第10話−中.雇用主と使用人の態度じゃない

「フン、今度は同情でも買いたいのか。片言で話していたときは可愛げあったのに、あっという間に小憎らしいくなりおった」

「恐れ入ります」

「褒めとらん。こんな面倒な男だと知っていたら、言葉なんて勉強させるんじゃなかったわ」

「筆頭執事に、甘やかさないようにと指示されております。書斎の中だけていいので、意識して歩く時間を増やしてださい」

「お前が煩く言うから、ちゃんと歩いて居るだろう。全く、ウチの使用人たちはこの年寄りを虐めたいのか」

「御身の為です」

「そんな堅苦しい言葉、どこで覚えた。何が「御身」じゃ。商家は平民だぞ、そういうのを慇懃無礼と言うんじゃ」

 執事のバセから敬語を、使用人たちや町の連中からは日常用語を、それ以外は本から学び、偏りなく文法と単語を覚えた。その上で堅苦しいと言われるのは、王宮で育った俺自身の基礎に染みついたものか。

「口うるさいと感じておられるのなら、どうして私どもを雇われているのでしょう」

「暇つぶしじゃ」

 不平ばかり並べる旦那様だが、追い出すとは言い出さない辺り、本当に暇つぶしの口論くらいの感覚なのだろう。

 屋敷を追い出されたたなら、雪かきや薪割りを手伝いながら、持ち回りで知り合いの家々を転々と泊まり歩けば、一家庭に依存するではなく食糧等の掛かる負担が少なくなるから、一冬くらいならなんとかなりそうではある。

 雇われる前に思いついていたなら、そうしていたのかもしれない。

「口うるさいのはお互い様ということで」

「ああ言えばこう言う。綺麗なのは見た目だけだな、遠慮を知らん。図体もデカいが態度もデカい」

「遠慮を知らないついでに、早く立ち上がってくださらないとお仕事に差し支えますよ。握力には自身がありませんが、体幹は鍛えてあります。体重を預けて下さって構いません。見た目以上に丈夫ですので」

 鍛えても握力が少々弱いのは、子供の頃に神経性の毒にやられた後遺症だ。かつて、王位継承権を持つ者の側仕えをしていたのだ、そういうこともある。日常生活を送る分には問題ない。

「席へお戻りになられたら、お茶を淹れますので休憩なさってください。暖炉の火の元ではこまめに水分を摂られるべきかと」

「いちいち気を回すな」

「クランベリージャムを挟んだビスケットもございます」

 甘酸っぱいジャムのビスケットをお茶に浸して食べるのがお好きな旦那様が口籠った。

 もうひと押し。

「運動後、休憩の際には旅の話でもいたしましょう」

 ゴニョゴニョと文句を垂れるも、素直に体重を預けてくる御老体の手を取り、怪我が痛まないように、尚かつ、怪我を庇って逆の手足に負担になりすぎないよう気を使いながら補助をする。

 骨に異常はなく捻挫なのだが、お年の為に治りが遅い。

 ゆっくりした動きで帳簿を手に机に戻られ、針葉樹の新芽のブレンドティーを淹れる。冬前に摘んで保存用に乾燥させた、ちょっとクセがあって爽やかに香るハーブとのブレンドティーの方が、喉にいいとか、風邪予防になるとかで、紅茶よりもお好みだ。

「唐辛子の粉は擦り切り一杯までになさってください」

「飲み方まで指し図される筋合いはない」

「旦那様が唐辛子入りお茶を啜って咽ておられたのは一昨日。取り上げはしませんので、譲歩だと受け取ってくだされば幸いです」

 唐辛子を入れてから出してもいいのだが、唐辛子の容器を出せと言って聞かなかったのは昨日で、もう既に一悶着した後だ。他人に入れて貰うより、自分で入れて頂いた方が納得するらしい。

