第43話 パブでのお誘い
邪魔にならないよう、いつものシニヨンに髪を結ってもらい、出勤する。パブの朝は、目が回る忙しさだった。山の町の朝市を、地方の祭りのような賑わいだとすれば、こちらは毎朝が戦争だ。
舟に松明を焚いて暗い内に出た漁船が帰ってきて、魚市の合間に朝食をとる客でギュウギュウ詰めになる。
代金と引き換えに、海鮮がこれでもかとたっぷり入った魚貝の旨みの宝庫のようなスープをボウルによそい、そこに皮を剥いて茹でたジャガイモを丸ごと三個入れて、スプーンと一緒に渡す。ジャガイモを潰しながら、立ち食いで掻き込み済ませた客が、サッと出て行く世話しなさ。
寸胴いっぱいに茹でたジャガイモやスープが、みるみる消えていく様は圧巻だ。これだけ綺麗さっぱり無くなると、料理の作り甲斐がある。
朝の客が落ち着けば、今度は昼食の仕込みをし、昼の忙しさとなる。あっという間に午後になり、やっと一息ついて遅い昼食となる。
俺が居ようが居まいが、繁盛している店だが、最近では午後のお茶の時間も前よりは混み始めたらしい。俺目当てで声を掛けてくる客も確かに居るが、甘いチョコレートを求めて来る客が増えた。
お高めのチョコレートだが、ミルクや酒で割ってオリジナルカクテルを作り、一杯を何人かで分け合うような飲み方をする客も出てきた。
そうやって話題になるのはいいのだが、もとより貴重なカカオだ、すぐに在庫がきれる。
ブームに火をつけた張本人――ゼラ・パムが「チョコレートが美味しいものだってみんな知ってしまったから、更に人気に火がついた。輸送船が増えるから、そのうち手に入りやすくなるかもね」と他人事のように漏らしていた。飄々としているが、この投資家がのほほんとしている筈がない。ぼうっとして手をこまねいている人物が、一人で地方豪商を超える財産を稼ぎ出せるものか。
とにかく、毎日が忙しい。
酒を主に提供するパブだからそんなに数は無いと思いきや、メニュー数はそれなりにある。漁師が魚を持ってきては、あれを作ってくれだの、これが食べたいだの、客のリクエストにこたえていたら増えてしまったパターン。
道具の場所やレシピ等、最初は勝手を覚えることに専念し、覚えて余裕が出てきても、口説いてくる客やら酔っ払いを適当に捌いて、次第に慣れてきてもやっぱり忙しい。
混雑しているとはいえ、午後のお茶の時間帯はまだいい方だ。
「硬ぇ」
テーブルを片づけて戻るとき、すれ違いざまに尻を触られた。
鍛えた男の尻に何を期待しているのか。
「お客様、体を鍛えるにはサーモンがいいそうです。丁度、今朝新鮮なサーモンが入荷したのですが、バターで焼いたバムニエルなど如何でしょう」
「あ? 午後のティータイムに油ギトギトの魚なんて食えるか」
午後のティータイムでビールを飲んでいる奴がよく言う。
「そうですか。では、暗い道には気をつけてください」
「客を脅そうってか」
「とんでもない。ただ注意を促しただけです。ある程度逞しくないと、路地裏なんかは危険ですので。暗くなると何かと物騒ですし。デンさん」
「ふん。お綺麗な顔した兄ちゃんこそ気をつけた方がいいぜ」
「早朝の、馬車が無いついでに体力づくりで宿町からここまで走って出勤し、空き時間に店の裏手を借りて剣の素振りをしている男に向かってのご忠告、ありがとうございます」
「……路地裏に引き込む方か」
「まさか。俺より弱い方に興味はありません」
ニッコリ笑顔を見せ、押し黙った客に背を向けて行こうとした。
「待った。……サーモンのムニエルを一つ」
「サーモンのソムニエルをお一つ、承りました」
厨房へ注文の内容を告げ、カウンターへ帰ってきた。
「君もなかなかやるね」
「なんのことでしょう」
「とぼけても無駄だよ。宿町に泊まってて剣を扱うなんて、腕に覚えのある旅人しか居ないからね。用心棒稼業もやるような鍛えられた男に、昼間から飲んだくれている漁師がかなうものかな」
「確かに、暴れる酔っ払いを店から放り投げた事はありますが」
「なるほど。彼は路地裏に連れ込まれたい方かな。美しい君に拐かされるのなら、この僕もやぶさかでないのだけれど」
「すかさずご自分を売り込まないでください。面倒です」
「おっと、嫌われてしまったか。弱い人に興味が無いと言っていたけれど。君が興味ある人は強いのかな」
「私など、我が主人の足元にも及びません」
「事あるごとに、「主人」と君の口から出てくるね」
「主人の為にとあるものですから」
「それは、忠誠心? それとも愛かい?」
「ご想像にお任せします」
「僕の想像に任されたなら、僕にもチャンスはあるのかな」
「主人よりも強いのなら」
「無理そうだ。僕は戦士ではないから、勝負も挑めない。強さに惹かれる質かい?」
