第24話 三〇歳になっても
漁港や浜辺もあるようで、せっかくだから海鮮でも堪能しようか。
山でも、海のように広い湖のある側の町に住んで居たのだ、食用になる魚や貝、海老が捕れる。だが、淡水のものは結局淡水のものでしかなく、貝類なんかは独特な臭いを処理するとなると、料理法が限られる。海老を食べるとしても、小さな川海老かザリガニくらいで、ロブスターのような食べ応えのある大物はない。
山では食べることのできない海の幸に思いを馳せ、前をぴょこぴょこ歩く黄色い塊を見るともなしに眺める。
旅の最中、ずっと着ていたタンポポ色の外套は、色味に若干風格を帯びてきているが、鮮やかなまま。フードをすっぽり被り、歩調に嬉しさが隠しきれない様子は、幼児のようだ。
「足下に気をつけてください。地面が凍っているので」
「わかっている」
「珍しいものを見つけも、飛び出して行くな。馬車に轢かれますよ」
不意に立ち止まり、怪訝な顔で振り返ってきた。
「俺を何歳だと思っているんだ」
「三〇です」
そう、三〇歳。
俺たちは旅の途中で一つ歳をとっていた。
幼児でも少年でもなく、なかなかな年齢。
奉仕を求められる使用人等の特殊な仕事でなければ、政略結婚のある貴族でなくても、田舎でも一〇代半ばから後半に結婚し、所帯を持つ者も珍しくない。
雪かきは隣近所で協力し、雪下ろしが間に合わず家が潰れれば、親戚の家に身を寄せて一冬を越す。そんな助け合いがいくら浸透しているといっても厳しい環境だ、恋愛関係でなくても互いに支え合って生きていく為に結婚する。
俺たちが元々働いていた食堂の店主は、代わり映えしないお馴染みの客連中に親切にされていたから、一人でもやっていけていたようだが。
改めて思うと、俺たちの関係は何という名詞が付くのだろう。
魂に刻まれた傷痕として残ってしまった役割の名残りを消せば、王子でもなんでも無いただの旅人のラフィと、誰に仕える従者でもなんでも無いただの旅人の俺。
どんな名前が付いたとしても、関係が変わるものでもない。
世界各地旅をして、正確な暦を把握しているのではなく、冬の一番厳しい時期が自分たちの生まれた日と認識しているだけなのだけれど。
国に居た頃の誕生日にいい思い出が無く、母国を出てから祝ったことが一度も無いが、時の流れに感慨深いものがある。
なんというか、よくこの歳まで生きてきたなぁ、と。
ここまで来るのに、何度、死を覚悟したか。
「そうか」
前向いて歩き出しながら、神妙な音色でラフィが返事をした。
「節目だ、何かやるか」
「やりません。この年で何で突然」
「いいだろう、三〇歳の記念。お前が俺と同じ日に生まれてきたから出会えたんだぞ」
「そもそも、この国の暦で明確な日にちはわからない」
「去年、山の食堂の女主人が「今の時期が一番寒い」って言ってた日あったろ」
「やりません」
毎日一緒に過ごして同じ朝を迎える。
わざわざ特別なことをしなくても、何気ない毎日が特別だ。
ラフィが急にシュンと肩を落とす。寂しそうに丸まる背中は、多分、何か勘違いしている。
「ラフィと出会えたことに後悔していないし、自分を不幸だと思ったこともない」
出会わなければ別の人生があった、なんていくら思ったところで、過去はどうにもならない。過去に対して「もしも、あのとき」と考えたところで、何も生まれない。
ラフィと出会ったから、知る事のなかった世界を知れたのだ。見て、触れて、歩いて、旅をしてきた経験は何にも代え難い。
同じ日に生まれてラフィの傍に仕え、平民より高度な教育を受けてきて、食うに困って腹を空かせる経験も無く育った子供時代。
田舎に生まれた平民よりも、宮廷に暮らす皇帝よりも、とても贅沢な人生だ。
「じゃあ、せめて、ミラは欲しいものだとか、して欲しい事だとか無いのか?」
「ありますけど。秘密」
「俺に隠し事か」
「秘密を秘密だと打ち明けたので、隠し事ではありません」
「屁理屈」
「ラフィの方はどうなんだ」
「俺?」
「欲しいものは?」
「ミラだな」
間髪入れずに答えた。
殆ど条件反射。何も考えていない。
「それはもう手に入っているでしょう。して欲しい事は?」
「だっ……ハグ」
「抱っこですね」
「違う! ハグ!」
「こっち向け、ラフィ。抱っこしてやる」
「今じゃない、今じゃない! 町中だぞ!?」
横に並んで腰に手を廻そうとしたら、早足で逃げられた。
揶揄ってやろうと思ったのに、残念。
「宿に帰ったら、捕まえて離さないのでそのつもりで」
「……うん」
ぎこちない返事をして大人しくなった。
本当はベッドに引きずり込んで一晩中離さないと言いたいが、見張りもあるし、朝が早いので、それはまた今度の楽しみにとっておこう。
三〇歳になってもヒヨコみたいな格好をしたラフィと乗り合い馬車に揺られ、冷たい潮風が香る漁港に着いた。
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