第11話−中.セーター事変

 騒がしい一日だった。

 本日も何事もなく仕事を終え、使用人側のスペースへと返る。

 談話室を暖かな熱で包む、暖炉の薪が燃えるにおいは心が落ち着く。

 暖炉とランプの柔らかい明かりの中、談話室にはお喋りに夢中になるメイド二人、それぞれ自由に寛ぐ使用人と、ラフィの姿もあった。皆、仕事を終えてお互い好きなことをして過ごしている。

「お疲れ様です」

「お疲れ」

 談話室全体に仕事上がりの挨拶をする。あちこちからバラバラと返事がきた。

「お待たせしました」

「ん」

 愛刀で素振りをしていたラフィに声を掛けると、手を止めないまでも短く応えてくる。

 刃に冷徹な光を反射する抜き身の剣だ、あまり近づかないよう気をつける。

 この談話室は、椅子とテーブルを寄せれば手合わせが出来る程の広さがあった。片付けなくとも、素振り程度なら二人並んで出来る。

「一緒にやらないのですか?」

 リグは年下だがここでは先輩だ、一応、砕け過ぎない言葉遣いをと心掛ける。

「さっきまで隣でやってたッス。けど、もう無理。せっかく休みで、夜ゆっくり寝られる日なのに、これ以上付き合ったらあちこち痛くて寝られなくなっちまう」

 リグはリグで、暖炉の側で木板に絵を描きながら答えた。

 使用人が揃ったところで、一日の報告会と明日の予定の打ち合わせをして、それぞれの部屋へと解散していく。

 皆が寝る準備に入る頃、暖炉の火を貰って、俺だけ調理場へ行向かう。これから、遅い夕食の支度だ。

 本来なら、ケミともう一人しか居ない二人のメイドが、談話室の暖炉で使用人全員分の食事を作ってくれる。

 屋敷には料理人も居るのだが、旦那様専属だ。というのも、高齢な旦那様と働き盛りの使用人たちの味の好みが全く違うからだった。旦那様の体の為にと作られた、柔らかくて食べやすい、薄味のものは、使用人たちにはどうにも受けがよくない。

 俺は仕事の上がりが遅いし、ラフィは他の使用人たちが好む唐辛子の効いた辛い料理が食べられない。

 毎回ラフィの分だけ別に作って貰うのも手間だ。談話室を料理のにおいでいっぱいにするのも申し訳ない。料理人にわがままを言って、調理場を借り、自分たちの食事を作らせて貰っていた。

 今夜は、朝と昼の休憩時間に煮ておいた豆と薫製の魚、乾燥野菜を入れたシチューと、芋を細切りにして塩を振り、フライパンに敷き詰めて両面をキツネ色に焼いて、仕上げにチーズを乗せたジャガイモのガレット。デザートは、茹でて裏ごししたジャガイモとフワフワに泡立てたメレンゲ等を混ぜた生地を、フライパンに流し込んでオーブンへ――ケーキを焼く。ついでに、朝食のスープの仕込みと、昼食用にかまど火が落ちるまで鍋を掛けてスジ肉を煮ておこうか。

 何を作るか、どういう段取りで進めていくか、考えながら同時に作業する。この時間が楽しい。

 作業をしている間、ずっと背中で視線を感じていた。

「入ってきたらどうなんですか」

 半分開いているドアの陰にサッと隠れる気配がした。気配をダダ漏らしにして、隠れているつもりか。

「ラフィ」

 名前を呼ぶと、観念して怖ず怖ずと姿を現す。

「楽しそうに料理していたし……邪魔したら悪いだろう」

「おいで」

 何だかんだ言いつつ、素直に横へ来た。

 呼んだら来る。犬かな。

 ケーキを焼く甘い匂いに包まれる中、焼きたてのガレットを切り分けて差し出す。回りをカリッと焼き上げたジャガイモのガレットを、手掴みで口に運び、熱さと格闘しながら、一切れを美味そうに平らげ、指まで舐めた。空になった皿を名残惜しそうに舐める犬を連想させる。

