てしまったほど、衝動的で子供っぽいラフィのこと、夜は馬小屋の干し草の中で埋もれ、寂しがって拗ねて泣きながら寝ているだろう。
物心つく前から一緒に居たのだ、お互いをよく知っている。ラフィが本人ですら持て余す溜まった感情を爆発させたとき、落ち着くまで待ってやることも。
何はともあれ、食事をしてくれて、ある程度暖がとれるなら多少は安心する。逃げ出した飼い猫を餌でおびき出している気分だ。
向こうが折れたのは、想定より早かった。
「ウチは人間の宿じゃないんだ、引き取ってくれ」
朝食を届けに行くと、受け付けカウンターで応対した店員にうんざりと言われた。昨日会ったときにはなかった青痣が頬にできている。
「怪我されたのですか」
「アンタのソイツにやられたんだ。今朝、起こそうとしたら」
なるほど。そういえば、寝起きは不機嫌だと、忠告するのを忘れていた。
「それに、夜中にすすり泣く声が聞こえて気味悪いって噂が立ってんだ。「ミラぁ～」つって」
幽霊騒ぎになっていたとは。ラフィ本人も気づいていないだろうな。
「お手数おかけしてしまい、申し訳ありません」
「あんたたち、一体何が原因なんだ」
「ただの痴話喧嘩です」
「犬も食わねぇってヤツか」
言い返す言葉もない。俺にとってはいつもの痴話喧嘩なのだが、巻き込まれた馬宿にとってはいい迷惑。本当に申し訳ない。
「ラフィは今どこに？」
「馬小屋だ」
「入って捜してもいいでしょうか」
「勝手にしろ。ああ、あと、明日から来なくていいって伝えてくれ」
「すすり泣く心霊現象と、寝ぼけて殴った以外に、ラフィに問題が？」
「それもかなり問題だぞ。まあ、それはそれとして。よく働くが、働き過ぎだ。特に、アンタが見えた昨日は。あのままじゃ、倒れる」
心配されるほど仕事に没頭しているのは、ラフィの現実逃避の癖だ。そうして、仕事に集中して問題から目を逸らす。
「アイツ、明らかに様子がおかしい。鬼気迫るみたいな、尋常じゃない感じで、黙々と馬小屋掃除してて。近づき難いっての。
最初は青い髪の珍しい色だから、それ目当ての人買いか何かかと警戒してたんだが。あんたは美人なのにいい人そうだし。ほら、綺麗な奴って、普段チヤホヤされてて、自分が美人なことを鼻にかけて、性格キツいだろ？」
――とんだ偏見。それを俺に面と向かって言うのか。
しかし、職場での人付き合いは上手くやっていたんだな。黙っていれば真面目に取り組むし、体力は人一倍あるから正当な評価を貰っている。それに、ラフィへの気遣いも心配もされている。俺の知らないところでの、人嫌いラフィの、意外な人間関係を聞けてよかった。
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