第42話 町での仕事は

 ラフィとの美術館デートのあと、空き時間を有効活用するため無記入の本を買い、借りた本の写本をした。何かの役に立つのかもしれないし、役に立たなくとも文章を書く練習にはなる。演劇台本は小説と違い、文字数が少ないから数日と掛からなかった。

 本を返しに漁港のパブへ向かう。

 ラフィは昨日、旅人が馬を預ける馬宿の仕事を早々に見つけて働き出した。どうも服屋でのことを根に持っているらしいが、接客とは無縁の、馬の世話の仕事を取ってきたのは、すぐに手が出る人嫌いのラフィ自身をよくわかっている選択だ。

 預けた馬は、どれが誰の馬かわかるよう、たてがみや尾に、リボンやら毛糸やらを編み込み、タグ、金属、ガラスのビーズだとか、リングだとかのアクセサリーまでして、人間よりもお洒落。

 個性色々カラフルに彩られた馬たちを、放牧の間の監視と、馬房の掃除を含めた馬の世話がラフィの仕事。今ごろ、馬房の掃除でもしている頃だろうか。大抵、馬の世話の最初は、小屋掃除から始まるものだし。

「こんにちは」

「やあ」

 パブのカウンター席でベリージャムのタルトを食べていたゼラ・パムと挨拶を交わした。

「綺麗な兄さん、今日は一人かい。またチョコレート飲みに来たのか? それとも、オレ目当てだったり? 困るなぁ、昼間っから店閉めたら売り上げが」

 パブの店員がニヤニヤとデレデレの混ざった笑みで揶揄ってきた。その、不味いと自覚しているメニューを出している本人が言うことではない。

「チョコレート、売れ残っているのですか」

「オレの方は無視か。チョコレートは、まあな。物珍しさにたまに頼む奴は居るが、一回味を知ったら次は頼まねぇから」

 貴重ながカカオが嫌厭されているなんて、おかしなこともあるものだ。

「ゼラさん、私が淹れますので一杯如何でしょう」

「せっかくだけれど、お腹がいっぱいでね」

「その皿に乗っている残りのタルトよりも、腹の居場所を圧迫しません。マスター、俺が厨房へ入っても?」

「チョコレートが一杯でも売れるなら構わねぇよ」

「僕はこれで失礼するよ」

「まだ本を返しておりません。それに、タルトも食べ終わっていませんよ?」

 ヒラヒラと借りた本を見せびらかすと、ゼラ・パムが眉尻を下げた。

「人質をとられた。仕方ないね」

 本気で帰るつもりではなかっただろうに。

 浮き掛けた腰を再び椅子に戻して観念したのを確認し、俺はカウンター中の厨房へ入る。

「砂糖とミルクを貰えますか」

「何にするんだ?」

「俺の知っているチョコレートを作ろうかと」

 興味津々と手元を覗いてくる店員の前で、カカオ豆を煎って荒く砕いていらないものを選り分け、それから石臼で丁寧に挽く。ドロドロになったカカオを砂糖とミルクを加えて小鍋で温めた、一杯分のチョコレートをカップに入れてゼラ・パムに出した。

「甘い、いい匂いがするね」

 スパイス入りのチョコレートとは違うにおいに、渋かった彼の表情が変わった。

 甘く、濃厚なカカオの香り。

「とても滋養強壮の薬とは思えない、魅惑的な香りだ」

 カップの淵に口をつける。

「これは、いい。まろやかになって苦味が抑えられているのにカカオの香りがより引き立って。舌触りも滑らかで、特別な幸福感を覚える贅沢な味だ」

「気に入って頂けたようで」

「あぁ、気に入った。これなら、媚薬と言っても頷ける」

「初めて聞きました」

「おや? 誘われているのだとばかり」

「子供の頃、我が主人に頂いた味です」

「また、主人か。君の国は、裕福な国なんだね」

「先ほどは、滋養強壮の薬だと仰っておりました」

「どっちもさ。何にでも効くらしい」

 何にでも効く薬なんていうものほど胡散臭いものはない。

「まあ、効果の程は置いておいても、この味なら流行っても納得だ」

「へー、そんなに味が違うもんかい?」

 ゼラ・パムが大袈裟に騒ぐものだから、店員まで興味を示してくる。

「一口どうだい?」

「いいのか。じゃあ、遠慮なく。……これは美味い」

「だろう?」

 俺としては当たり前の味なのだが、思いの外喜んで貰えた。故郷の味が受け入れられ、悪い気はしない。

「暫くこの町に留まるのですが。遊んでいるのも性に合わないので、何処か働ける場所があれば紹介して下さいませんか。飲食店での経験があるので、出来ればそちらの方向で」

 要塞都市の中で金持ち客を相手にした飲み屋の接客だとかの方が収入はいいだろうが、ラフィが服屋でああ言った手前、上流階級に目をつけられる目立つ場所よりも市井の食事処で働いた方が安心するのではないか。

「なら、ウチで働かないか」

「短期ですが、大丈夫でしょうか」

「短期だろうが、長期だろうが、大歓迎だ。アンタみたいな料理上手な美人が居れば、店が客で溢れるぞ。なんなら、オレの隣に終身雇用でも」

「別の働き口を探そうか」

「冗談だって」

 隙あらば口説いてくるのは、この町の人間特有らしい。

「僕の席、とって置いて貰えるかな」

「その分、金落としてくれるならな」

「なら、一番高い酒をキープしておこう」

「毎度あり」

 なんの躊躇いもなく、本当に酒の支払いをするゼラ・パム。彼にとって、チョコレートも酒も何でもない出費なのだろう。労働階級の収入では手が出ない高級な酒が売れ、ちゃっかり商売している店員の満面に笑みだ。

 子供の頃の思い出の味で、首尾よく仕事を貰えた。

「これから入れるか?」

「連れが居るので、夕食前には宿へ帰りたいのですが」

「そうか。じゃあ、夜の仕込みをしている間だけ、接客を頼めるか」

「わかりました」

「外套は、カウンター中にコート掛けがある」

「なんか、僕とマスターの対応が違わないかい?」

「ゼラ・パム様はお客様でもありますので、同じ扱いは失礼かと」

「僕にも気さくに接して貰いたいのだけれど」

「お客様、空のお皿をお下げ致します」

「ここは、気取った高級店ではないんだよ?」

「安い店で悪かったな」

 高級店並みの酒の代金を受け取っている店員の声が厨房から聞こえ、ゼラ・パムが芝居がかって肩をすくめる。

「連れないね。そういうところも、ミラの魅力なのだけれど」

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