第8話−前.引っ越した先に犬
『埋まったのですか』
ギルドでキャラバン隊の仕事を探しに来たのだが、昨日まで募集していたキャラバン隊の仕事を断られた。
「だから、今回は仕事が無いんだ。悪いな」
『仕事じゃなくて、同行は可能ですか。旅は慣れています』
「駄目だ」
『原因はありますか』
「駄目なものは駄目だ」
『余所者だからですか』
「いや……まあ、そうだ」
歯切れの悪い返事だ。昨日までは、仕事がなければ受け入れてくれると気さくに言っていたのに。何か事情があるのか。
「俺たちだけで山を下りることになる。取り急ぎ、旅の準備を」
「やっぱり、いい」唐突にラフィが言い出した。「雪も降り出したことだ。それに、あのジジイに言われっぱなしで出ていくのは癪だ」
「かしこまりました。ラフィがそれでいいのなら」
食堂へ帰ると、その日の内にキギ・コナの屋敷への引っ越しをする。
どうあれ、町を出るよりは楽だ。雪の中を歩くのは、雪の無い季節の倍以上の体力も気も使う。
いつでも出て行けるよう、あらかじめ荷物はまとめてある。ロバと荷馬車を借り、運ぶだけだと思っていた。
「ベッドも持っていく」
「それは向こうの屋敷にあったろう」
屋敷を出る前に案内された使用人の二人部屋には、シングルベッドが二つ備え付けてある、ぎっしりと羊毛が詰まった贅沢なマットレスが使われていた。厚い羊毛の生地なんてものじゃない。
対して、ラフィが持っていくと言い張ったセミダブルのベッドは、マットレスが麻袋に牧草を詰めたもの。不要だからと近所の家から貰った、浅い木箱に見えるフレームの中古ベッド。
「持っていく」
「一人で広々使うのですね」
「お前も一緒に寝るに決まってる」
「何故」
「一緒に居るのが当たり前だろう」
「当たり前ですか」
「そうだ」
一人用のベッドを二人で使い、就寝スペースが棺程度しかないなんてザラにあるし、十年も一緒に旅をしていれば慣れたもので、工夫次第で快適に眠れる。
しかし、わざわざ窮屈な方を選ぶのか。
「旅の最中ならいざ知らず、せっかく一人一台ベッドがベッドがあるのに」
「嫌だ」
ラフィの為を思って言ったつもりが、不満顔で口を尖らせている。お気に入りを手放したがらない幼児が如く、木箱、もとい、ベッドにいたくご執心だ。
二人用にしては少々狭いが、引っ付いて眠れば防寒になる。それに、このベッドは冬前に牧草を詰め替えたばかり。
総羊毛仕立ての方が暖かく寝心地がいい筈なのだが、何故かラフィはこの牧草を詰めたベッドを気に入っている。特に新しい牧草につめかえたばかりのものは、シーツも敷かず直接麻布の上に寝転がり、感触を確かめてるくらいだ。直に寝れば、麻袋の編み目から飛び出した牧草が肌にチクチク当たるのだけれど。それがいいのだろうか。
「まあ、いいか」
こちらとしては特にこだわりは無いのだし、了承すれば、途端にご機嫌になるラフィ。
意気揚々とご機嫌にベッドを解体し始めた。旅の途中で覚えた鼻歌まで口付さみながら。そんなにそのベッドを気に入っていたのか。
ただの板になったベッドを、二人で端と端を持ち、ドアや壁にぶつけないよう注意しながら階段を下り、一階へ。
一旦床に下ろして休憩する。
早めの昼食か、遅めの朝食か、食事をする一人の客が、顔を出した。
「大荷物だ、何事かな」
『引っ越しです。お世話になりました』
「仕事決まったのか」
『はい』
「そりゃあ、大変だ!」と慌てて出て行った。
何が大変なのだろう。仕事と住むところの相談を客にしていたから、何か未確定の予定があったのだろうか。
「追い出すみたいで、申し訳ないねぇ。だけど、ウチの店なんか比べ物にならないくらい良いところへ送り出せて安心したよ」
店主が声を落とした。
住む環境も給料も、ここよりぐっと良くなる。定住の資金を貯めたかったのだから好都合。真冬の空の下に追い出されなければの話だが。
食堂を出て行くにあたって、餞別だと店主から、ホカホカと湯気を立てる焼きたての林檎のパウンドケーキを二本貰う。話をしているうち、トンボ返りしたさっきの客が、わらわらと他の常連客を引き連れて来た。
「これやるよ」
「美人の顔が見れなくなるのか……」
「お前はミラ目的で通い詰めてたからな」
生のジャガイモやら乾燥したジャガイモ粉やら、干し肉に生の野菜に乾燥野菜、小麦粉に調味料に、木の実……等、食べ物をやたら贈られる。わざわざ知らせに行ったらしい。この小さな町に留まるのだからいつでも顔を出せるし、次の職場は町一番の商家だ、不自由はないだろうに。
