第10話−後.雇用主と使用人の態度じゃない

 一通り話がついたとき、ドアがノックされ、「薪を補充に来てやったぞ」と声がする。

 尊大でぶっきらぼうな物言いは、雇い主へ向けるものじゃない。奉仕する気が全く無くとも、上辺だけでも取り繕ってもう少し気を使うべきだろうに。仕事を頂いている立場であるにもかかわらず、敬意や礼儀というものを完全に無視している。

「入れ」

 旦那様の許可を経て、カートと共に入室してきたのは、尊大な物言いの声の主――ラフィ。割った薪を毎日こうして各部屋に補充しに回っていた。

 雪が積もり始めてからは、朝から雪下ろしに雪かきと、日暮れまで動き回り、ときどき「下に立つな!」だとか「確認してから雪を落とせ!」だとか窓の向こうから怒号とそれに対する他の使用人たちの威勢のいい返事が聞こえてくる。

 体力が有り余るラフィだ、人一倍働いても平気な顔でピンピンしているのだから、夜にたまたま廊下で擦れ違ったリグが、夕方雪かきに混じったらしく、疲れた様子で「なんッスかあれ。化け物ッス……」と声を潜めてため息交じりに愚痴を溢して行くほど。

 すっかり雪かき人員のまとめ役だ。

 おかげで、雪かきの事故に対する意識が高まり、安全性は増した。

 カートを引くラフィが書斎へ入室したとき、朝と格好が違う事に気づいていた。今は仕事中だ、顔にも態度にも出さなかったし、想定外の出来事が起きても冷静に受け流せる経験と自信があった。

 それでも、目聡い老齢の豪商人と、人の変化に敏感な我が主人は、僅かな変化も見逃してくれない。

 ラフィが「どうだ」とでも言うかのように胸を張る。俺に対して、してやった気でいるらしい。

「青い小僧、今日は変わった格好をしておるな」

「ミラが俺の為に色を選んで、俺の為だけに編んでくれたセーターとマフラーだ」

 毛糸は中古のワンピースを解いたもので、毛糸屋にずらりと並ぶ色とりどりの毛糸の中から選んだものとは違う、たまたま合いそうなものが蚤の市にあっただけ、と喉まで出かかってやめた。論点はそこじゃない。

 旦那様側の屋敷へ入る使用人には制服が支給されている。上等な羊毛で出来た黒のジャケットとズボン、ベスト、清潔感が一目でわかる真っ白なシャツ。それから、寒ければ室内でも着ることを許されている膝まである丈の黒いコート、着るかどうかは各自の判断に任せられたリネンの肌着。田舎にあっても野暮ったくない、清潔感と機能性を兼ね備えた服装だ。

 なのに、ジャケットの下に着ているのは、昨晩編み上がったライトグレーのセーターだ。ベストも着ていない。

 ラフィはこうして薪を配りに来るのだから、当然、制服はある。セーターをいち早く着たいと駄々をこねたが、それは休みの日に取っておこうと納得させて、今朝もキチンと制服を着せたはず。

 雪深い極寒の外に出す為に、制服の上から、羊の毛皮が内側に縫い付けられ、フードに兎の毛皮付きの蒲公英色をした羊毛外套と、同じく羊の毛皮と羊毛生地で二重になっているズボンを履かせて雪かきに出した。

 外から帰ってきて着替えたのか。

 自分でボタンを閉められないラフィが、なんとか外したのか、誰かに脱がせてもらったかわからないが、セーターの上に羽織っているジャケットのボタンが開けっぱなしだ。

 汗をかいたから着替えたならわかる。

 室内でマフラーをするな。

 元々、裾の長いワンピースだっため、残った毛糸で編んだものだ。

 セーターと一緒に自慢したいのだろうけど、どっちも屋敷内でするのはよろしくない。

 旦那様が、使用人に暖かい上等な衣服も与えず、薪代の節約で使用人に寒い思いをさせているケチな商人だと、外から来た客人に思われてしまうのではないか。

「屋敷内でマフラーをしている使用人なんて初めてじゃ」

 俺の杞憂とは裏腹に、キギ・コナが愉快そうに笑った。

「申し訳ございません。今すぐ着替えさせます」

「いや、構わん。その方が面白い」

「お家の尊厳に障ります。せめてジャケットのボタンを閉めて、マフラーを外させて下さい」

「別にいいだろう。ジジイもいいと言っている事だ」

 相変わらず、雇い主をジジイ呼ばわりしていた。それを面白がって許している旦那様も大概だ、雇用主と使用人の態度じゃない。客人に聞かれたら、屋敷の主人としての威厳に関わる。

