第21話 旅にはつきもの
馬ソリに付き添い、集団で雪道を行く。
俺のすぐ前を歩くラフィから、見えない紫色の気配がモヤモヤと発せられている。実際に何か見えているのではないし、人の機嫌が見える特殊能力があるでもなんでもない。ただ、なんとなくそんな雰囲気がする。
並の家族や恋人たちよりも、四六時中傍に居るし、元は主人の機嫌を察しなければならない職業だったので、ラフィの機嫌だけはよく分かる。
今日は、朝からずっとこの調子だった。
紫は、嫉妬、不安の色。
原因は、朝食のスープがちょっぴり辛口だったことでも、ソリが下り坂で勝手に滑って暴走しかけたことでもない。おそらく、昨晩のこと。
この辺りの建物は、キギ・コナの屋敷の使用人スペースと似た造りで、部屋のドアを少し開けておくと、暖炉で温められた空気が部屋に入ってくる。泊まった宿屋も同様の仕組みになっていた。
宿無し連中が冬場を凌ぐ集会所みたいな安宿で、狭い部屋を二段ベッドが二つが占拠した、八人部屋。一段に二人が詰めて寝る。四人部屋を無理矢理八人で使う。かなり窮屈だが、極寒の夜に野宿するよりは、凍死や獣に襲われて命を落とす心配が無くて断然いい。
商品満載のソリが外にあるのだから、見張り交代の為に起きなければならない。出入りが楽な、下の段の一つを早々に陣取った。
冬場は川で沐浴もできない。何日かぶりに、共同浴場で汗を流す。この国は森林が豊富で暖炉で火を使うし、外には雪が無限にあるから、冷え切った体を湯に浸かって芯まで温められる。あまり熱い湯に浸かるのは得意ではないが、我が儘を言ってはいられない。
風呂は、国によっては、濁った川や海で水遊びをして済ませることもあった。
水浴びが出来れば良い方で、どんなに汗をかいて泥塗れのドロドロになり自分の体が臭って来ようが、飲み水の確保だけで精一杯、湯を浴びるなんて贅沢だ。旅の最中に、安全な水で作った湯を惜しげもなく使える。この恵まれた環境は、国の外を回らなければ気づかなかっただろう。
まだ皆が飲んで騒いでいる時間帯を狙い、ラフィと己自身を洗って、誰にも鉢合わせしないよう早めに出る。
ラフィは俺と違い、熱い湯も平気だから、もう少し温まって貰った方がいいのかもしれないが、青い髪色はあまり人に見られたくない。
乾燥防止に、この辺りに生えるハーブを使って作られた香油を塗り、暖炉の熱で先にラフィの髪を乾かしてやと、短いからすぐに乾く。乾いた所で、髪隠しのニット帽を被せた。
手入れに時間の掛かる長髪よりも、短い方が楽で旅向きなのだろうな、と思うことはあるのだけれど。
「ミラの髪は俺がやる」
真似をしてやりたがるのか、それとも髪いじりが好きだからか。これだから、髪を切るには躊躇してしまう。
「お任せします」
「任せろ」
俺の長い黒髪を、丁寧に、慈しむようにラフィが手入れしてくれる時間は嫌いではない。
「ちょっと伸びたな。肩甲骨の下辺りで切り揃えるか」
独り言を呟き、返事も聞かずに勝手に切るのも、何も言わずに全て任せる。好きなことに関してはとことんやりたがる負けず嫌いなラフィだ、髪を切る技量も人並みにあった。
髪型なんて本当はなんでもよかった。主人が気に入るならそれがいい。
濡れた髪の切れ端を暖炉に焚べ、されるがまま、暖炉の熱で温まってボンヤリしていると、ぞろぞろとキャラバン隊のメンバーが帰ってきた。
「湯上がり美人」
「いい匂いがする」
「たまんねぇ」
せっかく、いい気分でゆったりしていたのに、下品な連中に邪魔をされて台無しだ。
鼻の下が伸びる酔っ払い共を、ラフィが噛みつきそうな勢いで睨んで威嚇した。先日、激昂して殴り倒した騒動に立ち会っている連中だ、口で好き勝手言いつつ、不用心に近寄っては来ないだけ、利口。
