第26話 カウンター席のナンパ師
店内は、客がそこそこ入っていて、午後のゆったりした空気が流れていた。ティータイムの変わりに酒を飲んでいる客も少なくない。寒い季節では、一日中酒を口にしている者を見るのも珍しい光景ではなかった。
壁際よりも一つ離れた無難な所で、向かい合う二人用のテーブル席をとる。客が食べているものを見ると、甘い菓子から食事まで雑多にあるようだ。時間帯的に、甘いものを摂る客が多いが、中には海鮮料理をつまみに飲んでいる客も居た。
「チョコレートの前に、軽く食事にしましょう」
浅い鉄鍋にタラの切り身や貝など二人前もありそうな様々な海鮮が入っている蒸し料理を、手掴みで食べる様子が見えた。あれなら二人で分けても色んな種類の魚貝が食べられて良さそうだ。
客たちが食べているものを参考に、メニューに当たりをつける。ラフィに席を確保していてもらい、俺はカウンターで料理を頼む。
「あの客が食べているものと白ワイン。ジャガイモ二つと二人分の取り皿をお願いします。それから、渋みの少ない赤か、苦味の無いビールかありますか」
「白ビールならあるよ」
「では、それで。酒の後でいいのですが、チョコレートを一杯頂きたい」
カウンター横の木板にメニューと金額が書いてある。チョコレートは庶民でも手が出るとはいっても、やはり少々高価だ。一口貰えれば満足なので、一杯だけにした。
「チョコレートを飲むなら、食事よりも先の方がいい」
カウンター席で一人ビールを飲んでいる客が話し掛けてきた。
労働階級とは違う雰囲気を持った男だった。着ているものは、その辺の客と違わないし、焦げ茶の髪色もこの国の者だ。
だが、立ち居振る舞いや、ちょっとした所作に、物心つく前から躾けられた者特有の品のよさが見え、顔立ちも堀が深いが整っている。纏っている空気も平民のそれではない。
衣装と中身が合っていない。
あるいは、詐欺師、勘違い役者、お忍び貴族。
俺たちのことをヤガが、「違う世界の人間」と言っていたのは、こういう事なのだろう。
しかし、食事の前にチョコレートとは。この街は、先に甘いものを摂る文化なのだろうか。
「常連ですか」
「たまに来る程度に。海老のクリームソース和えがオススメだよ。海老の頭をこしてソースにしているから、海老の味が濃厚なんだ」
「なら、それもお願いします」店員に頼んだ。
「あいよ。チョコレートはどうする? 先? 後?」
果物ののようにさっぱりした甘さのものならいいが、チョコレートのような濃厚な甘さのものを食前に摂るのはどうなのだろう。だが、せっかくだから現地人の食べ方を体験することも旅の醍醐味だと、思い直した。
「先でお願いします」
「酒と料理はテーブルに持って行くから。チョコレートを作るから、ちょっと待ってな」
支払いをし、カウンターに肘を掛けて寄りかかって待つ。
海老とクリームソースのまろやかな香りと、オーブンで魚介が焼けるこうばしい香りが店中に漂い、次第にカカオの香りが支配していった。客たちの笑い声や談笑が聞こえ、穏やかなときが流れる。
地元人が通う店の雰囲気であり、若干警戒心を向けられてはいるが、商人が集まる都市だからか、余所者を排除する雰囲気はない。地元の人と交流するには良い店だ。
「山の方から来たのかな。それとも、海?」
海老料理をオススメしてきたカウンターの男が質問してきた。
山の方と先に言われたのは、この外套のせいだ。町中では、黒やグレー、茶色といった者が多かった。田舎者丸出しの服装で見下されかねない、早々に買いかえるべきかとも思ったが、敢えてこのままにした。
冬の終わり頃だが、雪解けはもう少し先、春コートへの買い換えはまだ早い。
それに、地味な色の中の黄色は目立つ。これだけ人が多く、広い町、しかも見知らぬ土地ときた、ここではぐれると合流にひと苦労する。しばらくは、浮いている、目立つ、は利用しよう。
「気が赴くまま、流れ者です」
「旅人かね。それにしては、言葉が綺麗だ」
「山では屋敷に勤めていました。来訪されるお客様に失礼がないよう、勉強させていただいたもので」
「なるほど。そこの屋敷の主人は、良い主人だね。僕もこの大海原を越えて遠い外国へ行ってみたいものだよ」
わざわざ大海原を越えて遠い外国と言うからには、大海原を越えない近い外国へは行ったことがあるのだろうか。
「この街で外国人は珍しいですか」
「この漁港じゃ珍しいね。大型船が泊まる要塞都市の前の港は、人種も物も娯楽も芸術も、何もかも溢れていて賑やかさ」
「その喧騒から逃れて来たのですね」
男の片眉があがった。
「なぜ、そう思った?」
