第10話−前.雇用主と使用人の態度じゃない
「飽きた」
ラフィがそう言い出した頃には、消し炭で描かれた紋章がすっかり焼印になっていた。
「少し歩くか。仕事場を把握しておきたいですし」
使用人が屋敷内をあまりウロウロするものではないが、客や主人の目につかない裏手や仕事場くらいなら気分転換に出ても構わないだろう。
湯浴みや冬の洗濯をする湯場や、厠の位置、物置き小屋、飲水を汲むための井戸、料理に使う為のハーブガーデン等を、今一度確認して回る。
ラフィと共に屋敷の外をひと回りし、使用人の通用口へ戻ってくると、そこに人影があった。
「あれは、執事とギルドの者か」
言うが早いか、ラフィがつかつかと二人のところへ行ってしまった。
俺たちの姿に気づいたギルドからの客が、その場から逃げるように立ち去る。
「おい、待て」
「言葉」
「そうだった」
母国語をこの国の言葉に直し、執事のバセを呼び止める。
『誰だ』
「ここの執事、バセだ」
『違う。アイツ』
「アイツとは」
『男』
「私も男です」
いや、まあ、そうだけど。
ラフィの語彙が少ない為に、うまくあしらわれている感じが否めない。
ラフィよりも接客業に居た俺の方がまだマシなので、助け船を出す。
『ギルドの者ですか』
「そうだな」
『金、渡した』と、ラフィがバセを凄む。
俺は見ていなかったが、ラフィは目ざとく金を渡した場面を見ていたらしい。
つまり。
状況からするに、バセがギルドに頼んで、俺たちがキャラバン隊に加わるのを阻止したのか。
『目標』
『『目的』です』
『目的、は、なんだ?』
逃がしてはくれない雰囲気のラフィに、バセが口を開く。
「お前たちが必要だった」
バセが話し出す。
旦那様は贅沢はあまりなさらない。従って、この屋敷は必要最低限しか人を雇っていない。
使用人が少ないところ、旦那様が怪我をされて生活が思うように出来なくってしまった。
仕事の多い筆頭執事のバセが主人にくっついていては、仕事が滞る。他の使用人たちもそれぞれ担当がある。加えて、バセもなかなかの年齢だ、体重を掛けられる対象が心許ないのは補助を必要とする旦那様の方も不安だろう。
冬は、体力的に負担の大きい雪下ろしや雪かきもある。
おあつらえ向きに、町で噂になっている俺たちが住むところと働き口を探していた。警備の補強にもなる。
宿にしていた食堂の店主とメイドのケミが知人で。信用面では、ラフィの自警団の指導、俺の食堂での働きやらが全て筒抜け。
ここへ来る前に俺たちがどういう人間なのか調べが付いていて採用は決定事項だった、と洗いざらい話した。
しかし、いくら質素倹約といっても、警備が夜の見回りのリグともう二人だけで、ほぼ番犬に頼っているほど。財産の実体は知らないが、町一番の金持ちで、金があると認識されている屋敷であるのに。物心つく前からずっと王太子に仕えてきた身として、考えられない警備の薄さだ。
「それと、旦那様に旅の話をしてやって欲しい。旦那様の若い頃、旅に出られていた時期がある。今はこの町を出られることもかなわぬご高齢だ。外の話を聞かせてやってくれ」
金持ちが屋敷に旅人を招き入れるのは、情報収集の為でもある。自分で行くことのない世界の話を聞くために雇うとは、聞かないことじゃない。
バセは旦那様の為に、俺たちを雇いたかったのだ。
『俺に言え。企むの、駄目』
辿々しい言葉遣いで、そういうことは直接自分に言えと叱るラフィに、バセが目を見開く。
上司に対する態度ではないが、言いたいことはわかる。計略に手を回すよりも、俺たちに直接相談して欲しかった。
「面接の態度から、町を出ていくものだと思っていた」
『決めるのは、ラフィです』
旦那様を大事にしているバセの気持ちもわかるが、それはそれだ。俺たちの行く先は自分たちで決める。他の誰でもない。
『屋敷で働くのは、俺たちの選択です』
『俺は、働く』
『『俺たちは』です』
働くと言ったら、働く。気に入らない採用のされ方ではあったが、ラフィは頑固なのだ。
屋敷に入った日早々に、筆頭執事とはちょっとあったが、それ以外に問題というものはない。
最初の頃こそ好奇な余所者に多少の警戒くらいはされてはいたが、それもすぐに打ち解けた。どうやら、初日の、食堂で貰ったパウンドケーキのお裾分けが功を奏したようだ。
働きながら、様々なことを学んだ。
まず、言葉。ここ国の言葉を母国語と同じく流暢に話せるようになるまで時間が掛からなかった。
元々、聞く分には問題なかったし、コミュニケーションは取れていた。だが、それが逆効果だった。この地に定住するとも限らない、またどこかの国へ行くかもしれない、ある程度話せるのだから日常生活で困ることはない、そんな考えが頭の片隅にあった。
それが、仕事となれば話は別。旦那様の来客と顔を合わせたとき、客人に失礼があってはならない。
発音や文法と共に、バセから風習や法律等もイチから学んだ。
