第8話−後.引っ越した先に犬
自己紹介すると、相棒が吠え掛かったお詫びだと、荷物運びを手伝って貰った。
「食料、多くないッスか」
『もらいました』
「なるほど。こっちは……絵ッスか?」
ラフィの背丈もある油絵を興味深げに顔を近づけるリグ。
『売る』
絵の所有主が鬱陶しそうに答えた。
「あー、もしかして蚤の市で買ったってヤツ? 旦那様に頼めば、町に行くとき一緒にオークションに出して貰えるんじゃないッスかね」
この小さな町に美術品を扱う店なんてないのだから、絵を買う場所は朝市くらいしかない。
庶民とは無縁だが、資産家が絵画や美術品を資産として持つことはよくある。この屋敷にもそういった資産があるのだろう。
「こう見えて、絵描きを目指したことあるんで。すぐ諦めたッスけどね、絵じゃ食って行けねぇんで。
しかしこれ、面白い絵ッスね。花の静物画っていったら花が主役なのに、花瓶の絵付けが主役っていう。生けられている植物は抽象的で回りが暗いけど、花瓶だけは鮮やかに描かれてるっしょ?」
『そうですか』
俺に同意を求められても、興味が無いからなんとも言えない。
『逆』
適当に返事をした俺よりも、絵を買った本人がぶっきらぼうに言い捨てた。何か言いたそうで、イライラしている様子。
語彙が少ないために意見が伝わらない以外にも、見知らぬ人間が無遠慮に自分の持ち物、しかも傷一つで価値を左右する美術品を許可なく手にして、近づいてくる無神経さに原因があると見た。
「ん? 逆さまってことッスか?」
『違う』
「どういうことで?」
首をひねって絵を逆さにしようとしていたリグから、ラフィは絵を取り上げ軽く肩に担ぐ。
「ちょっと、教えてくれたっていいじゃないッスか」
『うるさい』
一言で突っぱね、不機嫌な足取りで割り振られた部屋へ行ってしまった。
初対面で距離を縮めてきたリグに対し、警戒して逃げたのだ。
快適な職場環境を整えるにはコミニュケーションが必須なのだが、初日で失敗している。
置き去りにされたリグの方は、分かっていないようで眉尻を下げる。
「なんッスか、あれ。ちょっと聞いただけなのに、なんで怒ってるんスかね」
あれは、怒っている、とはちょっと違う。
元々警戒心の強いラフィだ、初対面の人間に馴れ馴れしく話し掛けられ、気に触った。
生まれてからずっと仕えてきた主人の、他人を拒絶する態度が手に取るようにわかる。
あれ以上しつこく纏わりついていたら、リグは鼻を折られ顔面を血で染めていた。不快ものを遠ざけるために手っ取り早く排除しようとする、動物の本能的な攻撃行動。
それを思えば、手をあげる前にこの場を去るのは、ラフィなりの感情の制御――配慮なのかもしれない。
人間関係に関しては、ゆっくりやっていけばいい。
リグにも、ラフィの扱いについて簡単に説明しておこう。何と言おうか、少し考えてから伝える。
『ラフィは、初めての猫です』
「猫飼うんッスか?」
『リグは引っ掻かれました』
一瞬キョトンとしたリグだったが、次には笑い出した。
「あはは、わかった。ラフィさんのことッスね。飼い始めた猫が、初めての環境に毛を逆立てて唸って警戒してるってヤツ。了解」
理解力が高く、大らかな人柄で助かる。
この町ではネズミ除けに猫を飼っている家庭が多い。リグは犬猫の世話をしているのだから、例えの意味が正しく伝わった。
ラフィも慣れない環境で気が立っているところもある、落ちついたときに会話をしてくれればいい。
『のんびり、お願いします』
「猫の扱いには慣れてるんで。あ、部屋行くなら絵の意味聞いてきて欲しいッス。中途半端じゃ、ずっと気になっちまう。直接聞きたいッスけど、オレが行くと警戒するっしょ」
初めての猫と表現したせいで、すっかり猫扱い。
『わかりました』
割り当てられた部屋へ入る。
使用人用とはいえ、物置きとしてあるのではない、正真正銘の二人部屋だ、食堂の二階の部屋よりも広いのだが、ベッドが三つに殆どスペースがとられている。元々ある方を早々に出さなければ。ベッドが一つで済むのだし、広くなるはず。そういう意味では、持ってきてよかったのかもしれない。
ラフィといえば、元々あったチェスト横の壁にブスッとしながら絵を立てかけていた。
『嫌いだ』