「さあ、どうでしょう」
「そうやって、すぐにはぐらかす。それより。さっきから感じているのだけれど」
「何でしょうか」
「僕と他の客との話し方が違わないかい?」
「下町の方は、堅苦しい敬語に慣れていないので、慇懃無礼に捉えられることもございます」
「僕は?」
「最大限の敬意を」
「敬意というより、距離を感じるのだけれど」
「気のせいでございます、ゼラ様」
「うん。余計、距離をおかれたね」
芝居がかって肩をすくめるゼラ・パム。
彼と話しをするのは楽しい。大量の酒を飲ませようとする客や、ねちっこく口説いてくる連中と違い、節度ある対応をわきまえているのだから、気が楽でもある。逆に、相手を不快にさせない会話を心得ているだけに、口説き慣れている人たらし色男の印象は強くなるばかりなのだけれど。
「話が変わるのだけれど。デル・ダナ氏との進捗は如何かな」
「何も」
進捗も何も、あれから会ってさえいない。劇場で挨拶を交わしたとき、社交辞令程度にお茶に誘われはしたが、日時も場所も告げられていない。
あの約束が有効にしろ無効にしろ、出入りしている劇場はわかっているのだから、もう一度会うべきなのだろうが、なにせ暇がなかった。
「そちらは?」
「ぼちぼちって所かな」
ニヤリと口角を上げて含みのある顔をするゼラ・パムは、自身がありそうでも、虚勢とも捉えられ、いまいち実状がわからない。
チリンとドアベルが鳴って、また一人客が入ってくる。ゼラ・パムでも気を使って労働階級の格好に合わせているのに、男は如何にもどこかいいところに仕えている使用人の格好だった。気安い雰囲気だった店の客たちが若干強張って、いったいどこの者だろうかと様子を伺う態度に変わる。
「お仕事中、失礼します。私、デル・ダナ様の使いで参りました。ミラ様でいらっしゃいますか」
「様をつけて呼ばれるような男ではありませんが、ミラは私です。それより、ご注意を」
「失礼しました。では、おすすめの赤ワインを一杯と、チーズ等の簡単なものがあれば」
飲食店で用件だけを突きつけてくる客は客ではない。貴族の威を借りた無作法を押し通す使用人ではない、常識はあるらしい。
ゼラ・パムの隣を一つ空けて座る客に、ゼラがいつも飲んでいる酒の次に高い赤ワインと、チーズ盛り合わせの皿を出した。予算について何の注文もされていないし、良い格好して市井の店に来れば、それなりのものを出されて当然。労働階級が集う店の高い酒くらい、貴族の使者なら払えるだろう。
客は値段に渋い顔をしたものの素直に代金を払い、チーズを囓って一口ワイングラスに口をつけた。
労働者の寛ぎ時間を壊した分、売上に貢献したのだから、話をきいてやろう。
「それで。私に何のご用で?」
「デル・ダナ様は、明日の茶会に貴方を屋敷へ招待したいと仰いました」
「あまり大きな茶会であれば、お断りしたいところです」
「ご心配いりません。極めて個人的なお茶会でございます」
「デル・ダナ氏以外の客人は」
「エディリアナ様のみです」
「明日とは、また急ですね」
「ご予定が?」
職場に押しかけてきて仕事があるのかと聞いてこない辺り、俺の所在と仕事の予定を調べ終えいての、茶会の誘いだ。
「承知しました。謹んでお受けいたします」
「そのようにお伝え致します」
「ですが、貴族の茶会へ出向くような服装を持っていませんので、ご了承頂きたい」
「そちらについても、ご心配いりません。普段お召になっておられるもので結構です。では、明日午後に宿へお迎えに上がります」
きちんと酒とチーズを片付けて男が去ったあと、ゼラ・パムが両手を上げて笑顔を向けてきた。いちいち大袈裟に反応する。
「おめでとう。賭けは君の勝ちだ」
「何も賭けていませんが、ありがとうございます」
「では、いい酒を。君が選んでくれたら、チップを弾むよ。あと、今居る客の支払いを全て僕に」
盗み聞きしていたらしい客たちが湧いた。さっきまで、貴族の使者に警戒していたくせ、喜々として注文し始め、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
「なかなかミラに会えないことにデル・ダナ氏は痺れを切らしたようだから、やはり君の勝ちだよ。僕が方が先に彼女を紹介出来ると思って居たんだけれど」
特に勝ち負けを意識していないし、ただ単に予定が合わなかっただけなのだが。しかし、ゼラ・パムは満足げだし、店の売り上げが伸び、臨時収入もあったのだから、客たちの盛り上がりに水を差すのは野暮というものだ。
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