第45話 面白いことになった
宿の部屋にラフィは居た。だが、様子がおかしい。青い目で睨むように見上げてくる。
「お前、今日茶会に呼ばれていたんだってな。宿の奴が言っていた」
何も言わずに出ていったことに腹を立てているのか。
大方、ロビーでヤガと話していたからそのとき宿の従業員に聞かれ、仕事から帰ってきたラフィが俺の行方でも尋ねたのだろう。下手に騒がれたくなかったから黙って一人で茶会へ向かったまで。後ろめたい事など一つもない。
「はい。母国の情報を聞いてきました。それで――」
「聞きたくない!」
正直に報告をしようとしたのに、遮られた。
「あんな国、滅べばいい」
この人は、まだそんなことを言っているのか。
「ラフィは俺よりもあの国を思うのか」
「何を言っている。そんな訳ない」
「いいや、ラフィは俺よりもあの国を思っている。捨てた国のはずなのに、ずっと恨みに思い続けている。もう忘れろ。あの国は、君主が代わり知らない国になった。俺たちが知っていた母国は存在しない。存在もしない国を妄想して呪うのはやめろ」
王が変わり、改革が起こった。奴隷の輸出から別の商品へと変わった。産業が変われば、人々の生活も変わり、景色も一変していることだ。法律も変わっただろう。
真っ当な国になったか、落ちぶれて廃れたかどうかは知ったことではないし、知りたくもない。かつての王太子の亡霊が蘇ったところで、居場所があるはずもない。あの国は、俺たちが居ないところで回っている。故郷でもなんでもない俺たちの知らない国。
「ミラこそ、あの国に帰りたいと思っているのではないか。その為に調べていたのだろう」
「アンタと平穏に暮らす為に調べていたんだ」
「本当はミラは、優雅で裕福な生活をしたいんだろう」
「慎ましくも平穏ならそれでいい」
「演劇を見に行ったり、貴族が馬車で迎えに来るような茶会に出たり。ミラは俺と違って社交的だから、上流階級連中と優雅な交流がしたいんだ」
「それは、あの国の情報を聞き出す為で」
「やっぱり、そうだ」
「違う。アンタを狙う追手が掛かっていないか、確かめたかっただけだ」
「ミラは俺の従者だったから、俺に合わせているだけだ。俺が要塞都市のあるここは嫌だと言ったから、それに合わせただけで、本当はいい服を着て豊かな生活がしたいのに。薄汚れたボロを着て、毎日肉体労働、そんな不自由な生活が嫌だったんだろう」
「人の話を聞け。どうしてそうなる」
「兄で、弟で、母で、父で、幼馴染みで、親友で、ライバルで、恋人で、ミラのことを俺の全部だと思っていたのに」
「一つ足りないな」
「ミラは恋人になるどころか、誕生日を祝うのも嫌なんだろう」
「誤解だ」
「もう、知らん!」
出て行こうとするラフィの腕を掴んで止める。
「ラフィ、落ち着け」
溢れ出るみたいにまくし立て、こっちの話を全く聞いていない為に、会話になっていない。それだけ余裕がない証拠だ。怒って興奮し、手のつけられない猫に似ている。
「離せ。ミラには関係ない!」
「関係あるだろう、全部俺のことなのだから。それに外はもう暗い、何処へ行くつもりですか」
「うるさい! 俺にだって良くあてはある! お前なんか知らない! 何処へでもミラの好きな所へ行けばいいだろう!」
「何故ラフィが出て行こうとしている」
「知らん! 離せ! もう帰らない!」
力任せに腕を振りほどかれ、拍子にラフィの手が俺の頬を叩いた。
痣が残るほど打ち込む剣の稽古に比べれば、ただ手が当たっただけでなんともない。驚いて動揺を見せたのは、叩かれた俺ではなくラフィの方。
涙目になり、勢いよくドアを開けて飛びだして行ってしまった。
全部ラフィの勘違いで勝手に突っ走っているだけなのだが。
頭に血が上っているにも関わらず、「知らない」とは言うくせに、「嫌い」だとは一言もない。
取り繕って偽ることのない剥き出しの感情を、そのままぶつけてくる。
絶対的な信頼からなる、良くも悪くも、素直な甘え。
面白いことになった。赤ん坊の頃から離れず三十年以上も傍に居てこれだ、飽きることを知らない。
笑い出しそうになるのを堪え、真っ暗な町に解き放ってしまった青毛の主人を放っておく訳にも行かず、追い掛ける。
珍しい毛色だけに人買いに襲われたとしても、ラフィなら返り討ちにできるだろう。愛刀もいつも通り、ラフィの腰に収まっているようだし、そっちの心配はしていない。
ただ、他の荷物と一緒にラフィの金が入った袋は部屋にあったから、無一文で出て行ったことになる。剣以外は何も持っていないのだ。それに、人との交流があまり得意でないラフィの場合、あの頑固者が理由が無い限り自分から帰ってくる望みは薄い。下手をしたら、溶けた雪でベチョベチョな地面の上で野宿でもしそうだ。夜はまだまだ寒い、こんな季節に道具も無しで一人で野宿したら凍えてしまう。
シャアシャア威嚇する青毛の迷い猫が落ち着くには時間がいる。
ラフィの行きそうなところといったら、この町では一つしかない。
「こんばんは」
「馬の預け入れかい?」
「人捜しです。ラフィ……青い髪に青い目の小柄の男が此方で働いて居ますよね?」
ここは、以前より聞いていた彼の職場である馬宿だ。ラフィが一晩を過ごすとしたら、ここしかない。
客へ向けた笑顔が、ラフィの名前を出した途端、怪訝そうな顔になる。
「あんた、誰?」
「ラフィの連れで、ミラといいます」
「そんな奴、知らねぇ。ラフィだかラブだか知らねぇけど、そんな名前聞いたことねぇ。客じゃ無いならとっとと帰れ」
シッシッと手で犬でも追い払うような仕草で邪険にされた。
「夕食がまだなので、食事をちゃんと摂るよう、伝えて置いてください」
「わかった」
「ラフィのこと、よろしくお願いします」
「だから、居ないって言ってるだろう。帰れ」
馬宿を追い出された。
どうやら、野宿の心配はないらしい。馬小屋でも、屋根と壁があるだけ、外よりは全然いい。
金は渡していないから、食事をするにしても必要になったら宿泊している宿へ帰ってくる必要がある。
ラフィのことだ、今晩くらいは食事抜きで過ごしてしまいそうだ。
一晩で頭が冷めればいいのだが。
馬宿に籠城したあの頑固者を、どうやって引っ張りだすか。放っておいてもいいのだが、寂しがって余計にヘソを曲げる。
作戦を練りながら、外に出た足で俺の職場であるパブへ向かう。仕事を辞める為に。
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