二人きりだが、この国の言葉で言われた。旦那様との顔合わせのとき、この国の言葉を話せ、と言い負かされたことがよほど悔しかったらしい。頑固で負けず嫌いで意地っ張り、融通が利かない、意固地な故に、努力家。それが良いのか、悪いのか。
「今までもあれくらい無遠慮な人は居たでしょう?」
キャラバン隊の護衛をしながら報酬を得て旅をしてきた。旅商人の集団だ、厚かましい程に口が上手い連中は多かったし、商売等の思惑がなくとも、この町の人間は裏表なくおせっかいだったりする。
リグだけが特別に馴れ馴れしいというものでもない。
素直な青年で、絵を描いていたと言うし、おそらくラフィとは仲良くやれる。長年コイツについてきた勘だが、そんな気がする。
「……アイツは、なんか嫌だ」
「何が不安なんだ? キャラバン隊の商人と同じだと思えばいいのですよ。死別も裏切りも、差ほど何とも思わない」
「別に、不安じゃないし」
俺からツンと顔を背けた。
いつまで経っても素直じゃない。
「おいで、ラフィ」
両手を広げて誘うと、やっとこっちを見た。不満げに眉を寄せて。
「お前、俺を何だと思ってる」
「お嫌でしたら致しません」
「嫌だなんて言ってない」
傍へ来て、恐る恐る背中に手を回してくるラフィを抱きしめる。
赤ん坊の頃からずっと一緒に居た俺にまで遠慮しなくていいのに。臆病なところはいつまでも変わらない。
ラフィが怖いのは、好意が打算で、あるとき一瞬にして悪意に変わる連中だ。仲良くなれば、それだけ傷も深くなる。だから、人付き合いにはことさら慎重になる。
ラフィには、安心するものを俺が与えてろう。俺以外の誰も信じられなくとも、俺だけはアンタの傍に居る。
甘い声で誘うように耳元で優しく囁く。
「ラフィは俺だけを見ていればいい。俺より、犬飼いの男の方が気になるのか?」
「そんなわけがない。俺にはミラしか居ない」
「なら、俺以外のそれは犬の鳴き声と同じ、風鳴りと同じ。誰かが殺して食うために育てた他人のものの鶏を、殺されて食われるとわかっていても、いっときの気まぐれに可愛がってやるのと同じ。いつかは居なくなるのが当たり前。そうですよね?」
母国では大切なものを多く失ってきた。持たなければこれ以上傷つく事もない。
俺以外の連中は、平穏な生活を送る為だと割り切った関係でいい。
回されたラフィの腕に力が入る。庇護を求めて縋り付く子供ように顔を胸に擦り寄せてきた。
今でも子供っぽいところがある。不安になると更に幼くなる。子供っぽいというか、子供の頃から変わらない。
変わらないではなく、変われない。
変われない精神がラフィの中にずっとある。これでも国を出た頃よりはマシになったが、無くなってはいない。おそらく、永遠に心は成長しない。これも個性だと受け入れれば、純粋で無邪気さもラフィの魅力の一つだ。
頭を撫で、背中を擦って。あやしつつ、ラフィの気持ちが落ちつくまで待つ。
気を紛らわせようと、話題を変える。絵のことを尋ねた。
「ところで。ラフィが言った、逆とは何ですか?」
「ん? ああ。あれは絵の中に移ろいを表現したものだ。花瓶の植物の中に、蕾や三分咲き、満開の花があれば、所々萎れたり枯れたものも混ざっている。変わらない花瓶の絵付けと、経過と共に変化していく植物と、色褪せた背景。永遠の時を切り取る絵画が、時間経過を描いた面白い絵だ」
「へぇ」
「興味無いなら聞くな」
「いえ、そんな風に見えているのだと感心したんだ」
「絵の見方に正解はない。あの犬男の言ったこともアイツの正解だ」
「経験の差ですか」
「人を年寄り扱いするな。アレと俺たちじゃ大して年が変わらないだろう」
三〇手前と二〇代前半ではだいぶ違うと思うが。ラフィは精神年齢が一〇歳で止まっていそうだ。
生きた年数は別にしても、世界を渡り歩き、各地の民族の生活に触れ、指折り数えられる程死にかけた事のある俺たちとの経験差は、確実にある。
腕から抜け出したラフィはすっかりいつもの調子に戻った。
「お前の言うとおり、アイツは犬だと思うことにする」
本人の関与しないところで、犬扱い宣言。
リグを犬だとするなら、番犬にならなさそうな人懐っこい犬だ。
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