第11話−前.セーター事変

 来客は、この深い雪をかき分けて来た隊商の代表一人と補佐一人、商人たちの護衛一人、計三人の男たちだ。

 年齢の頃は、代表が一番高く三〇代半ば、護衛が一番下若く、二〇歳手前程。より厳しい旅をする商人たちは、年齢層が比較的若い。そして、圧倒的に男で構成されていた。

「こちらが例の商品です」

 商人が恭しく出してきた商品は、木をくり抜いて作られた、手のひらに乗る円筒の深い蓋の付いた入れ物。

「こんな時期に悪いな」

「いえ、相当なお値段で買い取って頂けるのでしたら、いつでもお声がけください」

 声を潜めてニヤリと笑みを浮かべたやり取りが怪しいが、賄賂でも不死の薬でもなんでもなく、中身は肌の保湿薬。

 高齢のため肌が乾燥して白く粉を吹き、痒みが出て掻き傷の耐えない旦那様の状態をバセに相談し、使用人たちの間で、普段使いにするには値が張るが効果が高いと評判の保湿薬を勧め、それを商人に仕入れてきて貰ったのだ。

 雪に埋もれて身動きが取れなくなる危険を犯してまで来るのだから、割高である。それでも、商売敵が少なく物が高く売れるとなれば、商魂逞しい商人たちはこうして辺境の町を目指して来るのだ。冬の物資調達は、そういった商人たちに支えられていた。

 暖かそうな羊毛の布が張られたソファーに旦那様が座り、商人たちと取り引きをしている。その後ろに控えてやり取りを聞いていると、旦那様と商人たちの悪ノリした遊び心が垣間見える気さくなやり取りは、気心知れている様子が見て取れた。

「ところで。キギの旦那は、ヤッセ隊商の日誌の原本をお持ちだとか。贔屓にして下さってる貴族の方がぜひ読んでみたいと申しまして。写本させて頂きたいのですが」

 さっきまで、友人に話すようだった旦那様の顔が幾分か引き締まる。商談を持ちかけられた商人の顔だ。

「今、写本師に写させているところだ。出来たら金額次第で譲ってやってもいい」

「紙の本でしょうか」

「左様。おっと、金貨以外では譲らんぞ」

「では、金貨三枚で」

「それでは無理だな。旅日誌は五冊にも渡っていて写すのもなかなか骨が折れる作業じゃ。

 地形や季節による天候、旅のルート上や治安具合、現地の文化、町や村の様子等、貴重な情報の宝庫だ。軍事に活かせるかもしれん、貴重なものだぞ」

「それほど貴重なものとは知りませんでした。一冊金貨一〇枚、五冊分、金貨五〇枚でどうでしょう」

「残念だ。あそこまで細かく書かれている日誌はあまり無いというのに」

「いやいや、足元を見すぎです。紙の本に羊皮紙の聖書以上の金額とは」

 足元を見すぎとは、そちらもではないかと、旦那様の後ろで商人たちのやり取り見ていて思う。

 最初、金貨三枚で買おうとしていたのだ。それが今、金貨五〇枚出すと言っている。倍以上だ、始めから日誌の情報が貴重なものだと知っていて金貨を用意していたのではないだろうか。

 情報の価値が分からなければ買い叩かれていた。後から価値を知っても、知らなかったと言われればそれまで。相場のない商品は、価値の分かっていて、価値に見合う金額をつけられる目を持つ者にしか貨幣価値をつけられない。

 知人同士だからと価値のわからないものを言いなりに譲れば損をする。情は情、商売は商売。商人とは興味深い仕事だ。

「無記名の本は何冊持ってきておる?」

「一〇冊ですが」

「三倍になるな」

「ぐぅ……わかりました。一冊金貨一五枚、五冊で金貨七五枚」

「一〇〇枚。一冊金貨二〇枚じゃ」

「九〇」

「一〇〇」

「九三」

「九八」

「九五でどうしようか」

「負けて九八じゃ」

「わかりました。金貨九八枚で五冊全部の写本を頂きたい。ですが、前金は金貨五十枚です。本当にその価値があるか、中身を確認させてください。残りの四八枚は写本の出来を確認し、写本を受け取り次第、払います」

「原本の確認は、写本師の邪魔にならない範囲でなら構わない」

 旦那様と商団代表が握手を交わした。

 保湿薬の価格がタダ同然に感じる程、高額のやり取りが眼の前であっという間に決着した。

 軍事に活用できる情報であれば、貴族が他を出し抜き、出世の為にと金に糸目はつけずに欲しがるのもわかる。

 騎士なら軍馬一頭も買えないが、田舎平民感覚だと金貨五枚もあれば、この町で空き家を借りてカフェを開けるくらいの金額だ。

 リグが高そうと言っていた俺が預かっているラフィの指輪は、金としての価値に換算すれば金貨一枚程度のものでしかない。金貨自体、庶民の生活ではほぼ見ない。大きな取引きをする貴族や王族、商人くらいしか扱わないものだから、この商人一行も相当なものだろう。

