第36話 高級娼婦の世界

 ランチを終え、歩いて劇場へ向かう。すると、玄関前のポーチに一台の馬車が駐まる。端に金で尾がニ本のイルカの紋章がある。

「デル・ダナ氏の馬車だね」

 ぜラ・パムが呟いた。

 五十歳を越えた程の年齢に見合う若干ふくよかな男が、使用人が置いたステップを踏んで馬車から出てきた。振り返って馬車に手を伸ばし、その男にエスコートされて後から姿を現した。

「彼女がエディリアナだよ」

 俺の隣で視線を釘付けにしたぜラ・パムが、ほうっと小さくため息をつく。

「意外でした。男装の麗人だなんて」

 娼婦と聞いていたから、ドレスを纏った華やかな女を想像していた。実際、目にした女は、黒髪をボブカットにし男物の服をスマートに着こなす姿だ。だが、男に見間違う程のものではない。寧ろ、化粧を施し、髪をフワリと整え、相手の男に優しく微笑む表情から、可憐に見せる仕草、手指の爪から足先まで女性そのもの。だからこそ、際立つものがある。

「彼女はきっと、ドレスも似合うのだろう。自分好みに仕立ててみたくなる女さ。選ばれた男の前でしか、エディリアナが本来の姿を晒さない。それはそれで、そそられるよ」

 すらりとした華奢な体躯に、顔立ちは一つ一つのパーツがはっきりしていて少々うるさくも見えるが、基本的に整っている。これくらいの女なら、かつて王子だったラフィの回りには掃いて捨てるほど居た。

 ミステリアスに演出し、他と差をつけて自身を売り込む彼女なりの戦略が、この国にあって異国の美女という立場のエディリアナを余計に魅力的に見せていた。

 これが、俯瞰から見た、彼女の第一印象の評価だ。

 国に居たころ、これ以上の美女がラフィの周りに山ほどあって、見慣れている俺個人としては、なんとも平凡だとしか思わない。

 だけれど、俺を前にしたゼラ・パムよりも彼女に対する言葉は少なめで、心なしか素朴なものに感じる。彼女の、外見以上の魅力を彼は知っているのかもしれない。

「見てくれは君以上の美人に出会った事がないけれど」

「ほめ言葉として受け取っておきます」

「本当だよ。美しい見た目以上の魅力はこれから知られたらと思っている」

「構いません。まだランチを一度ご一緒しただけですから」

「つれないね。君のそんなところに皆が惹かれるのだろう」

 芝居がかって肩を竦めるぜラについて、劇場へ入る。

 受け付けでチケットを買っていると、エントランスホールが俄に騒がしい。男女の痴話喧嘩が耳に届いた。

 あでやかなドレスの女がヒールの踵で男の足を踏みつけ、怒った様子でつかつかと劇場を出て行く。

「彼は女心の判らない客だったんだろうね」

 ぜラ・パムが苦笑した。

「こういった所には疎いものでわからないのですが、出て行った彼女も娼婦なので?」

「娼婦と高級娼婦には明確な線引きがされていてね。高度な教養がなければ、なれるものではないよ。

 だから、高級娼婦たちは態度の悪い客の足を踏みつける権利を持っている。自分を低く見積もっている女は高級じゃないからね。客側も彼女たちの扱いについて学ばなければ、客として認められない。

 しかし、これだけ激しいのは久々に見た。彼はまだ若いようだから、無作法だったようだ」

 高級とつくからには、それなりの技量や人となりを求められるということか。だからといって、ただ気位が高いだけでは客が付かない。美しく磨かれた見た目以上に、見合う気転に一挙手一投足の所作、上流階級に通じる常識と教養を身につけての高級娼婦。情欲を消費するだけの、庶民の手が届く娼婦とはまた違った、専門職なのだ。

 なかなか奥深いが、それだけ闇が深そうな職業でもある。

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