髪が乾いたところで、そろそろ見張りの交代時間だ。
外套を着込んでしっかり防寒して、ラフィと共に外へ出る。温まった体がギュッと引き絞られる思いがするほど、チラチラと雪が降る凍てつく夜だ。
ラフィは馬ソリの前方を、俺は後方に立った。
冬場は大抵、天候が悪く、星も月も見えない。降り方も大雪ではないから、まだ耐えられた。
暫くして、人の気配が近づいてきた。ランプの明かりでキャラバン隊の用心棒として雇われている内の一人だとわかった。足取りがどうも怪しい。
「アンタ、本当に奇麗だよなぁ」
トロンとした甘い声と、強烈な酒臭さ。
寒い中での見張りだ、温まろうと強い酒を飲み過ぎたのだ。見張りが酔っ払っては、見張りにならないだろうに。
「可哀想になぁ。あの、ちっこい奴が嫉妬深くて、アンタも窮屈だろ。おれが遊んでやるよ」
誰が可哀想なのか。身勝手な価値観を押し付けないで欲しい。
可哀想というのなら、この男の方だ。残念ながら俺の脚は人より少々長い。振り上げれば、簡単に男の側頭部へ踵が届いた。
のしのしと寄ってきた男を、蹴りの一撃で易易と昏倒させると、気づいたラフィが駆けて来る。
「盗っ人か?」
「いいえ。同業者です」
ムッと眉根が寄った。
「ミラ狙いか。その辺に捨てておけ」
「流石にそれはマズい」
雪の中、酔っ払いを放置したら確実に凍死する。
「ひとけの無いところで襲おうとしたクズだろう」
「酔っ払いをいちいち殺していたら、目的地に付く前に仲間が居なくなる」
「知らん。自己責任だ」
「割を食うのは俺たちだ。少しは寛大になってください」
馬ソリが横転したり、雪に足をとられたとき、対処するには人数がいる。いくらラフィが力持ちでも、荷物を積んだ重いソリを一人で雪から脱出させるのは、時間も体力面でも不効率。
「お前、自分が誰のものかわかっているのか」
「この身も魂も全て貴方のものです、ご主人様」
ツンと顔を背けるラフィを置いて、気を失っている男を担ぐと、宿屋の床に転がして置いた。
キャラバン隊を守る用心棒を減らすとこっちの負担が大きくなる。放っておけば死んでいた男を、打算で助けたことが、ラフィは気に食わないらしい。
昨晩のそのことで、今朝からムスッとした態度で、わざとらしくギュッギュッと湿った雪を踏み鳴らして前を行くラフィに対し、ひっそりとため息を漏らす。
朝一番で、酔いが覚めた昨晩の酔っ払いに、酒の勢いだったと頭を下げられ、宿に運んでやったことのお礼を言われ、お詫に朝食を奢ると言いだし、余計にラフィがへそを曲げそうだったから断って――それで一応は決着した。
旅の最中、男ばかりの中では溜まるものもある。俺達は相手がすぐ傍にいるからいいが、他はそうじゃない。
物心がつく前から、美しいだ、綺麗だ、散々言われてきたから自覚しているし、その分、気をつけている。キャラバン隊に同行していれば、ままあることだ。これまでだって何度も合ってきた。俺だって用心棒としての腕がある、その度に危なげなく対処している。
いつものこと。いつも通り。
なのにラフィはいちいち焼き餅を焼いて、何度でも、いつまでも腹を立てる。旅慣れているラフィが一番、大所帯での旅が向いていない。
あんまり思い込むものだから、将来、本当に禿げるんじゃないか。
将来は、我が儘な頑固ジジイか。キギ・コナ老人とそんなに変わらない未来だな、なんて、歩きながら想像してしまった。
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