 本の数冊でこれだけ高額な取引きになるのだ、もしかしたら、孤児院で文字を教えているのは、優秀な者を見出し写本師育成の目論みもあるのだろうか。羊と本の町になる日も近いかもしれない。

 旦那様が客人を接客していたバセを呼び、怪我をして不自由な利き手の代わりに、書類へのサインを代筆させた。

 ラフィが買った絵のことを思う。

 あの絵が、価値のわかる人間にいくらの値をつけられるのか。ラフィがいいものだと判断したものが、他人の目を通して見れば、価値がどう変わるのか。

 絵には興味がないが、ラフィの審美眼が金額という確かな数値で評価されるのは、テストの結果が出されるのに似ていて少し楽しみだ。

 晴れやかな表情の商人が、旦那様の後ろに控える俺とラフィを交互に見る。

「ところで。そちら様は?」

「この冬から雇った、新しい使用人だ」

「市場で何度かお見かけしたことがあります。そうですか、こちらで雇われたのですね」

 商人たちに会釈を返す。

 目立つ俺たちだ、覚えられていたのだろう。

 ラフィは俺とは反対側のソファーの後ろに控えている。何を考えているか表情からわからないが、場を乱す気は無いようだ。

 ぼうっと立っているラフィに商人の目がとまった。

「いいセーターを着ていますね。淡いグレーとは珍しい。近くで見てもよろしいですか?」

「……構わない」

 若干嫌そうな仏頂面ながらも了承した。

 普段なら他人がズケズケと側に寄るのを鬱陶しがるのに、セーターを褒められ、自慢したい気持ちの方が勝ったらしい。

 しかし、ラフィの高慢な物言いにはハラハラする。生まれたときから人の上に立つ者として教育を受けてきた元王子だ、国を出てからも抜けきれず、それが元となり時々トラブルに発展する。

 酒場なら短気なラフィが相手を殴って昏倒させて終わるが、客人にはそうも行かない。

 今回もそうならないか心配したが、様々な客と対峙して来たであろう商人は、気に障った体もない。人より物しか見えていない様子で、「失礼しますよ」と断りを入れ、ラフィの側に行って着ているセーターを間近で観察したり、首元を軽く引っ張り、感触を確かめている。

 近すぎる商人に対し、眉間にシワを寄せ、睨み付け、顔の険しさを強めてはいるが、文句一つも言わない。

 ラフィに触れていないのだが、見ているこっちもあまりいい気はしない。中身よりも外側ばかり注目していて着ている人間には興味を示さないのも、なんだか面白くない。元々は、平民が目にすることも恐れ多い地位に居た我が主人だ、簡単に触れていい者じゃない。だからといって、ラフィ自身に興味を持たれても問題なのだが。

 まあ、今はただの平民、ただの使用人だけれど。それでも、釈然としない。ラフィが元々、立場ある人間だったから、というのではないのかもしれない。俺だって、ラフィに対する態度は対等なものだし……。俺のものに他人が馴れ馴れしく触っているような。

「編み目も均一で肌触りも良い。しかし、グレーはこの町でもあまり見ない色です」

「雪雲を纏えるセーターだ」

「ほう。なる程、冬の天を着る、ですか」

 ラフィの一言で、興味本位だった目の色が商売人のそれに変わった。

「工場に行けば、それの毛糸の在庫があったはずだ」すかさず旦那様が口を挟んだ。

「是非、毛糸の現物が見てみたい。他にも変わった色や模様の生地がありましたら其れ等も見せて頂けませんか」

「向こうに居る代理者と話を付けるといい。バセ、一緒に行ってヤガに説明してやれ」

「かしこまりました」

 それから和やかにディナーの予定をされ、商人一行はバセと共に応接室を出て行く。

 ラフィと別れ、俺たちもそれぞれの仕事へ戻る。

 工場から帰ってきた商人たちと旦那様が、工場の感想や、取引きの報告を交えながらディナーを共にされ、商人一行はメイドに客室へと案内されて行った。

 就寝前の旦那様は、「青い小僧のおかげで、売れ残りのグレーの毛糸が全部売れたわ。冬の間、使用人の服をセーターにするかの」と終始ご機嫌でベッドに入られた。

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