暇をしていそうな使用人仲間を捕まえて、朗読会をしたり。航海日誌の写しや、薬草の本等、情報を得る為の本もあるが、娯楽用の小説、演劇台本なんてのも意外と豊富にあった。図書室の一角、本棚三台に渡りまとめて並べてある写本は、バセの承諾を得れば使用人に貸してくれる。大雪だったり吹雪いたりと外へ出られない日に、ここではない世界に思いを馳せる楽しみの一つだ。
文化に根付いた日常の記録や創作の書物が役に立った。様々な階級が使う言葉、土地や民族の文化が情景たっぷりに生々しく書かれていて。
この朗読会がなかなかいい交流会で。お茶を飲みながら、本を読み、感想を言い合ったり、気に入った本を紹介し合ったりと、同僚たちの性格、好みや考え方を知る有意義な時間だ。
雇い主である旦那様の生活補佐をする仕事としての、立ち居振る舞いに関しては「教えることは無い」と初日の終わりに言われたのだが。厳格な礼儀を求められてきた国柄とは文化が違うのか、または、田舎では豪商の部類とはいっても商家は平民だからなのか、細かい決まり事が多かった子供時代の記憶とは違い、大らかなのかもしれない。
働くには気が楽だが、拍子抜けした部分もある。仕えるのだから、旦那様には旦那様らしく威厳を保っていただいた方が気が引き締まるというもの。しいて挙げるなら、不満はそこだけだ。
たまに、あの林檎のケーキが食べたいと使用人仲間に頼まれ、再現することもあるが、料理が趣味なだけに強請られるのは苦ではない。
ラフィの方はというと。
元々負けず嫌いで「お前が出来るのに、俺が出来ないはずがない」とライバル心を剥き出しにして、一緒になって本読みに参加していた。
それに加え、旦那様との関係にも言葉の上達具合いに拍車を掛けた。果たして、それがいいのか、悪いのか……ちょっと複雑な心境だ。
生活環境が大きく変わったかというと、そうでもない。
ここでの生活は、朝は暗いうちに起きて体を動かし、ラフィを起こして支度をせっつき、着替えの手伝いから始まる。食堂で働いていた頃と大体同じ。
自分たちの寝室と使用人スペースの掃除、雪を湯釜いっぱいに入れ、暖炉の火力を上げて湯を作り、使用人総出で洗濯。雑談と鼻歌混じりに皆でやる光景は賑やかで、あっという間に洗濯が終わる。おかげで、作業歌もいくつか覚えた。
朝食を摂って、明るくなる頃に出て行く雪かき組を見送り、朝食の片付けと昼食の支度を済ませ、旦那様が起き出す時間に部屋へ向かう。この一連が冬の朝の日課だ。
旦那様は独り身で家族はいらっしゃらない。
一日の殆どを書斎で過ごされ、食事もそこで摂られる。談話室や食堂もあるのだが、来客が無い限り使わず、其方の暖炉には殆ど火が入ることがないのだという。
旦那様側の屋敷は使用人のスペースとは違い、防犯上の問題で俺の知る大抵の屋敷と構造と大差ない。エントランスから各部屋のドアが目視できて動向が丸見え、なんてことはない。
暖炉の熱は部屋ごとに区切られてしまうため、部屋を移動する度に寒い思いをする。使用人たちのスペースの方が暖かく快適だ。高齢な旦那様にはさぞ堪えるだろう。
この時期の朝は、当たり前にキッチンの水瓶が凍る。夜に、旦那様の部屋へリグが巡回するのは、案外、命に関わる重要な仕事だった。
机仕事で本等を落とされても腰を屈める事が億劫な旦那様に代わって拾い、寒いと言われればブランケットを差し出して暖炉に薪をくべ、片足首と片手首の怪我に負担が掛からないよう椅子から立ち上がるときの補助等、一日中側に仕え介護するのが俺の仕事だ。
「先々月の帳簿を取ってくれ。赤い背表紙の」
椅子に座り、背中を丸めて先月の帳簿に目を通す旦那様から声がか掛かった。
「ご自分で取られたら如何ですか」
わざと突き放せば、旦那様が怪訝な顔でこちらを振り返る。
「ワシの補助がお前の仕事だ」
「ですから、立ち上がりと歩行の補助を致します。関節が固まってしまいますよ。先ほど、肩が痛いだの腰が重いだの仰っておられたのは座りっぱなしのせいです。寝たきり老人になりたいのでしたら、帳簿をお取りします。そうなられても解雇されない限りは仕事の範囲でお世話致します」
「生意気な使用人だ。誰に物を言っておる」
「旦那様です」
「お前のせいで疲れて余計に具合いが悪くなる」
「このところ、朝のお目覚めがよろしいようで。適度に体を動かされる効果ですね」
「たまたま体調がいいだけだ」
「喜ばしいことです」
「そうやって、いい気にさせて、ワシを殺す気か」
「住む所と職を失うので、銅貨一枚の得にもなりません。旦那様にはいつまでもお元気で居てもらわなくては、仕える者たちが路頭に迷ってしまいます。私共を吹雪の中へ放り出したいのなら、どうぞそのままお座りになっていてください」
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