第44話−前.お茶会

 休日。

 午後に、泊まっている宿のロビーでヤガとばったり出くわした。

「ミラ君、休み?」

「はい」

「一人で暇なら、社会見学だと思ってちょっと付き合わない? 多くはないけど手当を出すよ。商談に君みたいな美人が居た方が纏まりやすいんだよね」

「あいにく、これから茶会の約束がありますので」

「そっか。じゃあ仕方ないね」

 別段、残念そうでもなく、ヤガは行ってしました。商人は商人で忙しそうだ。どんな相手とどんな取引をしているのか、興味が無くはないけれど。

 それから、しばらくもしない内に迎えが来た。安宿の前につけたのは、二股の尾を持つイルカの紋章が入った黒塗りの例の馬車だ。豪華な貴族の馬車が似合わない、年季の入った宿の前に停車しても、宿の従業員があまり驚いた様子が無いし、騒ぎにもならない。主に商人が利用する宿だ、顧客の馬車が迎えに来ることはあるのかもしれない。

 こういった、贅を凝らした馬車に乗るのは何年ぶりか。未練はないが、懐かしく思う。いつもラフィと一緒で、お互いに着飾って。ある意味、戦場に行く気分で。感慨深く馬車に揺られるうち、屋敷に着いた。

 建物がひしめき合う要塞都市の中だ、いくらでも土地のある田舎の豪商の屋敷の方が広い。

 夏ならば、前庭に色とりどりの花々が咲き誇るだろうが、今は残念ながら雪の残る季節で、芽吹いたばかりの緑が少しある程度。見るべきものが何もない。

「よく来てくれた」

 デル・ダナの破顔で迎えられた。

「お招き、ありがとうございます。こちら、手に入れられているかもしれませんが、手土産を持って参りました」

 酒瓶を執事に渡す。

「お気づかいありがとうございます、ミラ様」

「何かね?」

「蜂蜜酒です」

 結局、ラフィが飲まなかった為にそのまま持ってきた。好きでも嫌いでもないものだから存在も忘れているだろうけれど。

「それはいい。あの後、商人ギルドへ訪ねたのだが、手に入れられなかったのだ」

「残念でしたね。俺の元にあるよりも、これを好んで頂けるダナさんの方が相応しいと持ってきて正解でした」

「商人には注文をしておいたから、味わえるのはまだ先の事だと思っていたが。私は幸運だ。せっかくの茶会だからね、君の衣装を用意させた。気に入ってもらえると嬉しい」

「ありがとうございます」

「どんな風に変身するのか、楽しみにしている」

 デル・ダナと一旦別れ、執事の案内の案内で一室に通された。

 演劇場で会ったときとは違い、労働階級の実用性と価格を重視した、上流階級の館に場違いな格好の俺を気遣い、用意された衣装がズラリと並んだドレスルームだ。

「差し上げますので、どれでもお好きなものを一式お選びください」

 自身の位に自負のある者は、大抵、見栄っ張りだ。高価な服をプレゼントするのは自身の能力を見せ、相手に喜んで貰い、かつ、自分色に染めるという、気に入った者をどうにかして手に入れようとする手段の一つでもある。

 これが、相手の居ないただの労働者なら素直に喜ぶのだろうけれど。純粋に親睦を深めたい親切と受け取るには、上流階級の世界に擦れすぎた。勘ぐり深い俺なんかより、もっと相応しい相手が居るだろうに。

「せっかくの申し出なのですが、此方は小さな宿や野営で日々の生活をしている者、なるべく身軽にしておきたいのです」

「存じております。ご不要でしたら、遠慮なく資金の足しにして下さって結構でございます」

 全て織り込み済みか。貰った物は気兼ねなく売れる。

 衣装をざっと見る。

 デル・ダナの趣味らしく、金や銀の刺繍がこれでもかと入った派手なものが多い。俺の趣味ではないが、あまりシンプルなものを選んでも、楽しみにしていると言ったホストの意向にそぐわない。派手になりすぎず、地味になりすぎない、控えめに刺繍が入っているものに目星をつる。何着も用意されたのに手短に済ませ、ぞんざいに選んだと思われても難だ。あれこれと使用人に質問しながら、ゆっくり選ぶふりをして着替え終えた。

「御髪はどうなさいますか」

「このままで結構です」

「髪飾りも用意してあります」

 ラフィには、茶会に行くとは言っていない。髪型は働くときと同じシニヨンに、シンプルな木のバレッタ。素朴なそれは、華やかな格好とは合っていない。

 だけれど、ここはラフィの領域だ。他人に弄らせたくはない。

「せっかくですが、このままで」

「そうですか」

 執事も強くは言わなかった。身だしなみを整え、部屋を移動した。

 調度品と、まだ寒い時期には貴重な花でさり気なく飾られ、天窓から温かな陽光が射すサロン。デル・ダナの満更でもない笑顔で出迎えられた。衣装選びを間違わなかったようだ。

「お待たせして、申し訳ありません。華やかな衣装ばかりで、目移りしてしまって」

「よく似合っている。気に入ってくれたかな?」

「はい。この、ジャケットの襟にされている繊細な金の花の刺繍が野にそっと咲くようで、これから訪れる春を予感させられます」

「それはよかった。ウチが贔屓にしているところの一流のものだからね、本当によく似合っている」

 デレデレと鼻の下を伸ばし、熱心に見つめてくるデル・ダナと握手を交わした。

「デルさんは随分、ご機嫌でいらっしゃるわね。私の事はいつ紹介して下さるのかしら」

 不機嫌な声がして、座っていた女が立ち上がる。

 白い肌に、ボブカットの黒髪に金の蝶の髪飾り、劇場で見たときとは違い、赤いドレスに金の刺繍がふんだんに施された煌びやかなドレスを着てめかし込んでいた。一瞥を向けてくる彼女の視線に若干の棘を感じる。

「ああ、すまないね。ミラ、こちらはエディリアナ。エディリアナ、こちらがミラだ」

「初めまして。お噂は兼々」

「初めまして。噂になるようなことはしていないと思いますが」

「本当にそうお思い? デルさんったら、演劇を見に行ったあの日から、貴方の話ばかりするのよ? 美しい顔をしているとは聞いていたけれど、お人形みたいに綺麗ね。下町から広まった甘いチョコレートも、貴方が最初に作ったそうじゃない」

「私が作ったレシピではありません」

「そうね。話では、故郷で飲んでいたものですって? 私も貴方と同じ国の人種に見えるのだけれど、気のせいだったのかしら。だって、あの国でチョコレートなんて見たことも飲んだことがないもの」

「輸送船を持っている家系でしたので、外国からの珍しいものが手に入り易い環境でした」

「いいところの出身ですのに、苦労ばかりの不自由な旅生活を選ばれたのですね」

「知識と経験を求めて」

「それだけ?」

「いけませんか」

 根掘り葉掘り聞こうとしてくるエディリアナに対し、のらりくらりかわす。

 そもそも、赤ん坊の頃からラフィに仕え、ラフィと共に王宮の中で育ったのだから、あの国の平民が実際の生活や国民性がどのようなものかもわからない。自国より、遠い外国の方が親近感を持ってよく知っている。

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