「お気を悪くされたのなら、申し訳ありません。纏っている雰囲気が、市井のものではかなったので」
「僕の演技がまだまだ未熟だったせいだね。努力が足りないようだ」
「演技の問題ではございません」
「というと? 参考までに聞いておきたい」
「では。お顔立ちもそうですが、寒風に晒された漁師の肌とは明らかに違います。それで漁港の人間というのは、些か無理があるかと」
「容赦ないな。君はなかなか愉快な人だ。
向こうは楽しい街なのだが、長居すると目が回ってしまってね。飾らなくていいこの漁港は、気が休まる。
要塞都市の中は、もっとゆったりとした上品な所でまた違った魅力があるのだけれど。どうだい? これから、一緒に演劇でも見に行かないか?」
「見知らぬ外国人を、簡単に誘うのですね」
「今、ここで知り合った。聡明で美しい人と出会ったのだから、運命だと錯覚させてくれないか」
「お誘いは嬉しいのですが、あいにく予定がありますので」
「演劇は嫌いかい? 僕の知っている、君の国の女性は喜んでくれるのだが」
平静を装ってはいるが、内心ドキリとした。
その女を探してこの町を訪ねたのに、いきなり情報を手に入れられる機会が来るなんて。
「私の母国をご存じで?」
「いや。国名はわからないが、エディリアナと同じ人種だと思ってね」
少し安堵する。国の名も知られていないくらいだ、あの国と盛んな交易をしている訳ではない。俺たちの正体がバレる心配が薄れた。
だが、女の方はどうだ。間違いなく、俺たちの母国の者だろう。
この国の人名は二音が主流だが、母国の人名はもっと長い。俺たちの、ラフィ、ミラといのも、元々はあだ名だ。フルネームだと言いにくそうにされたり間違えられるから、始めからあだ名の方を名乗っている。
この男がダナ家の者かはわからないが、エディリアナという名前の響きからして、その女は母国の人間だ。
「演劇は母国でも盛んでしたので、嫌いではありません。私と同じ国出身の知り合いが?」
「気になるのかな」
含みのある笑みを讃え、訪ねてきた。その演技がかった表情が妙に似合う。
「遠い国で母国の人間にたまたま居合わせたのですから。出来るものなら話くらいしてみたいです」
「見知らぬ人間ばかりの土地で同じ出身国の者に出会えたのなら、親近感を覚えるものだろうね。エディリアナはロマンチストだから悲劇がお好みでね。最近では、ニフの作品が気に入っているようだ」
「エディリアナさんは、有名な方ですか」
「そっちの界隈では、名が通っているよ。今日が駄目なら、明日はどうだい?」
「明日は仕事があります」
おそらく、明日は関門を抜けるだけで一日掛かる。この男について行けば、見ただけでウンザリするほど長いあの行列に並ばず要塞都市へ入れそうだが、観光だけが目的ではないし、勘違いしたラフィが嫉妬して何をするかわからない。
「迎えに行くよ」
「待たれても、時間を無駄にされるだけかと」
「つれないな」
「はい、チョコレート、お待たせ」
丁度よく、分厚いコーヒーカップに入れられたチョコレートが出てきた。湯気と共に、フワッと香ってきて、おや? と感じた。これは確かに、食前でよかったかもしれない。
「では、いつなら空いているのかな?」
尚も男が誘ってきた。
断っているのに根性がある。見た目は悪くないし、羽振りの良さそうな紳士だ、これだけ熱心に誘われれば相手の居ない者なら根負けしてついて行きそうなのだが、相手は俺で、今は都合が悪い。
「すみません、主人が待ってますので」
熱心な視線を感じる方へふり返れば、ちょこんと椅子に腰掛ける黄色い塊が、体ごとこっちに向けていた。
拳を両膝の上に乗せた前のめりで「見ているからな」「見張っているからな」と言わんばかりの体勢だ。俺の青毛の番犬は、なんとも頼もしい。
「連れが居るのはわかっていたが、この国じゃ、美人を口説かないのは男として失礼なのでね。また、機会があったらご一緒しよう」
此方の都合を察して、気持ちよく身を引く。注文を待ってる退屈な時間を会話で埋め、質問攻めにすることも、深追いもしない。仕事だからと断ったのに、なんの仕事かとも聞いてこない。初対面では話したくない素性や、不快になる話を一切してこなかった。ナンパ師の鑑のような男だ。
ラフィが居なければ、明日の関門を抜ける為の一日を飛ばし、エディリアナという女を探しに演劇の誘いに乗っていた。
母国は同性同士のパートナーという概念すら無い国だが、容認されていて節操が無い国というのも考えものだ。
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