 唐辛子を擦り切り一杯入れているところを見届け、落ちついた頃を見計らい、旅の話をする。

「お前は、食べ物の話が多くないか」

「料理が趣味なもので」

「コックで雇わなくてよかったわ。バッタの素揚げ、芋虫の蒸し焼き、蟻の踊り食いなど出されたら誰も食えん」

 昆虫食が根付いた国の話をしたばかりだった。

「旦那様にはお出ししません」

「ワシじゃなかったら、誰に出す気じゃ」

 旦那様が落ち着かれたところで、話題を変え、私用の話を切り出す。

「私用で申し分ないのですが、ご相談よろしいでしょうか」

「金か」

 飾らない率直な言葉を言う人ではあるが、いきなり身も蓋もない返答がきて、面食らった。

 旦那様は豪商だから、金の相談が多いのだろう。下手なご機嫌取りで回りくどいご機嫌取りに飽きているのかもしれない。

「ある意味、金です」

 正直に告げれば、片眉がピクリと上がった。

「言ってみろ。聞くかどうかは、後で考えてやろう」

「ありがとうございます。旦那様がご想像されている内容と異なるとは存じますが――」

 前置きして、ラフィが買った絵を売りたいことと、黄金の指輪を溶かしてしまいたいこと、詳細を話した。絵にサインはあるかと問われ、画面の隅に書かれていた名前を告げると、神妙な面持ちをされた。

「無名の方ですか」

「逆じゃ。その手のものは、贋作が多い。専門家に見て貰わにゃ、なんとも言えんがな。近々キャラバン隊を組んで都市へ行く予定がある。ウチの所有している絵も幾つか売りに出そうと思っていた。一緒に持っていってみよう」

「痛み入ります」

 気難しそうな老齢の顔に好奇心を覗かせて、旦那様がニヤリと笑う。

「こんな片田舎から出たそれが、田舎者をカモにしたガラクタか、埋もれていた本物のお宝か、確かめてみたいんじゃ」

 弛んだ瞼で目の周りを皺くちゃにして、顔は年相応でありながらも、瞳には宝探しを楽しんでいる少年のような光が宿っていた。

「偽物なら運ぶだけで損になりそうですが」

 都市まで何日も旅をしてまで絵を運び、偽物だったら骨折り損。

「ものの価値とは、誰がつけていると思う?」

 唐突に尋ねられ、少し考える。

「商人ではないでしょうか」

「商人が値を付けた商品が、永遠に人手に渡らなくともか?」

「では、買い手でしょうか」

「買い手がいなければ、商品は無価値か?」

「私などの素人では、価値というものが何を指すのかわかりかねます」

「それじゃよ。商人はそこに、値段という可視化した価値を付けるが、値段がつかなければ価値はないのか。

 その絵が本物だろうと、偽物だろうと。出来の良し悪しは別として、同じ絵の具、同じキャンバスを使われていても? 本物の絵の価値とはなんだ」

「申し訳ありません、芸術には疎いもので」

「技量、芸術性なんてのはその道のものにしかわからん。多くは評判じゃ。誰が、何と評価したか、芸術家にどんな噂話があるか、絵にどんな逸話があるか。偽物の絵には、価値が無いか?」

 本物だったらそれはそれで話題になる。偽物だったとして、絵自体に値段が付かなくとも、話の種になる。どっちに転んでも、別の価値を産む。

 評判は、価値となりうる。拾った石ころでも、幸運が舞い込むお守りだと言って逸話を聞かせれば、買う者が現れるような。やり過ぎれば詐欺と変わらないが、面白い話を聞かせてくれた対価として払う分には払ってもいいと思わせてくれるくらいの。旅の途中には、そんな商人やそれを楽しんでいる客も確かに居た。

 物の価値か。

 国を初めて出た頃は、買い物にも何度か失敗した。必要なものは伝えれば全て用意される、城の外に出て買い物をしたことも無ければ、通貨を持ったことも無かった。市井の生活は、新聞や本の中の情報でしかない。

 実際に宿をとるにしても、割高なくせに環境が悪く、安宿の方が過ごしやすい、なんてこともあった。

 そうやって失敗から学んだものがある。経験は、本の知識よりも価値があった。

 キギ・コナには、絵が偽物だろうが無価値にならない。どんなものにも価値を見出す商魂というものだろうか。

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