第25話 漁港でチョコレート
漁港へ来たといっても、魚を水揚げして競り市が開かれる港に直接横付けされたのではなく、馬車から降りた先は様々な店が並ぶ商店街だ。
鮮魚市はとっくに終わっている時間だから閑散としているのかと思ったら、そうでもない。
テラス席のあるカフェやパブ、屋台といった飲食店から、釣り道具屋、平民の普段の生活の中で身につける衣類や宝飾品を扱う店まである。町中と違わず賑やかだ。
殻ごと香ばしく焼いた海老、貝やタラの切り身が網焼きされる、においが屋台から漂ってきて食欲をそそる。
「無発酵薄焼きパンの屋台が多いな」
「労働の合間に片手で素早く食べられるからでは」
焼かれた海鮮は、薄焼きパンに巻いて食べる店が並んでいた。レモネードも一緒に扱っている。長い航海に出る船乗りの病気予防に欠かせないレモンだからか、この辺りでは定番らしい。
主食はジャガイモだが、無発酵の薄焼きパンに具材を巻いた料理もよく食べられる。
発酵パンとなると、作り始めて焼き上がるまで時間が掛かるが、このパンなら手早く焼ける。仕事の合間に手早く食事を済ませたい労働者にはうってつけだ。
よく見れば、漁師が使う道具や衣服関連の店が多かった。漁も競りも終え、午後を過ごす場所として発展した典型だ。
「そういえば、山の朝市でもミラが薄焼きパンを食べていた」
「パリッと焼かれたこってりシュガーバターもいいですが、生地が薄くて、しっとりとした舌触りで、小麦粉の香りとほんのり甘い、モチモチした食感のものが好みです」
「クレープだな。クレープ屋は無いのか」
同じような薄焼きの小麦粉料理を上げただけで、食べたいなんて一言も言っていないのに、キョロキョロと辺りを見回すラフィ。
「自分の好みは自分で焼いたもの以上のものは無いので、探さなくて結構です。それより、何かちゃんと食べるか? それとも、飲みますか?」
昼食は歩きながらの携帯食しか食べていない。腹は減ってはいない程度で、しっかりした食事でも食べられる。
旅商人を相手にしてる宿の側には、大抵、朝まで開いている飲み屋がある。荷車――荷物には見張りが付くのだ、見張りの交代時間に酒や夜食を求めて、夜中でも集まれる酒場は意外と繁盛する。
夜中に腹が減っても、いつでも食べられるのだから、夕飯の時間を気にしなくていい。食べ物屋が無かったら、携帯食の残りを囓ってもいいし、なんとでもなる。
んー、とラフィが唸る。
「寒いから、飲むか」
「そこにしますか?」
「寒いって言ったろう。誰も座って無いじゃないか」
「凍える潮風を感じられる」
「ただ寒いだけだ。海も見えないのに、テラス席は無しだ」
「海が見えていたらアリなのか」
「見えていたらな」
冗談で提案したテラス席の椅子は、薄く雪が積もっていた。海が見える場所なんて、多分、雪が凍りついている。
「食べたいものはありますか」
「任せる」
食に拘りが無い、というより、あまり関心が無いラフィだから、想定していた返事だ。俺が食べたいものを選んでも、辛くて苦くて酸っぱいもので不味くなければ文句を言わない。
凍結しているテラス席は無しとして。
肉ならここでなくとも食べれるし、出来ればこの辺りでしか食べられないものがいい。
通りすがりにアフタヌーンティーの誘いをしてくる見ず知らずの街人を軽くあしらい、人の流れの中を泳いで店を選んでいると、ふと、嗅いだことのある珍しいにおいがした。
雪が積もるのが珍しかった母国で、雪が積もった早朝に幼いラフィに起こされ、朝から冷えて帰ってきて、ラフィが「こいつにも」と一言、侍従に言ったおかげで、従者だった俺にも出された貴重なもの。
俺たちにとって、子供の頃に味わった、こってりと濃厚で甘い、温かな飲み物。
「このにおい……チョコレートか」
ラフィが鼻をスンスンと鳴らした。
「俺たちの子供の頃は、王族くらいしか口に出来ない貴重なものでした」
それも、俺たちの国での話。ここは生まれ育った国ではないし、あの頃とは現地の生産、輸出量も違うのかもしれない。そうなると、希少性も変わってくる。
「すみません」
道行く人を呼び止めた。
「ああ?」
迷惑そうにふり返った男が、俺の顔を見るなり笑顔になる。そういう誘いじゃないのだけれど。
「このにおい、チョコレートですか?」
「外国船で来たのかい? この国の言葉が上手いね。そこのパブで時々出してるよ」
常時ではないし、全ての飲食店で取り扱っているものではらしい。つまり、一般的な限られた店で時々出してるくらいの希少性だ。
「珍しいですね」
「体にいい飲み物だって、貴族連中の中で流行ってるもんだ」
「この辺りでおすすめの食べ物なんかも聞きたい」
「そりゃあ、海鮮だな。寒い時期は、魚は脂が乗ってるし、貝や海老は身がしまってて旨い。しかし、デカいが美人な兄ちゃんだな。一緒に飲まないか? 一杯奢るぜ」
「すみません。連れが居ますので」
隣に視線をやると、フードで顔の見えない黄色い物体が殺気を放っている。あろうことか、獣に似た唸り声まで小さく聞こえてくるのだ。
「ヴゥゥ……」
フードの兎の毛皮が邪魔をして、覗き込まなければ人間なのか獣なのか、中身がわからないそれに、男の顔が引きつった。
「そ、れは、残念」
「お話、ありがとうございました」
「ワン!」
「ひっ」
小さく悲鳴を上げ、そそくさと男が行ってしまうと、ラフィが、ふんす、と鼻を鳴らして得意げに胸を張る。
「ちょっと揶揄っただけで逃げて行った。これは効く」
異常者だと思われて避けられただけだと思う。
俺の事となると、恥も外聞もなくあらゆる手段をとる異常者ではあるから、見当違いでもないのだが。
「殴り掛からなかっただけ上出来です」
「ぶん殴ってやった方がよかったか」
「いきなり殴るな。言葉や態度で平和的に追い払う方法を模索してください」
「言っても聞かないヤツは殴る」
殴った後に、気絶させた相手に向かって喚き散らすラフィが何を言っている。
こっちから声を掛けたのに殴ったら、通行人の男からしたらとんだ貧乏くじだろう。
「店の中では騒ぎを起こさないでください。どんな理由があっても、外国が現地人に手を上げれば不利になる。手を出したら負けだと認識されるよう、お願いします」
「わかっている」
「あと、なるべく顔を上げないでください」
「心配性だな。それくらい俺でも理解している」
本当だろうかと疑いたくなる。頭でわかっていても、衝動的に手が出る人だから、理解している、理解していないの問題ではなく、性格の問題。
何もなく殴るような人ではないから、まあ、大丈夫だろう。
「チョコレート飲むのか」
「そうだな……子供の頃以来なので、飲んでみますか」
「わかった。そこの店にしよう」
トロッと濃厚な甘い飲み物。冬の寒い時期に、ラフィと飲んだ。無邪気だったあの頃を懐かしく思いながら、パブのドアをくぐった。
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