第9話−後.遺物の指輪

「字、読めるんッスか?」

『わからないところは聞きます』

「外には絶対漏らないようにって、言いつけッス」

『わかりました』

 裏表紙にデコボコした感触があり、表にしてみる。上から見た巻き貝のような絵が刻印してあった。恐らく、紋章か何かか。紋章、平民の生活の中には無い言葉だ。

『この……絵? 貝ですか?』

「紋章ッス」

『紋章っす』また一つ新しい単語を覚えようと口にした。

「紋章。「ッス」は要らねぇッス。オレの口癖なんで。それに、貝じゃなくて羊の角ッスよ。まあ、貝みたいッスけど。羊で商売してる、旦那様の紋章ッスね」

 羊皮紙の本に羊角の紋章。見事に羊一色。

 リグが二杯目のお茶を自分で淹れだす。

『紅茶、変えますか?』

「いいッス」

 茶葉を変えない紅茶のニ煎目は、香りも少ない。リグが飲んでいるのは、ほぼ唐辛子茶。本人がそれでいいのなら、別にいいが。

 ここでの生活や仕事の注意点やらを聞いている間、ずっと視線を感じていた。もうすっかり冷めているだろうに、チビチビ舐めるように紅茶を傾けているラフィ。それはもう、飲んでいるとはいえない。

 恨めしそうに睨んでくる視線が刺さる。熱心に見つめてくる対象は、リグではなく俺。

 ずっと黙って見てくるが、話に入りたいのなら入ってくればいいのに。

「……」

「……」

 リグとの会話も途切れ、しばらく様子を見てみたたが、こっちを気にかけろとばかりに目だけは多弁なくせ、閉口したまま。

 俺が痺れを切らすまで、我慢比べでもするつもりか。

 このまま無視し続けても余計にへそを曲げるだけ。後々面倒になりそうだ。

『ご用件は何でしょうか』

『構え!』

『剣の稽古ですか』

 リグが咽せ、足元横に伏せている番犬は迷惑そうに一度顔を上げて恨めしい目で主人を見上げる。

『違う!』

 リグとばかり会話していて、自分は相手にされなかったのが気にくわなかったらしい。

 構われなくてヤキモチを焼く。リグの犬より辛抱がない。

『話しかけられなかった』

『返事、しろ』

『はい』

『違う』

 話しかけられなかったから話しかけなかったのだし、返事をしろと言われたからしただけなのに、理不尽。

『お茶のおかわりはいりますか』

『いらない』

『ケーキのおかわりはいりますか』

『いらない』

『歌いますか』

『いらない』

『本読みしますか』

『いらない』

「ミラさん、寝かしつけようとしてるッス」

 リグが控えめに呟いた。

 俺は何を求められているのか。

 犬にするように頭を撫でてやればいいのか、いつも通りにからかってやればいいのか。

 本人も構われたいだけで、特に何を要求したいのか考えていない様子。

 前足に顎を乗せて伏せる番犬と目が合った。長いマズルのシュッとした顔立ちでありながら、黒々とした瞳が可愛らしくも、利発そうな色をしている。じっとしていて動かず、吠えもしない。構えと言ったり、違うと言ったり、わがままなウチの主人も見習って欲しい。

『ラフィ、お手』

 手のひらを差し出すと、何の疑問も持たずに手を乗せてくるラフィ。

『「お手」覚えました』

 今度はリグがお茶を盛大に吹き出し、驚いた番犬が足元から離れた。

「ゲホッ……とう……がら、し……ゴホッゴホッ……」

 繰り広げる茶番劇の傍観者一名が、苦しそうに咳き込む。

『犬じゃない!』

『「おかわり」より「お手」が先です』

『犬じゃない! 撫でる違う!』

 不服げな言葉とは裏腹に、グリグリ頭を撫でる手を払いのけようとしない。それどころか、自ら頭をこっちに傾けてくるのだから、珍妙な生き物になったものだ。

『紋章、ある』

 構われたい気分は一通り満足したのか、唐突にキギ・コナの紋章に対抗心を燃やし出しす。キギ・コナとは、先の面接で口喧嘩をした相手であるから、余計に負けず嫌いが発揮したのだろう。コロコロ気が変わって忙しい人だ。

 ラフィの紋章には、俺も心当たりがある。

 自分の首にかかっている革紐を引っ張り、服の中からペンダントをだす。黄金に輝く指輪だ。分厚く、滑らかな加工がされ、一つの紋章が刻んである。俺の物ではなくラフィの持ち物で、故郷の国を出るときから預かっていた。