今生の別れでもなんでもない、小さな町中での引っ越し。
『町に居ます』
「いいからいいから」
「あって困るもんでもない」
「いつも世話になってたから」
断っても押し付けられ、市場に出店する程の量になった。
冬の貴重な蓄えを貰っていいものか。困るのは客らだ。
俺の容姿が良いばかりに、冬を越せなかった、なんて寝覚めが悪い。暇があるときに屋敷の厨房を借りて、料理にして返そう。
常連客たちに見送られ、借りた荷馬車を引き、屋敷裏の邪魔にならないところへ駐め、使用人用の通用口から屋敷へ入る。
通用口といっても、ちゃんとした玄関だった。外の冷気や雪を遮断する為と、倉庫の役割を兼ねた空間がある。雪かき用の道具や、猪の毛皮と鹿の毛皮を重ねた重そうなスノーブーツが置かれ、壁には外套が掛かっていて、乾いた薪が積んであった。
玄関を抜けると、すぐに使用人用の談話室兼作業室兼会議室。窓は明り取り用の天窓しかなく、薄暗いが、個人経営のちょっとした稽古場くらいあって、広さは十分。様々な作業が可能だ。
脂を燃料とするランプがいくつも壁や柱に取り付けてあった。獣を食料にするために解体したときの脂や、羊毛を洗浄するさいに浮いてくる羊の脂を精製して使う。羊の町だ、燃料は豊富にある。
雑然とした印象だが、掃除も整理整頓が行き届いていた。
大きめの暖炉があり、二階建ての屋敷の天井まで吹き抜けになっている。各部屋のドアに囲まれた談話室の二階は、吹き抜けを囲って廊下が一周していた。廊下の手摺りから反対側の手摺りまでロープが張られ、洗濯物が下がっている。
各部屋のドアを少し開けて置けば、暖炉で温められた談話室の空気が入り、ほぼ毎日雪の降る真冬でも洗濯が可能。雪深いこの地域ならではの合理的な造りだ。
都会の屋敷だと、使用人の作業部屋は地下にあり、住居は屋根裏なのだが、土地に余裕のある田舎の屋敷は主人側と使用人側、縦割りで分かれていた。
住処となる使用人スペースを観察していると、突然、一つの部屋から獣が飛びだしてきた。立ち耳の、熊の毛皮を羽織ったような柄をした大型犬だ。牙を剥き、鼻にシワを寄せ、喧しく吠え立ててくる。
野犬が入り込んだのか。
今にも噛み付いて来そうな犬にも怯まず、ラフィが前に出て、腰の剣に手をかけた。
犬が唸って警戒音を立てる。
鞘から剣が抜かれようとしたとき。
「ジェマ、黙る! お座り! その二人は新しい使用人さんッス」
男が出てきて、強い口調で命令を下した。
途端、犬は吠えるのを止め、大人しくなる。大型犬の主人らしい。
野犬ではなく、番犬か。
犬の主は二十代前半で、フワフワした明るい茶色の髪、そばかす顔が素朴な青年だった。年配者の多い使用人の中では若い。
「コイツはオレの相棒ッス。吠えるのが仕事なもんで」
欠伸をした男が、足元で腰を落としてじっとしている犬の頭を撫でた。
主人の命令をよく聞く賢い犬だ。癇癪を起こして駄々をこねる、俺の主人よりも賢い。
『よろしくお願いします』
警戒を解き、ラフィの横に並んで挨拶をすると、青年は人懐っこい笑みを見せた。
「町で有名な美人と、青色のちっこくて強い外国人ッスよね、ケミさんに聞いてるッス。あの人、お喋りなんで」
初対面で「ちっこい」と言われ、あからさまにムッとした顔のラフィ。愛想を取り繕う気が微塵もない。
「一人で盗賊討伐した人が自警団の師範してるって聞いてて、前々から混ざって一緒に稽古してみたいなって思ってたんッス。あ、オレ、屋敷の夜の警備と暖炉担当のリグ。午前中は寝てるんで」
好意と好奇心の混ざった目を向けられたラフィが、相手を睨みつつ半歩下がった。
ラフィの警戒心に気づいていないのか、リグが友好的な口調で話す。彼は、高齢の旦那様が就寝中に異変がないか様子を見て、冬場は部屋の暖炉の火が落ちないよう、見回りのついでに暖炉の世話をしているのだという。つまり、夜の警備兼雑用係。
キギ老人改め旦那様への挨拶のあと、使用人を紹介されたとき居なかったのは、寝ていたからか。
「あと、番犬たちと猫の世話も。夜は犬を何頭か外に放すんで、不要の外出は嚙まれるッスよ」
脅すように、歯を向いてガウっと威嚇する犬の鳴き真似をしてみせてきたが、全く迫力がない。
用がなければ夜中に出掛けることはないので、心配はない。天候の悪い冬の夜はカンテラの灯りが頼りにならないほど真っ暗で何も見えない。犬が居なくても日が落ちてから外へ出るのは、自ら遭難しに行くようなものだ。
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