第41話 美術館デートと突然の不機嫌

 正直、絵に興味のない俺には美術館なんて退屈な場所だ。だけど、身を乗り出して、眉間にシワを寄せたり、目を見開いたり、細めたりと、だらしなく口を半開きにして百面相をしながら絵と睨めっこしているラフィの顔を観察する分には飽きない。

「口開いてる」

 注意すると、パクンと閉まる。

 暫くもしない内にまた開いてくる。

「口」

 パクンと閉まって、開いてくる。

――アンタは鯉か。

 絵画鑑賞を楽しんでいそうでなにより。

「この絵、ミラに似てるな」

 ラフィが見ているのは、『狩猟の女神』とそのままのタイトルが付けられた絵画だった。作者の名前がナナ・ノコ、所有者の名前がハン・リタ。作品を借りて展示しているのか。

 三匹の猟犬を従え、女神の背丈を超える巨大熊に矢を射かける、勇ましい狩りの様子を描いた絵だ。

 狩猟の女神とは、月の女神と同じ存在とされ、また、処女神でもあると、キギ・コナの屋敷にあった本で読んだ。

 アトリエの親子が俺を見て驚いていたのはこれのせいか。

 だが、俺は男であるし性別が違う。狩りはともかく、貞操とは無縁の俺には似ても似つかない。

「長い黒髪で肌が白いだけだろう」

「そうか? 顔も似ている」

「皆が想像する美人とは、特出した個性が無いものです」

「ミラは美人代表だからな」

「そうですね」

「謙遜も否定もしないところが、ミラらしい」

「事実なので。ですが、持ってあと数年ですかね。人間なのだから歳は取る」

「お前なら綺麗な歳の取り方するんじゃないか。……それはそれで困る」

「何が?」

「いや、その、色気が増しそうだなと」

「それで、何が困るので?」

「下半身とか……色々。色々だ」

「いつまでもお元気なことで。負ける気はしないが」

「困る……色々、困る……」

 頭を抱えるラフィと、いつかしたような話を飽きもなく繰り返して、他の絵も見て回る。

 そのうち絵に夢中になり、暇になった俺は何ともなしに辺りを見回してみる。出入り口付近の壁に埋め込まれた石版に気づき、刻まれている出資者の名前を眺める。知った名前は無い。この町には知り合いが殆ど居ないのだから、当然か。

 次にラフィが目を留めたのは、木炭で描かれたスケッチが一枚と、小さな油絵が一枚。『習作』とあり、作者はシビ・ジア。ジアの作品はこれだけだ。

 俺にはよくわからないが、どうも作品数が少なく、比例して来館客数もパッとしない。

「寂しい所だな」

 美術館の現状に、ラフィが遠慮なく感想を口にした。

「平民が普段着で気軽に入れる美術館なんてこんなものでは」

 安全面を考えれば、高価な絵は客を選ぶ美術館へ展示するものではないのだろうか。

「展示数は少ないが、作品はどれも鑑賞する価値のある物だ。警備もしっかり居る。せっかく展示しているのに、人目に触れないのは勿体ない」

 勿体ないのは土地代か、人件費か。

「客を入れるより、絵を売った方が金になりそうですね」

「金の問題じゃない」

 勿体ないというから金の話だと思ったのだが。俺には価値観がよくわからない。

 美術館の後は、服を見に行く。

 新品から古着まで扱っている店だった。ここなら、俺たちの財布からでも無理のない範囲で買える。

 オークション開催予定日は、春先頃になる。現在着ている冬ものを買い換えるに丁度いいが、もう少し寒い日が続くだろう。

 本人に任せるとぞんざいに選ぶので、ラフィの着るものを選ぶ。春だから……ジャケットの上に着る春ものの外套をオリーブグリーン、中は明るめのグレー、シャツは白、アスコットスカーフは鮮やかなターコイズブルー、帽子は外套の中のジャケットに合わせたグレー。ラフィの髪色に合わせて見立てる。裾上げが必要なものもあるから、裾上げ代を上乗せして頼んでおいた。

「宿へ届けて貰うことは可能でしょうか」

「ご希望でしたら、お届けします」

「古着の買い取りは?」

「可能です」

 ラフィの春ものを届けて貰うついでに、ゼラに貰ったもの一式を売ってしまおう。服の代金の足しにもなる。

 こっちは選び終わったのに、ラフィはいつまでもジャケットを手に取っては戻すを繰り返す。いつもなら、あれを着ろだの、こっちの色の方がいいだの、鬱陶しいくらいに服を当ててくるのに、妙におとなしい。

「気に入ったものが見つからないので?」

「別に」

「オークションまではまだ時間がある。他の店も回ってみますか」

「……いい」

「正装が無いと困るのだが」

「お前にこんな安物は似合わない」

 今まで経済的な不満を漏らした事など無かった。

「収入に似合う分相応な価格です」

「俺に甲斐性がないと言いたいのか」

「どうしたのですか。今の生活に不満があるのか? 確かに、俺の収入は多い方ではありません。それでラフィに我慢させる不自由な生活を強いているのなら申し訳ありません」

「お前のせいじゃない」

「この花街であれば、もっといい収入の職業を見つけられるでしょう――」

「やめろ! お前のそれはろくな案じゃない。そもそも、生活に不足は無い。満足している。お前は、普通の飯屋の厨房にでも居ればいい。余計な気を起こすな」

「では、何故、突然服に掛ける金額の話になったんだ」

「……別に。お前は買わなくていい。持っているのを着ればいいだろう」

 プイッと顔を背けて、店を出て行く。

 ラフィの分の会計を済ませ、宿の名前を言って慌てて後を追った。

「ラフィ! どうしたんだ」

「帰る。ついてくるな」

「帰る宿は同じです」

「なら、先に帰っていろ」

「ラフィはどうするんだ?」

「お前には関係ないだろう! 一人にしろ!」

 怒鳴って、宿とは逆方向へ踵を返すラフィ。

「夕食までに帰って来てください。それ以上になったら、捜索隊を依頼します」

「うるさい!」

「夕食のメインは鶏肉です」

「わかった!!」

 怒ってズンズンと行ってしまうラフィを見送り、一人で宿に帰る。その後、犬の帰巣本能と忠誠心よろしく、言いつけ通り夕食前には帰って来たし、食欲もいつも通りで、腹を立てていたことを忘れてきたのか、それとも一人になって収めただけなのか、今ひとつ判断がつかない。

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