第29話 マッサージを致します

 昼間の宣言どおり夜はラフィを抱き枕にして寝たので、結局シングルベッドに二人、ギュウギュウ詰めだ。晩冬の夜に凍えることなく、温かく眠れた。成人の男にしては小柄なラフィだから可能なことだ。

 これでは二人部屋に二つベッドが用意されている意味が無い。

 一人部屋を二人で使う許可を貰えば安く済む宿賃であるが、短期で雇われた連中と違い往復の用心棒依頼なので、宿代はキギ・コナ商会持ち。料金なんて知ったことじゃない。

 寒さに身をすくめる早朝から、動かない行列に並ぶ。交代で抜け、休憩をとって、また並ぶ。

 移動中は盗賊に目をつけられないよう、よくある幌馬車。本日は、その幌に巻き貝に似た羊の角が描かれた布を掛けてある。明るくはっきりとした緑の地に、鮮やかな紅赤のキギ・コナの紋章。萠ゆる緑に真っ赤なリンゴが成っているより目立つ。馬車の群れにあって、これだけ鮮やかな色に染められている布地を掛けている馬車はウチだけだ。

 前に、暑い国で見た毒蛙の色に似ている、毒々しく目がチカチカする色合いに、見失う心配は無かった。

 長い長い行列。ひたすら並んで、荷物検索と、それぞれ書類に必要事項を書き、関税と通行料を払って、関門を越えたときは日が傾いていた。

 馬車と荷物を要塞都市内の施設に預け、下町の安宿に引き返しただけで一日を終えた。

「徹夜で移動するより疲れた」

 夜の帳が降りてランプの灯りのもと、ラフィがベッドへ倒れ込んだ。人の一倍も三倍も体力のある人が、グッタリしているのは珍しい。

「荷馬車の行列に馬が一頭もいない光景は面白かった」

「馬の変わりに人間がなるとはな」

 うつ伏せになって枕を抱いてゴロゴロするラフィにならい、隣のベッドに腰掛けて今日を振り返る。

 馬が居なかった理由は、じっとその場に留まるのは、人間よりも動物の方が難しいからだ。痺れを切らした馬が暴れたら、被害が出る。

 ちょっとずつしか進まないのだから、いっそのこと馬を置いて、人力で馬車を押した方が安全だった。

 関門の前まで来て、ようやく預けていた馬を連れてくる。

 一日中、動かない行列に立って並んで居たかというと、そうでもない。

 商人連中も長い行列は毎度のことらしく、行列に並ぶ間、世間話をしたり、情報交換にかこつけて酒やつまみを持ち寄り、荷台に腰掛けてワイワイ酒盛りしていた。列に並ぶ商人相手に酒や食べ物から、地方でしか手に入らない珍しいものまで商売している逞しい者まで居た。

 ご多分に漏れず目立つ俺は、これを食べてみろだの、酒を飲めだの、もてはやされてタダ飯とタダ酒にありつけたので、悪い日ではなかった。やたら酒を勧めて来た連中は、俺より先に潰れて荷台に転がる羽目になっていたが。

 ああいう見ず知らずの人との馴れ合いも、ラフィはあまり好まない。ずっと傍にいる俺以外にはわからない、辟易と不機嫌な雰囲気を纏うラフィの様子を察し、荷台の中で休んで貰ったり、気分転換に連れ出してたりしたのだが。人嫌いが、行列という逃げ場の無い状態で出来上がってご機嫌な商人連中に一日中囲まれ、余計に気が疲れたのだろう。

 もう少し、人への警戒心と上手につき合える器用さがあれば、ラフィ自身の気が楽になるとは思う。しかし、ラフィの相手に俺が居るのだし、俺が気をつけて見ていればいいだけのこと、それで困ることは無い。人付き合いが不器用で、他人が入る余地の無い視野の狭さは、望むところでもある。永遠に俺を必要としていればいい。

 自分のベッドから移動し、ラフィがうつ伏せヘタっているベッドの端に腰を掛け、短い青い髪を掬う。長旅で少し傷んではいるが、引っ掛かることなくサラサラと指の間を通り抜けた。

「何はともあれ、お疲れ様でした」

「ん」

「マッサージを致します」

「いらない」

「体が凝っていなくとも、マッサージで軽くなるものもある」

 ラフィの足元に回り、両足から靴を脱がせ、靴下をスルッとはぎ取る。

 共同浴場から帰ってきたばかりで水気を帯びているが、よく働く足の裏は皮が厚く固くなっていた。

 いらないと断ったわりに、足の裏を揉みほぐしても無抵抗だ。

 硬くなった皮膚にオイルが必要だろうか。割れると痛い思いをするのだし、あかぎれ防止に使っているものも切れる。都市なら手頃な価格で良いものがあるかもしれない、買っておこう。足の爪がちょっと伸びてきたな。明日にでもヤスリを掛けてやろうか。

 ペットの健康診断をする体で、状態を確認しつつ、ズボンの裾をめくりる。俺もそうだが、男なのに髭やすね毛などの体毛が薄く生え難い人種の特徴だ。

 新鮮な鶏肉を連想させる美味しそうなふくらはぎを弄んでいたら、急に足を引っ込められた。

 上体を起こし、向きを変えてこっちをじっと見てくる目の色は、非難でも抗議でもない。

「ミラ、キスしろ」

 あいも変わらず、命令口調。色気の一本毛ほどもない。

 今日は我が儘も言わず、途中で飽きて消えることもなく、きちんと列に並んで仕事をしたのだから、特別に甘やかしてやろう。

「承りました」

 額に唇を落とす。

「違う!」

「ここか?」

「ミラぁ! んっ」

 目尻にチュッとキスをすると不満げな声が聞こえ、言わなくてもわかるだろうと目で訴えてくる傲慢な主人に、跡が残らない程度に耳を嚙んだ。

「昼間、商人に良い蜂蜜酒を安く譲って頂いたんだが、飲むか?」

「辛口か」

「甘口だけど、甘ったるくない酒でした」

「キスの方がいい」

 押し倒し、組み敷いて、無防備な喉元、首筋とキスをする。夜の冷たさが嘘のように、触れるラフィの肌が温かい。

「ミラ……」

 背中に手を回して抱きついてくる。焦れた青い瞳が、濡れはじめていた。俺の悪戯がお気に召したらしい。

「相変わらず泣き虫」

「ミラが意地悪するからだろう」

 顔を近づけると、僅かにラフィの体が強張る。その頬に、口づけてやった。

「キスされると思ったか?」

 ムッとした顔をして何か言おうとする唇を奪う。

 ラフィの目尻に伝う涙を親指で拭いながら、深く交わる。

 見張りも無いし、明日の朝はゆっくりできる。久しぶりに互いを求めて貪る、蜂蜜よりも濃厚な夜に溶けていった。

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