第20話−後.恋人ではありません
ラフィがこんがり焼き目のついた腸詰めに乱暴にかぶりついて、顔を歪ませた。
一口食べた腸詰めを皿に戻し、しれっと俺の方に寄せてくる。つけ合わせのヒヨコ豆のローストも減っていない。
腸詰めを食べてみると、肉汁感があって香辛料とハーブが効いている。豆の方は、ホクホクとしていて、唐辛子がアクセントになっている。どっちも味はいいが、どっちも辛い。表情が渋かったのは、食事のせいでもあったのか。
「食べかけですがこっちは辛くないので、どうぞ」
干し野菜と羊肉の煮込みと交換するかたちでラフィにやる。旅は長い、食べられるときに食べて体力をつけて貰わなければ。
「ぬるいな」
煮込みを一匙食べて文句を言った。俺好みに少し冷ましてあるのだから、仕方ない。
「温め直してもらおうか?」
「いや、いい。食べられる」
匙を黙々と口に運ぶ。味には問題なさそうだ。
「過保護だねぇ。いつもそうやって世話してるみたいだけど、面倒にならない?」
粗暴な食事会の中にあって、ヤガが好々爺よろしく甥っ子を見守るような目で見てくる。人に安心感を与えるのが上手い人だ。
「ラフィの世話が面倒に思ったことは無いです。人手が足りないとか、専門職の人に任せた方が出来がいいだろうとは思った事がありますけど」
世話をするのが当たり前だし、それが俺の生きる意味でもある。世話が面倒だとするなら、死んだ方が楽だとするのと同義。十年前だったらそう思っていたかもしれないが、今は苦にならない。
「変わってるね」
「そうですか?」
「恋人のお世話をするのは億劫じゃないか」
「恋人ではありません」
言ってしまってから、しまったと思った。別段、隠しているものではないのだが、関係を聞かれると説明が面倒なので、今まであえて肯定も否定もしてこなかった。
好意的で話しやすい雰囲気だったから、つい油断した。侮れない人だ。
「恋人じゃないんだ?」
ニコニコと柔和な笑みを浮かべ、世間話として聞いてくる。
「付き合おうと言われたことも言ったこともありません」
正直に話した。一度、否定してしまったのだから、変にはぐらかして、痛くない腹を探られたくない。
「恋人じゃなかったのか!?」
思いの外、声を張ったのは絡んできた男共ではなく、ラフィだった。
カタンとスプーンをテーブルの上に落とし、動揺が伝わる。問い詰める視線を合わせてくる瞳が切実で、主人に捨てられる飼い犬の悲壮感に似ていた。
――どっちが主人なんだろうな。
いや、自覚していたけれど。甲斐甲斐しくペットの世話をする方が飼い主だと。
「なら、今から恋人になれ」
「嫌です」
「な、ん……」
にべもなく突っぱねれば、絶句して青い目がじんわり濡れてくる。
「他人同士になれなんて、格下げだ」
涙を引っ込めたラフィが首を傾げた。
「他人……? 格下げ……?」
「はい。恋人以上、兄弟以上、自分以上」
「どういうことだ? 今のままでいいってことか?」
「そうですよ」
「そう、か? ……んん?」
納得しているような、していないような曖昧な変事をし、頭を振り子のように傾げた。
唐突に真顔を真っ直ぐ向けてくる。
「お前、俺のことを愛してるって言ってみろ」
「何故」
「いいから、言ってみろ」
「従えません」
「なんでだ!? 言え!」
「伝わっていないのなら、それまで」
「言ってくれてもいいだろう」
「嫌だ」
「ミラぁ。愛してるが嫌なら、好きでも、愛おしいでもいい」
「一生、言わない」
「一言だけだ」
深いため息が出た。
――しつこいな。
頬付けをつき、青く透き通った瞳から目を見つめた。
ラフィがソワソワと視線を反らし、狼狽えて、頬が染まる。
「ずっと傍に居て、世話をして、毎晩ベッドを同じにして、甘えも我が儘も許して……それで?」
「あ、愛してるって言え」
流石に苛立った。
それで何で伝わらないのか。
これ以上、何をどうしろと?
ニッコリと、出来る限りの綺麗な笑みを作って見せる。これまで、各国の食事処で働いてきて、言い寄ってくる連中を黙らせてきた精一杯の作り笑顔だ。
飲みかけの酒が入ったゴブレットを掲げ、ラフィの頭の上で傾ける。ニット帽に染み込むように、ゆっくりと。
無色透明な酒が、情けなく泣き出しそうな顔にまで滴って、テーブルに落ちる。
「ラフィ」
名前を呼べば、ピクッと肩が揺れた。
「こっちを向け」
従順に上がる顔を捕まえ、酒で湿って瑞々しく色づいて美味しそうな薄い唇に、噛みつくようなキスをする。
顔を離したとき、濡れた青い目と合った。
「あまりしつこいと、嫌いますよ?」
「かっ……」
耳まで真っ赤に染まったラフィが、息を詰まらせるように口から小さい漏らした。
「かっこいい……」
――うん。駄目だな、これは。
俺が何に怒ったのか、何も伝わっていない。
たぶん、何をしても、何を言ったところで、一生伝わらない。
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