第37話 男たちの悪巧み
用意された席は、一般の観客席を見下ろす、壁一面に蜂の巣の如くある個室の一つ。緞帳を下ろせば完全に孤立した空間になる。外からは中で何が行われているのかわからない。愛人と過ごすにはうってつけの場所だ。
俺たちが居る個室は、舞台が斜め右下にある。真っ正面とはいかないのだけど、上流階級がとれるいい席だ。
つかず離れずあとをつけてきていた男が、途中で何人かとコソコソ接触していたから、俺たちの話を聞き、裏で用意していたのだろう。でなければ、こんなスムーズに個室をとれない。
細やかな仕事が行き届く使用人を抱えるゼラ・パムとは、一体どういった地位にあるのだろう。
開演前の今、大抵の個室の緞帳は開いている。入場して早々事を成すのは紳士として品位に反する行為だ。余裕の無いガサツで無粋な男だと思われたくない、見栄で出来ている上流階級の常識。
個室の一つ、舞台の真向かいに当たる席にデル・ダナとエディリアナが居た。
エディリアナの年齢は二十代半ば程度で、ダナとは親子以上も年が離れて見える。だが、そっと側に咲く野生の白百合の如く寄り添い、しおらしく遠慮がちに座るエディリアナの態度と、それを満足そうに横目を向ける男の顔に浮かぶものは、どうみても親子の情ではない。
「ぜラさんはダナさんとはお知り合いなので?」
「社交場と投資の仕事関係で何回か。それが何か?」
「馬車を見掛けたとき、エディリアナさんのこともそうですが、デル・ダナ氏について詳しそうでしたので」
「貴族の間では、まあ名前くらいは知られているかな。ダナ家は騎士の家系でね。彼も王都で隊長職を勤めていた。一〇年ほど前は鍛えられた体躯に色気のあるいい男だったのだけれど、すっかり年相応になってしまって。今も現役だったら、一夜の恋もやぶさかではなかったろうに、残念だ」
無節操な、という感想はおくびにも出さずに話の続きを聞く。
「現在の彼は引退して家に戻り、絵画のコレクションも兼ねて美術館に投資をしている。僕から見れば、趣味みたいなものなのだけれどね」
早めの悠々自適な隠居生活か。
エディリアナにはどうやって接触すべきかが問題だ。堂々と社交場に姿を晒しているのだ、国から追われて逃げてきた女ではないだろう。そうだとしても、見ず知らずの男が彼女に直接声を掛けても、エディリアナ本人、もしくはデル・ダナに警戒される。
「高級娼婦も複数の客を持つものですか」
「そうだね。だけれど、パトロンは常に一人だ」
「男の方が囲いたくなるのでは」
「彼女たちは気まぐれに他の客と遊ぶ。けれど、パトロンはあまりいい気はしないよね。
好きなときに呼びつけて隣に置いて、相手をさせる権利を買っているのがパトロンなのだから。
パトロンが人を選んであてがうときもある。接待の一環で相手をさせたり、彼女たちを退屈させない為の遊び相手だったり。その分、彼女たちに良い物を買い与え、贅沢な生活を保障するのだけれど」
「暗黙の了解で、彼女たち自身が選んだ者と遊ぶ事はあるけど、パトロンに見つかると気分を害される」
「パトロンが彼女たちを所有する主人で、他の客は彼女たちが楽しむ為のおもちゃでしかないし、おもちゃは飽きなければならない。その辺りの分別があるのも、高級娼婦の取り柄だ」
デル・ダナに知られないように接触するか、デル・ダナからエディリアナを紹介して貰うかのどちらかか。
ぜラ・パムがエディリアナに向ける目を細める。
「彼女は優れた女性だ。賢く、気立てがよくて、楽しい時だった。あの時間ほど、忘れ難いものはない」
エディリアナが居る個室に視線を戻す。デル・ダナと目が合い、微笑んで見せると、向こうもニコリと返してきた。
「ダナさんに挨拶をして来ますので、その間にエディリアナさんに挨拶をされたらどうですか」
「いいのかい?」
「私は高級娼婦の客になるつもりはありません。同郷の者から故郷の話を聞いてみたいだけの興味です。やましいところは一つもございません」
「君は、ね」
「私がダナさんから紹介して貰うのが先か、貴方が連れてくるのが先か」
ぜラ・パムがニヤリと笑った。悪巧みをする小僧のような悪い表情も、妙に似合う。
「いいね。面白そうだ、乗ろう」
今度は意識して、デル・ダナを見る。どうやら向こうも、こちらに興味があるようで再び視線が合った。
席を立つデル・ダナに合わせ、こちらも席を立つ。
デル・ダナの個室に当たりを付けて廊下を歩くと、行き交う人の中に、若干ふくよかな中年男を見つけた。身長はぜラ・パムと変わらないが、堂々としたものがあり、かつて騎士だったことを思わせる。都合通り、一人だ。
「すみません、飲み物を買いに出てきたのですけど、初めての場所で不慣れでして。失礼でなければ売店までご一緒して頂けないでしょうか」
声を掛ければ、デル・ダナが相好を崩す。
「構わないよ。私も丁度、売店へ向かうところだ」
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