第9話−前.遺物の指輪

 備え付けベッドを空き部屋に移し、服もクローゼットに全て掛けた。個人の持ち物はそんなに多くない。談話室へ戻り、休憩にする。

 凍りつく気温の日暮れでも朝方でも冬中でもない昼間、暖炉に火が入っていない。厨房へ案内してもらい、料理をしていたコックにことわって火を借り、紅茶を淹れる。林檎のパウンドケーキを一本、切り分けた。もう一本は、火のお礼と挨拶ついでにコックへ渡しておく。使用人たちの休憩時間にでも食べてもらおう。

 ケーキと紅茶を持って、談話室に戻る。

 リグが聞きたがっていた絵の話をしつつ、ティータイムだ。

「オレもご馳走になっちゃっていいんッスか」

『どうぞ』

「紅茶なんて久しぶりッス」

 繊細で芳醇な香りを放つ紅茶を、大事そうに啜るリグ。

 その辺に生えているハーブを摘んで淹れるいつものフレッシュハーブティーや、針葉樹の新芽で淹れる森の香りがするお茶も良いが、朝市でしか手に入らない紅茶は贅沢品だ。引っ越しの挨拶に振る舞う茶なら丁度いい。

 柔らかで口溶けがよく、きつね色に焼けたバターと、廃糖蜜のカラメルソースのような味わい中に、たまに当たる食感の残った林檎の酸味が爽やかに香り、ケーキをよく引き立ててくれる。もう少し寝かせると、しっとりした舌触りになるが、焼き立てはフカフカな食感で香ばしい香りが、また違った魅力だ。

「粉唐辛子が欲しいッス」

『持ってないです』

「あるッスよ。こっちの棚に……」

 棚から小さな木箱をとってきた。この町では、砂糖感覚でお茶に入れる。俺たちが生まれ育った文化や味覚とは異なるところだ。

「いる?」

『いらないです』

 断れば、リグは自分のカップにだけティースプーン山盛りの粉唐辛子を入れた。

 そんなに入れて、紅茶の香りがわからなくならないのだろうか。体は温まるだろうけど。

 仕事は明日からで、貴重な空き時間。荷物から引っ張り出した、途中まで編み進んでいたセーターの続きを編む。

 編む手もずいぶん早くなったと実感する。雪が積もり始めると食堂の客足が極端に減る。暇な時間、編み物に精を出していたのだから手慣れたものだ。

 糸紡ぎ等の家の中で出来る手仕事は、老若男女、力も体力も関係なくやれる仕事だ。出来が良いものは良い値段で売れるし、店の給金が減ってもこっちの内職で補填して小遣い分余るくらいにはなっていた。

「上手いッスね。ウチの母ちゃん見てるみたいッス。いや、ミラさんは同性でも気後れするくらい遥かに美人なんで、比べようがないッスけど。

 荷物運びのとき、貢ぎものの食料を目にしてるんで」

『みつぎ……?』

「貢ぎ物、プレゼント、贈り物のことッス。でも、ちょっとでもお近づきになりたくなる気持ちわからなくないッス。ミラさん高嶺の花っぽい美人さんで、男女の両方からモテてそうだし、腕っ節の立つ人が傍に居るしで手は出せないけど、存在くらいは認識してもらいたい、あわよくば仲良くなりたい的な」

 ケーキをペロリと平らげた口がよく動く。

 ちょっとでもお近づきに、なんて、町の連中からそんな奥ゆかしさを感じたことはない。ふらっと出掛けても、積極的に話しかけてくるぞ。リグだって、初対面から遠慮なく話し掛けられてくるし、これで気後れしているのか。だとすれば、その社交性は底しれない。

 容姿に関しては散々言われ慣れているからなんとも思わないが、長年編み物をしてきたであろう現地人と同じくらいの技量だと褒められるのは悪い気がしない。

「だけど、グレーかぁ。あんまり人気無いんッスよね」

『いい色です』

「色が悪いってもんでもないッスけど、#冬中__ふゆなか__#の空は大体その一色」

 言われてみれば、白っぽいグレーは雪雲と同じ色だ。

「雪の中に埋もれたら目立たないし」

『セーターで外出しません』

 この町の冬の外套は赤や黄色といった派手なものが多いのはその為かと納得した。目立たない色は、万が一雪に埋もれて身動き取れなくなったとき、文字通り死活問題。だが、セーター一枚で外出するのは、冬の寒さに戦いを挑んでいる命知らずの戦士か何処かに防寒具を忘れた酔っ払いくらいしか居ない。

「そうだ。バセさんに、来たら渡しといてって言われてたんッス」

 談話室の棚からリグが持ってきたのは、木板の束と一冊の本。

 そういうものは最初に出せ、と昔の俺なら言っていた。今は、忘れずに渡してくれたことに感謝して受け取る。

「この木板は字を書く練習用にって。もしかして、いらないッスかね」

『いいえ、ありがとうございます』

 練習に使うには紙よりもっぱら木板。紙は加工に手間が掛かる分値が張るが、木板は何処にでもある。書く所がなくなれば、割って、暖炉やかまどの焚きつけに丁度いい。

 字の読み書きが出来なければならない仕事内容なのだろうか。それとも、孤児院の子供くらいに書けるようになれという旦那様の言いつけを守るように、ということなのか。

『この町の人、字を書けますか』

「孤児院で町の子供らも集めて勉強教えてるんッスよ。なんでも、旦那様が若い頃、字が読めなくて苦労した経験から、寄付金を出すから子供らに文字と簡単な計算を教えるようにって、言ったらしいッス。あと、孤児院で勉強すると洗浄済みの羊毛か、毛糸が貰える」

 貰った羊毛を糸にしたり、毛糸を編んで売れば金になる。出来たニットをキギ・コナの店が買い取って別の町で色を付けて売れば、子供を授業に出した親もキギ・コナも損をしない。編んだものを売りに出されなくても、使って貰えば品質をじかに知って貰えて宣伝になる。一代で豪商となった商売人は抜け目ない。

 渡されたもう一つは、革張りで厚みがある本だ。

『羊……革?』

 開くと、聖書等の上等な書物に使われる羊皮紙で少し驚いた。

「羊皮紙」

『羊皮紙』

 聞き慣れない単語を口にする。

「なんか、照れるッスね。美人さんに教えるのって」

『駄目ですか』

「いやいや、全然! 大歓迎ッス! 聞かれたら何でも答えるッスよ、ゴホッ」

 調子良くドンと胸を叩いて咽た。

 張り切っているのはわかった。本当に何でも答えてくれそうだ。

『羊皮紙のことを教えてください』

「ゴホッ……んんっ、簡単な話ッスよ。旦那様のところの工場、羊を含めた獣の解体も請け負ってるッス。血抜きも洗浄も無料、毛皮分の買い取りで逆に金が貰えて手間も省けてお得しかねぇ」

 これ一冊で一年は収入がなくても困らない金額になる高価で贅沢な羊皮紙も、ここでは比較的手に入りやすいのか。さすが、羊の町。

 滑らかで柔らかく、触り心地のいい本のページに、インクで一字一字丁寧に書かれていた内容は、旦那様の予定や一日をどう過ごされたか等の詳細な記録。雇い主の体調管理や好みの把握も執事の仕事。旦那様の生活補助に雇い入れられたのだから、把握しておきたい情報だ。

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