第44話−後.お茶会
それから、世間話を少しと、この間の演劇の感想を言い合った。
「序盤に見限った婚約者が、復讐の顛末に、墓へ入った彼に花を供える幕引きはよかった。彼を止めようとした彼女の物言いが主人公の癇に障り、辛辣な態度で婚約破棄の汚辱までされたというのに。家督相続に欲をかいて兄を殺したテドに、無償の愛を囁く美しい幕引きだった」
熱弁するデル・ダナに相槌を打つ。
「そうですね。愛した人を亡くした哀愁が感じられる、いい演技だった。ですが、話を聞いてやらなかった彼女の落ち度だ」
「婚約者が相手の仕事に出しゃばるべきではない」
「そうですね。しかし、相手が思い詰めていれば心配してしまうのが情というもの」
「婚約者に弱音を吐くのは、自負心が傷つく」
「なら、傍へ寄り添うだけでも。こうして、美味しいお茶と好みの菓子をつまみながら。穏やかな気持ちになりませんか?」
「今の私はドキドキするよ。両手に花だからね」
「お上手ですわね」
エディリアナが蠱惑的な微笑を浮かべた。
「せっかくなので、こちらを差し上げます。文字の練習ついでに写本したものですが」
台本の写本をデル・ダナに渡す。話の流れでプレゼントしたのだが、両手で大事そうに思いの外慇懃に受け取られた。そんな高価な本でもないのに。
「ミラの手で写された本だ、大事にしよう」
「大事にされなくても結構です。ただの旅人が文字書きの練習の為に写しただけのものですから。そろそろお暇させて頂きます」
「もうそんな時間か。送ろう。その前に、ここへ来るときに君が着ていたものを部屋へとりに行かなくてはな」
執事や使用人にとりに行かせるのではなく、客人が直接とりに行く、か。
目論見があるのは明白で、パトロンの意思に目聡くエディリアナも黙ってカップに視線を落とすばかりで、何気なく装いつつも明らかにこちらを避けている。
「安物ですので、そちらで処分して下さっても構いません」
「旅というのは着慣れた服の方が良いのではないか」
「旅の服というものは、すぐにボロボロになってしまいますから、換えがきくものですので」
「では――」
「デル・ダナさん。はっきり仰ってください」
「いや、しかし……」
なかなか切り出そうとしないデル・ダナに微笑みを向けると、デル・ダナが照れたようにはにかんだ。
疑似恋愛の街でこの歳の男だ、駆け引きに慣れているのではないかと初めて顔を見たときはそんな感想を抱いたのだが、今となっては全く逆の印象で、随分と素直で可愛らしい反応を見せる。長いこと、騎士団という無骨な中に勤めていたせいだろうか。ゼラ・パムが、「一〇年ほど前なら」と言っていた意味がほんの少しだけ分かった気がする。
「どうやら、私はお邪魔なようね」
席を立ち、不機嫌そうに部屋を出て行く。
デル・ダナが給仕をしていた召使いたちを下げた。サロンには、デル・ダナと俺だけが残る。
「エディリアナさんの機嫌を損ねてしまったのでは」
「いつものことだ。後で何とでも機嫌を取るから、心配はない。君との機会はそうそう無いだろう」
過ぎた人生の年月よりも残りの方が少なくなっている中年の男が、うっとりと熱の篭もった目で見つめてくる。
「本当に行ってしまうのか」
「はい」
「ここなら、不自由なく暮らせる。私なら、何の不自由もさせない」
「裕福を求めるのなら、故郷を出ることはなかった」
「この町に居る間だけでも、この屋敷に居てはくれまいか。情に厚い君のような者が、下賤な連中の店で働くことはない」
「私のことをお調べになられたでしょう」
「いや、言い方が悪かった。あのパム氏も通う店だ」
「店では、店主にも客たちにも悪く扱われてはいません。私が主人と呼ぶ方があるのをご存知で?」
「知っている。同じ宿であることも。どうしても、引き留めることはできないのか」
「ダナさんが、ダナ家の繁栄を使命とするように、私にも心に誓った使命がございます。騎士道を歩んだ貴方なら、信念を貫く剣士の決意がどれほど固いものかご存じでしょう」
「主君への忠義心か。益々惜しい」
デル・ダナが目を伏せて深いため息をつく。
デル・ダナの若い頃――騎士だった頃の自慢話は何度も聞いていた。騎士道精神に逆らえないとの目論みもあってのこと。俺自身、あながち嘘でもないし、真意とも言い難い。そもそも、相手は主君ではないし、仕えてもいない。
「せめて、私に思い出をくれないだろうか」
「それは信念に反する行為です。我が身、この心も、全てをかけて誓いを立てています」
「潔癖ではないかね。いっそ、この年寄りと寝られんと言われた方がまだ諦めがつく」
真に受けてそれを言ったら、どうせ叶わないのだからと開き直って何をしてくるかわからない。だったら、清い誓いを装った方が効果的だ。
俺は赤ん坊の頃より、ラフィに仕えていた。昔と形は違えど、今も何をおいても最優先すべき大切な主人。
ラフィとの生活の為に働く、ラフィとより生活しやすいように周囲と友好的な関係を築く、ラフィと安心して生活できるように情報収集の為に茶会へ招かれる。ラフィの為でもあり、そうすることは自分自身の為でもある。
デル・ダナの申し出を受けたところで、ラフィになんの得も無ければ、俺にとっても同じ。
我が身のためと、主人のためは同義。
己を犠牲にすれば、より傷つくのはラフィの方だと重々承知している。
「ダナさんのお気持ちはお受けできません」
沈黙ののち、再びため息が聞こえた。
「無理を言って済まなかった。忘れてくれ」
俺の決心ご固いことに、デル・ダナが諦めてくれた。
玄関まで見送りに出てくる。茶会の前よりも、心なしかデル・ダナの肩が小さくなっていた。
彼くらいの紳士であれば、相手のある俺よりも他にいい人が居そうなもの。頭でわかっていても、心が諦めきれないのは人の性か。
「出てきたついでに、途中で寄りたい所があります。ですので、一人で帰ります」
「なら、馬車に寄ってもらうといい」
「よろしいのですか」
「構わない。ついでなのだろう」
「何もかも、ありがとうございます。さようなら、デル・ダナさん」
「あぁ」
下手に希望を持たせるよりも、すっぱり切った方が相手の為でもある。握手を交わして馬車に乗り込む。中で着替えを済ませた。金物加工場へ寄ってもらい、ラフィの黄金の指輪だったもののなれの果てを受け取る。
こうなってしまうと、元の面影が全くない。十年間、ラフィからずっと預かったままだった母国の証が消え、新しく生まれ変わった小さな黄金を、着古したシャツのポケットに仕舞い、泊まっている宿へ帰る。
デル・ダナに貰った服は、馬車と一緒に返した。後で何か言ってきても面倒だし、そうでなくとも心情としてよくない。
豪華さの欠片もない、年代を感じる煤けた煉瓦造りの安宿を見るとホッとする。
本当はもう少し早く帰ってくるつもりだったが、雲の切れ間に星が一つ光り始めていた。
ラフィは居るだろうか。いつも日が落ちる頃にはいつも帰って来ていたから。
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