第30話 ただ、淋しい
日の出前に起きて明るくなる頃には行動を開始するいつもと比べれば、日が昇る頃の起床はのんびりしている方。
身支度をし、隣のベッドを覗く。ラフィはまだ夢の中だ。
「朝食を買って来ますで、ゆっくり寝ていろ」
安心しきった健やかな寝顔にキスをして、部屋を出る。
宿屋のカウンターで今の時間やっている店の情報を得てから外へ出た。あちこちの建物の煙突から吐かれる煙のにおいがする。早朝から働く労働者の為に、朝食を出している食堂は多い。
外套のフードを被って防寒し、白い息を吐きながら人々が行き交う。皆、忙しいようで人の顔など見ていない。呼び止められることなく、足早にすれ違う。
宿屋の従業員がおすすめだと言っていた食堂で、良さそうな料理から辛くないか聞き、まずは自分が食べて味を確かめる。
貝のダシが効いた野菜たっぷり具だくさんの塩味シチューに、オーブンで表面が香ばしく焼けた、中がホクホクのベイクドポテト。それから、レモンを絞った汁に砂糖を加えて水で割った爽やかなレモネード。子供の頃はにおいが酸っぱいと言って口もつけなかったが、船乗りにとってレモン果汁が生死を分ける、栄養が不足しがちな長い船旅をしてから料理に掛ける程度のレモン汁が平気になり、今ならこれくらいの甘いジュースならラフィでも飲める。
持参した木箱にベイクドポテト、蓋付きのスープカップにシチューを、同じく蓋付きのコップにレモネードを入れて、トレーに乗せて宿まで運ぶ。
食事をする客に混じり、俺と同じように食事を外へ持っていく者も居た。こういった大きな町では、雇われた使用人や、いいところの宿屋の従業員が、主人、または、客の為に運ぶ光景は珍しくない。
起こさないと起きないラフィだ、まだ寝ているだろう。
そう思って部屋へ帰ったのだが、珍しいことに起きていた。
上体を起こして背中を壁に預けて、ボンヤリしている。瞼は半分しか持ち上がっていないし、起きているのか寝ぼけているのか、ちょっとわからない。
「おはようございます、ご主人様」
「ぉはよぅ……」
目を擦りながら欠伸をしつつ、返してきた。
挨拶を返す判断ができるくらいは起きている。
俯き加減のラフィが自身の腹を擦る。
いつもと何か違う。
心なしかしょんぼりと肩を落としている様は気落ちしているような、朝から仄かに暗い哀愁を纏っている。寝起きで不機嫌、といういつもの様子ではない。
「お腹空きましたか?」
「……まぁ」
「朝食を買ってきましたので、冷めないうちにどうぞ」
「うん」
下腹に手のひらを当てたまま、ベッドから出ようとしない。
これは、何か考え込んでいるのではないか。
頑固というか、不器用。発散することもままならなず、そうやって積み重なって抱えきれなくなると、自暴自棄になり、ラフィ自身を傷つけた過去があった。
ぼんやりしている今のままだと、町を歩いているだけでも不注意で馬車に轢かれそうだし、色々と危うい。
小さなテーブルに朝食を置き、カトラリーを並べながら何気ないように話す。
「調子が悪いので?」
「いや」
「お腹が痛いのですか?」
「腹よりも、尻と股関節の方が」
「なら、よかった」
「うん……? ん?」
「何か気になることがあるのか」
「……別に」
一瞬、話しやすい空気になったのに、核心に触れようとすると顔を俯ける。
ラフィの傍に寄り、ベッドの端に腰掛けた。
「言いたいことがあるのだろう」
「無い。……言ってもどうにもならない」
「世の中、全て答えが出る問題ばかりではありません。解決方法が無いものだって多くあるし、解決しないものもある。解決しないからといって、それが悪いということじゃない。
答えがなくても、どうにもならなくてもいい。溜め込んで。言ってどうにもならないことでも、話すことで楽になることもある。
うまく話せなくても、ゆっくりでいい、無理やり飲み込むよりはずっといい」
「……そんなに大したものじゃない」
「天気の話でもしますか」
「何故いきなり。どうせ雪曇りだろう」
「晴れ間も見えそうだった」
「茶化すな」
「大した話ではないでしょう?」
「……。軽い話でもない」
「聞いてみなければわからない」
「ミラがそこまで言うなら、じゃあ……」
息をついて、吐露し始めた。
「俺が、どんなにミラを思っていても、何も残らない」
ラフィはまた下腹部にそっと手を添えた。
「子供が欲しいのか」
「違う、そうじゃない。子供はいらない」
そうだろうな、と喉まで出かかったが口には出さない。自分の感情すら持て余していて、ギャアギャアと騒がしい場が嫌いで、成長を拒み、何時までもわがままで自分勝手で子供じみた魂の持ち主に子育てなんて不可能。
孤児院でリーダーをやっているしっかりした子なら、ラフィの世話をしてくれそうではあるが。新しい家族が欲しいという話では無さそうだ。
「女だったらよかった?」
「女になりたいだとか、女だったらよかっただとか思っていないし、考えたこともない。男であることに不満はない。今となっては、俺もお前も、男でよかったと思っている」
「そうですね。それについては、俺も同じ考えだ」
「……うん」
「それで? それでも、何か思うものがあるのだろう?」
「どんなにミラと過ごしても、何も残らない。そう思ったら、なんか……虚しくなった」
「かたちになろうと、いずれ生き物が死んで朽ちていくことは自然では」
子孫があろうと無かろうと、どんな思いがあろうが、どんな生き方をしようが、好いていようが嫌ってようが、いち個人の本質的なもの、物質としての肉体も精神的な思いも、この世にあるもの全て、いずれは朽ち果てていく。
時間の流れが止められないように、若く生気に満ち溢れた生き物でも年老いて死を迎えるのと同じく、いずれ消えてなくなるのは当たり前ではないか。
「野生動物のように野で朽ち果ててもいいと思っていた。俺がミラを好きでいることはずっと変わらない」
ラフィは、ほぅっと小さく息を吐く。
「……そうか。虚しいのではなくて、淋しい」
自分で納得したように呟いた。
淋しい、か。
どんなに思っても、その証拠が見えるかたちになることはない。
物質的に何か残したいだとかというものじゃない、ただ、淋しい。理屈ではない、感情としての淋しさ。
俺に何かして欲しいだとか、どうこうではなく、ラフィ本人の感情の話だ。
ラフィの頭を撫でた。
「確かに、どうにもならないな」
「うん」
「淋しいのは、当たり前です」
「当たり前……お前も?」
「いや。俺は、淋しい思いはしていない。寧ろ、毎日が充実しています。
だけどラフィは、俺に向けた感情が、どんなに思っても見えるかたちにならないから悲しくて不安で、淋しい。そういうことでは?」
「それだ」
苦笑すると、釣られたラフィも笑った。
そっと肩を寄せてくるラフィを、両腕で包み込む。俺の胸に額を当てて擦り寄ってきた。
背中を擦り、落ち着くまで待つ。
次に顔を上げたときは、すっきりとした顔をしていた。
「ミラの言うとおりだった。俺は、自分の感情なのにどうしていいか難しいときもあるけど、ミラと話して、この気持ちが何なのかわかった。理解して腑に落ちたら、楽になった」
元気になったラフィは、ピョンとベッドから飛び降りる。すっかり冷めてしまった朝食に手をつけた。
「レモネードも飲んでくださいよ。冬の貴重な果実なので」
「わかっている」
残さず奇麗に平らげた食器を片づけ、ラフィの身支度を手伝った。
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