 あからさまな黄金だ、これ見よがしに指に填めていれば賊に狙われる。用心して、革の紐を通し、首から下げて服の中に隠していた。

 母国とは交流が無い国のようだし、野いばらの紋章は珍しくない。この場で、これを見せたからといって、俺たちが何者かわかるという代物ではない。

「また、すんごい高そうなもんが」

『金貨一枚』

 黄金てしての価値はその程度だ。持っていく所に持っていけば騒動になるし、俺たちには因縁のある古い指輪でも、市場では黄金としての価値でしかない。

「いやいや、金貨一枚でも大金ッス。この指輪の紋章がそうッスか?」

『違う』

 指輪を出したときから、ラフィが顔を顰めていた。さっきのヤキモチからくる可愛らしい不機嫌と違い、嫌悪感を隠さない正真正銘の不機嫌。

「そんなものいつまで取っておくつもりだ」

 この国の言葉で頑張って会話していたのが、母国語になった。

「主人からの大切な預かりものですので」

「売るなり捨てるなり、処分しろ。それを見ると昔のことを思い出して気分が悪い」

 言い捨て、ツンと顔を背けた。

 今となっては持ち物の中で唯一、ラフィの出生を示すもの。ラフィの亡き母、個人を示す紋章の入った指輪を、簡単に売ることは出来ない。

「処分するのなら、潰すことになります」

 完全に国を捨てるというなら、ラフィの出生を示す指輪が出回るのも不都合。溶かしてただの黄金の粒にしてしまえば手放せる。

「そうしろ」

「本当に、いいのか」

「しつこい。処分しろと言っているんだ。処分の仕方はお前に任せる」

「かしこまりました。では、その様に」

「なんッスか?」

 言葉が通じないリグがキョトンとする。

 革紐を摘まんで指輪を掲げて見せた。

『潰す』

「美人が言うと怖いッス。こう、ヒュンとする」

 身を竦めているが、潰すのは黄金の指輪であって、リグではない。

 ラフィが椅子から立ち上がって、暖炉横の、灰が入っている桶を漁る。拾ってきた炭で木板に何か書き始めた。

『新しい紋章』

 自慢げに見せてきたのは、獣の首を半円に囲む草の絵。

「可愛い子犬ッスね」

『違う。狼』

 僅かに眉間を寄せた仏頂面だが、リグを拒絶しなかった。

 先の失敗があってか、リグも積極的に近づこうとするのではなく、距離を測りながら、相手に合わせている配慮を感じる。

 ラフィは絵が下手ではないが、特別上手いとも言い難い。どんなに獰猛な獣でも、ラフィの手に掛かれば可愛らしくなってしまう。

「狼なら……」

 リグが別の木板に書き始めた。

「これでどうッスか」

 構図はそのままに、炭で描かれた凛々しい狼の横顔が木板の上に出現していた。この短時間で描いたとは思えない出来だ。

『草、違う』

「どんな感じッスか」

『葉、三つ』

「三つ? 三つ叉?」

『違う。こう……』

「野葡萄の葉っぽいやつッスね」

『違う。小さい、細い』

「了解。……こうッスか?」

 二人は夢中になって木板の表面を炭で染めていく。

 いつの間にか始まった、お絵描き交流会。今使っている木板は、文字書きの練習の為にくれたんじゃなかったのか。

 ああでもないこうでもないと、共同作業で一つの紋章を作り、最初よりだいぶ打ち解けている。割り切ってしまえば、近づくのは案外早い。リグの、辿々しい文法のラフィにも根気よく付き合ってくれているおかげもある。

 これでは、どちらが年上なのかわからないな。

 幼児のお絵かきに付き合ってくれている兄のような光景を、紅茶をすすり、セーターを編みながら微笑ましく眺めていた。

 そうしてラフィが納得いくまで試行錯誤して出来た絵は、最初のものより紋章として遜色ないものになっていた。

「オレ、もう行かねぇと。久しぶりに絵描けて楽しかったッス。お茶、ごちそうさま」

 リグが番犬と共に慌ただしく出て行った。

 炭で板面いっぱいに描かれたものが残された。文字書きの練習にと貰った木板の半分が絵で消費されてしまった。目的以外で使ったと見つかる前に、割って暖炉放り込んでおく。

 一枚だけ燃やさなかったのは、ことのほかラフィが気に入って、消えないようにと、鉄の火かき棒を暖炉で熱し、時間をかけて丁寧になぞっていたからだ。やることがなくて暇だっただけかもしれないが……。

 ラフィがやたら拘っていた、狼の首を囲む草の絵は、母国によく生えていた懐かしいものだった。

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