「あまり遅くなるようだったら、ケミさんたちに頼んで先に夕食を済ませても構いません」

「お前が面倒だったら、そうしよう」

「料理は好きなので、面倒だと思ったことは無い」

「なら、お前のがいい」

 食事をずっと作ってきたから、ラフィにとって俺の料理が一番食べ慣れた味だ。

 夕食を終えてジャガイモのケーキを切り分けていると、リグが顔を出した。

「甘い、いい匂いがするッス」

「一緒にどうですか」

「いやぁ、悪いッスね」

 それが目当てだろうに。本当に悪いと思っていたら覗きに来ない。ラフィと違い、遠慮がない。

 ハーブティーを淹れ、一旦調理場を離れる。体を洗う湯を作るためだ。

 外へ出て、木桶いっぱいに雪を入れ、湯場の湯釜に移す。湯場の側面は談話室の暖炉と繋がっていて、鉄釜で出来た湯釜が暖炉の熱で雪が溶け、湯になる仕組みだ。

 厨房へ戻る。声を掛ける前、二人きりでどうしているのかと中を覗いた。

 二人とも、黙々とケーキを食べていた。気まずい空気ではない。

 特に仲良くしようという気のないラフィと、距離感を測っているリグ。一定の距離を保ち、意識せずにお互いにそれぞれの空間、時間を過ごそうとしている。

 リグに対する最初の印象からすると、意外だった。

 ラフィのことを「初めての猫」と伝えたからか、警戒する動物に対し、静かに側に居るだけで徐々に馴れていってもらおうとしているように見える。最初こそ馴れ馴れしく不安要素があったが、動物に例えたのが良かった。動物の扱いに馴れたリグなら、ラフィと適切な距離感を保ってつき合えるのではないだろうか。

 俺が調理場へ入った途端、明かりが点ったみたいにパッと表情を明るくしたラフィが昼間の話をする。

「あの商人は見る目がある。このセーターの良さがわかるくらいだ」

「そうですか」

 気のない返事をした。あまり楽しい話題じゃない。

「日誌があれだけ高額になるとはな。冒険日誌といえば、子供の頃、俺たちもよく読んでいただろう。俺たちの歩き回った記録を本にすれば、いい値が付くんじゃないか」

 王宮の図書室には貴重な本が沢山あった。中でも日誌の写本は、知らない世界を教えてくれる。冒険心に胸躍らせ、ラフィと二人で読み漁っていた。

 世界を渡り歩くなんて子供の頃の夢物語でしかなかったことが、大人になって現実になった。子供の頃に、夢に見ていたほどあまいものじゃなかったが。

 絶対にあり得ないと思っていた“今”があること自体、奇跡みたいなもの。生きていれば、先がどうなるかなんてわからないものだ。

「俺たちの旅の記憶は、俺たちだけのものです」

 国内や近隣諸国を行く旅商人なら居るが、世界中を旅をした記録はそうそう無い。貴重な資料として高額で取り引きされそうだ。

 だが、国を捨てて来た身、何処から消息が知られるかわからない。日記等の記録はあえて付けていなかった。

 俺たちが何処の誰で、何処から来たのか、なるべく足跡は消したい。たとえ、一生分生活に困らない金額になる情報だったとしても。用心するには越したことがない。

「ミラの言うとおりだな。旅の記憶は俺たち二人だけのものだ」

 俺の性格からか打算的だが、ラフィは無邪気に思い出を大切に思っている口ぶりだ。

「そういえば、ミラ、商人がセーターを褒めていたとき機嫌悪かった」

 余計なことばかりしっかり覚えている。今さら、指摘してこなくてもいいだろうに。

 ラフィは談笑のつもりで楽しそうに話してくるが、俺のものを勝手に触られた気分のこちらとしては面白くない。

「そんなことはありません」

「いや、悪かった」

「俺の態度に何か問題がありましたか」

「いつも通り、澄ました態度で変わり無い。あの場の連中は誰も気づいていなかったろう。でも、なんか、こう、不穏な空気があった。お前、昔より感情が外に出るようになったな」

「そうでしょうね」

 日々抑圧された生活を強いられる王宮から出て、感情を抑える必要が無くなった。十年も経てば、あの頃の自分とはそれなりに変わった。一般的な親兄弟よりもずっと長く、ずっと傍に居るのだ、些細な変化にも気づかれてしまったせいもある。

「精進します」

「いや、そのままでいい。ジジイも言ってたろ」

 心情が外に滲み出てしまうのは、ラフィが良くても俺としては都合が悪い。気をつけよう。

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