第33話 アトリエの親子
着いたのは、こぢんまりとした画商のアトリエだった。中は絵画やその道具類で雑然としていて、油絵の具のにおいが充満している。絵を買い取って転売するよりも、絵の鑑定や修復が主な売り上げとなっている店だ。
俺たちに対応したのは、五十代頃の、髭を蓄えた熊みたいな男だった。古風な店構えに合った、落ち着いた雰囲気がある。
「こんにちは、アロさん」
「初めまして、ミラと申します。本日はよろしくお願いします」
ヤガに続いて挨拶をすると、俺と目が会った一瞬、男の時が止まった。目が合った生き物を石にするメデューサも、本当はただの人間で、ただならぬ美女だったのではないか、と冗談っぽく思うほど見事に止まっていた。
熊のような男がハッとし、慌ててお辞儀をしてくる。
「すみません、絵の中から女神が出てきたのかと」
「流石、商売人はお上手でいらっしゃる」
「あ、いえ、取り乱してすみません。こんにちは、ヤガ様。ミラ様、初めまして。アロ・ナクと申します。遠いところから、ようこそお越し下さいました。絵の鑑定でしょうか」
「うん。三点なんだけど。お願いします」
「拝見いたします。そちらのソファーに掛けてお待ち下さい」
客の対応だけではなくアロ自身が鑑定するとは。
促されるままソファーに座る。一人でやっている店のかと思いきや、二十歳行くか行かないかの若い女が茶を出してくれた。年齢的に孫か、それとも遅い子供か、少しワシ鼻気味なところがアロに似ている。
チラッと目が合うと、彼女はにかんで頭を下げた。
「ほう、シビ・ジアの作品ですか」
アロがしげしげと見ているのは、花瓶に花が生けられた絵。ラフィの持ち物だ。
「有名な画家なのですか?」
画材の知識はあっても、この国で活躍している画家の知識は皆無だ。
「それはもう。シビ・ジアは人気の高い画家でして。作品も、その人生も含めて」
「画家その人に人気があるのですか」
「派手な生き様だったみたいです」
絵の鑑定に忙しいアロのかわりに、お茶を出してくれた女が答えた。顔を向ければ、頬がほんのり赤く染まる。
「も、うし遅れました。アロの娘、マカです」
孫ではなく、娘だった。余計なことを言わなくて正解だ。
「マカさんは絵に詳しいのですか」
「えぇ、それなりに。父には物心つく前から美術館へと連れ回され、それこそ子守歌かわりに絵の解説を聞かされて育ったもので」
「英才教育ですね」
「いえ、そんな……」
微笑んで見せると、マカは耳まで赤くして俯いた。華やかな町に住んでいるわりに、素朴で素直な反応だ。都会に擦れていない。絵の知識もそうだが、遅く出来た娘だから、父親が余計に可愛がっているのではないかと察する。
「それで、シビ・ジアという画家のことは」
「あ、はい。先ほど申し上げた通り、絵の才能もさることながら、派手な生活をしていた画家です。田舎出身でしたが、彼の描く絵が評判になり、話の上手な人で貴族達にも人気だったとか。宮廷お召し抱えの画家の一人になったほど」
「成り上がりの話は皆が好むところですね。派手な生活とは?」
「あちこちの貴婦人と愛人関係にあり、嫉妬した夫人に刺され、若くして最期を迎えた」
恋に奔放なのは、資金援助をしてもらう金持ちを探す、口の上手い芸術家にありがちな話だ。
「亡くなられたのは、どれ程前の話ですか」
「四十年程前です」
「未だに人気なのですね」
「私にはわかりませんが、華やかな話に憧れを抱く方が多くいらして」
そう言って困った顔をした。
本当に大切に育てられているのだな。
憧れといっても、体験してみたいというわけではない。
例えば、歴史上の王が最期に信じていた家臣に裏切られて処刑台も送られる悲惨な死を遂げたとしても、その生き様や人柄に憧れを抱く。
他人の人生にどれだけ共感し、涙したとしても、話に聞いたり読んだりし、頭の中で想像した産物でしかない。どんな人生だって、当事者でなければ想像物に過ぎない。
だから、自分には無い華やかな他人の人生に憧れるのだろう。
まあ、俺は自分の人生に一応満足はしているから、他人の人生に憧れることはない。そういうこともあるのだなと、実在した物語として聞くくらいだ。
「故人の作品は限りがありますから、本物ならそれなりの金額になると思います」
「偽物でジャガイモ以下の価値なら、竃の焚きつけにしていいと主人に仰せつかっております」
「キャンバスに描かれているものであればどんな絵でもジャガイモよりは高く買い取りますよ」
クスクスとマカが笑う。
田舎者だと足元を見て安く買い叩こうとしても無駄だぞ、といった牽制も、額面通りに受け取る純粋な娘だ。上流階級の居る町で、これはちょっと大丈夫なのかと余計な心配をしてしまうくらいに。
「マカさんはニフという作家を御存知ですか? 町で演劇が人気だと聞いたもので」
「ニフは歴史を元にしたシナリオを書く作家です」
若い女なら流行りに詳しいと思って質問したのだが。知っていたには知っていたが、歴史ものか。娼婦なら、恋愛ロマンスを好みそうなものなのに、歴史ロマンスとは。相手の男の好みに合わせているのだろう。
「演劇に興味がお有りでしたら、台本の写本を扱っている本屋がありますよ」
「店を教えて下さいませんか」
本屋の店名と場所を教えて貰う。
話に入らず、真剣に絵に向き合っていたアロが顔を上げた。
「今すぐには判断しかねます。少し預かってよろしいでしょうか」
「何日掛かりそう?」聞いたのはヤガだ。
「二日……いや、明日には」
「ミラ君も、それでいい?」
「はい」
「マカ、今日は店仕舞いだ。美術館へ行くぞ」
俺たちが了解すると、アロが途端にバタバタと身支度を始める。戸締まりもせずに飛びだして行きそうな勢いだ。
「お父さん、もう! お客さんがまだ居るんだよ?!」
「すみません」
「しっかりした娘さんですね」
申し訳なさそうな親子に、ヤガが柔和な笑みを溢した。
「その美術館の場所、教えて貰えませんか。後日、ウチの主人と一緒に回ってみたいので」
絵に興味があるラフィだから、きっと喜ぶだろう。
「あ……主人って、そっちの……」
「マカに男は居らん」
「お父さん!」
「傷つく前で良かっただろ」
「やめて、恥ずかしい!」
顔を真っ赤にして抗議する娘と、娘を悪い虫から守りたい父親の寸劇が目の前で繰り広げられ、微笑ましく見守った。
美術館の場所を聞き、賑やかな親子の店を出る。商売に行くヤガたちと別れた。
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