 ずっとこんな調子だから、雇われる前に感じていたモヤモヤした違和感が、働き始めて間もなく吹き飛んだ。

 使用人は使用人、雇い主は雇い主だ、友人でも家族でもない。一線を引くべきではないのか。

「なんでマフラーなんてしているのですか」

「ジジイに自慢してやろうと思った」

 新しい服を買って貰った子供か。中古の元ワンピースだっもので新品ではないけれど。

「まさかとは思いますが、使用人たちに自慢して回っていたりしませんよね」

「……そんな子供っぽい真似をする筈がないだろう」

 ツンと顔を背ける。

「成る程、自慢して歩いているのですね。今すぐマフラーを外せ」

「大切な奴から貰ったんだ、自慢して何が悪い!」

「開き直るな。外さなければ、夜中にマフラーを暖炉へくべる」

 詰め寄って壁際まで追い込む。猫に追い詰められたネズミみたいに身を固くするラフィと、暫しにらみ合う。ようやく、ラフィが渋々マフラーの外した。

「もう編んでやらんとは言わない辺り、甘いな。普段すまし顔で居る奴が、青い小僧が絡むと途端に生き生きしおる。そっちの方が人間味があって良いぞ」

「雇用主と、運命を共にすると覚悟した相手が同じでないのは当然です」

「ワシにも少しは優しくしたらどうだ」

「ジジイが甘えるな。俺のミラだぞ。俺のだ」

 ブスッと不満げな顔をするラフィのジャケットのボタンを閉めてやった。

 セーターは旦那様の許しが出たので仕方ない。素肌にジャケットを着せるわけにはいかないし。せめて、ちゃんとした格好をしろ。

「ほう。悪くない」

 ジャケットの前を閉じてちゃんと着たラフィに目を向け、旦那様が感心した。

 決まった服装がある使用人としてはどうかと思うが、着こなしとしては悪くない。売り物として作っていないから、凝った模様編みを一切していない、ライトグレーのシンプルなセーターは、かっちりしたジャケットに合っている。

「似合って当たり前だ。ミラが俺用に仕立てたのだから。それより、俺のミラに触れていないだろうな」

「生活の補助をさせているのだから、寧ろ触られいるぞ」

 キギ・コナが意地悪な笑みを見せた。わざと徴発して遊んでいるのだ、たちが悪い。

「介護だろう。スケベジジイ」

「こんな怪我さえ治れば、自分の足だけで歩けるわ。それに、誰がお前たちみたいな鼻垂れ小僧を相手にするものか。魅力というのはな、髪が真っ白になった頃の淑女の未亡人にしか無い」

「スケベジジイ」

「スケベの何が悪い。生涯現役じゃ」

「俺は現在進行だ」

 張り合うな。

「相手も居る」

 仕事中だ、こっち見るな。

 旦那様とラフィは顔を合わせる度、飽きもせずしょうもない言い合いを繰り広げている。この光景は、もう慣れた。

 ラフィが言葉を覚えるのが早かったのは、このためでもある。雇い主を言い負かしてやりたいから、語彙が豊富になったなんて、褒められたやり方ではない。

 だけど、人嫌いがここまで言い合をする相手というのは珍しい。

 相手がいい歳なのだから、力で捻じ伏せるにもいかない、という配慮は流石のラフィでも心得ているのだろう。

 ラフィが薪を運んで、暖炉横にある灰入れの桶をカートに積む。なんだかんだ、仕事をちゃんとこなすだけの真面目さはあった。

 ドアがノックされる。バセが、旦那様に来客がある旨を伝えた。

「待て。小僧も付き合え」

 出て行こうとするラフィを呼び止めたキギ・コナは、何故か機嫌がいい。

 敬語も礼儀も無視し続ける青い珍獣を同席させる意図は何かあるのか。一抹の不安を覚えた。

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