第35話 恋に恋した町

 俺が希望した通り、全て徒歩で行ける範囲内の店だった。ただ、服を選んでいたときも、道を歩いていても、こうして客の多い一般席で食事をしていても、視線を感じる。

 目立つから、という好奇の目もあるがそれではなく。

 一般人に紛れ、遠巻きにさり気なく、つかず離れず付いてくる男が一人。敵意や悪意は感じられない。詐欺師のお尋ね者が、町役人に監視されている警戒色でもない。

 ぜラ・パムは用心棒がいる服屋で、値段を見ずに選び、支払いは屋敷に請求させて、知り合ったばかりの者に買い与えるような男だ。ぜラ・パムの家が金回りに見合った地位にあるのかどうかは判断しかねるが、裕福なのは間違いない。だから、一人歩きが好きな放蕩主人を邪魔しないよう、従者や護衛が付いていたって不思議ではない。むしろ、町で二回会っただけの知り合いとも言えない者に親しく接し、自由勝手に振る舞う主人を気遣う、そちら側の心中を察する。

「出来合いのものばかりで悪かったね。本来なら、君の為に全て作らせるのだけれど」

 一般席で、ランチコースのメインに出てきた鴨肉とレバーのパイ包みに赤ワインで昼食を摂りつつ、真向かいに座るぜラが眉尻を下げる。

 服屋で買ったばかりの服のことだ。

 膝が隠れる長さの落ち着いたグレーのコートに、黒のパンツ、コートの中には黒のジャケット。それから、多少かしこまった場でも被れるコートと同じ色の帽子。さり気ない装飾が施された黒いガラスのボタンから、着てしまえば見えない箇所の丁寧な縫製まで、素材もデザインも、どれも一級品で洗練されている。

 イタチや山猫の総毛皮の派手派手しいコートでも着せられたら、断って帰ろうと思っていたところだった。流行りに敏感な都会に住むだけはある、いいセンスをしている。

 ちなみに、俺が元々着ていたものは、店で預かって貰っている。山の町の外套は都市でもいいものらしく、外側の羊毛生地が若干くたびれている古着でも、それなりの値が付くそう。古着の買い取りもしているところは大抵、古着屋にまとめて卸してしまうのだが、仕立て直しにも回される。傷んでいるのは外の生地だけだから、ほどいて内側の毛足の長い羊の毛皮と分け、新しい布と縫い合わせてしまえばいい。

「この町の流行りを知ることができて興味深い体験でした。デザインだけではなく着心地も良くて気に入ってます。いいものを下さって感謝します。

 ここの料理も味がいいですね。肉は柔らかく丁寧に仕込まれていて、野菜に香草、林檎を使ったほんのり甘酸っぱいコクのあるソースとパイの香ばしさに、赤ワインの調和が素晴らしい」

「君をここに連れてきて、本当によかった。町では海鮮が多いからね、肉にしてみたんだ。

 カトラリーを持つ指が美しい。綺麗な所作だけじゃなく、舌まで繊細だったとは。さては、王族か名のある貴族では?」

「ご想像にお任せします」

 ぜラがニコニコしながらワインを傾ける。

 全て奢ってくれるというのだから、いい気分にしてやる会話と、相手に見合う振る舞いくらいは礼儀の範ちゅうだろう。

 ぜラ・パムの見てくれは悪くない。美丈夫に入る部類だ。尚かつ、気前も良い。美術商の娘マカくらいの純心さがあれば、男でも女でもイチコロだろうに。そんな男前を相手にしているのは、残念ながら、酸いも甘いも知っていて特定の相手を持っている俺。なんのロマンスにも発展しない。

「不躾な質問なのですが、ご結婚は? それによって、私も接し方を考えた方がよいかと」

 同性同士の恋愛に対する偏見がある国や概念の無い国ならいざ知らず、ここ、大らかな国では事前に対処しておきたい問題だ。その気もないのに下手なことをして他人の家庭を引っ掻き回し、巻き込まれるのは不本意。

「気になるかい?」

「えぇ、とても」

「美人に艶っぽく強請られると、なんでもしたくなってしまうよ」

「ゼラのことが知りたい、と言っても教えてくださいますか?」

「君もなかなかだ。僕のことは気遣わなくても平気さ。なにせ、ここは恋の町だからね」

「独り身たちが相手を探して集まる町ではないことは知っています」

「あはは、そうだね。でも、あながち間違いでもないかな」

「どういう事でしょう?」

「僕は一二で結婚したんだけど。彼女は伴侶としてよくやってくれているし、そんな気立ての良い彼女を尊敬し、愛している。

 だけど、家同士の都合で結婚した相手に、娼婦のようなサービスを強いるのは違うだろう?」

「その手のことはその手の専門家に、ですか」

「彼女と僕は家を守り、盛り立てる同志だ。お互いの自由を尊重しつつ、仲の良い家族。

 だけど、この町では愛を探して来る一人の人間。伴侶を連れてこないことが、暗黙の了解。例えこの町で彼女とばったり出会っても、知らないふりをするのがマナー。

 だから、僕の家族に関して遠慮することは無いんだよ」

 上流階級の結婚の殆どは、家同士の繋がりを作るもの。恋愛結婚こそ珍しい。

 挨拶変わりに声を掛けられるこの町の実態を、今の話で理解した。そういう町なのだ。

 画家シビ・ジアを、刺し殺す夫人のような我を忘れる恋に憧れるところも、この実情があるからだろう。

 恋に恋した、恋愛ごっこが体験ができる町。

 何故かラフィの顔が浮かんだ。他人が入る余地がない、当たり前に「俺がお前無しで生きていけると思うのか?」と抜かした、拗ねた顔。年甲斐もなく、俺無しでは生きていけない男。

 そんなラフィの傍にいられることが、幸運なのだ。

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