第7話−後.仕事を貰いに行く
木の素材が生かされた、素朴な雰囲気の書斎だった。小さな町とはいえ、町一番の商家の屋敷にしては、どこにも派手さが見当たらない。ただ、本棚に本は沢山あった。野良仕事に性を出す町民には一生縁がない、分厚く、立派な装丁のものばかり。この部屋では、家具よりもそれが一番高価だとわかる。
キギ・コナの合理性が見える、なんとも商売人らしい屋敷だ。
暖炉の側に小さなテーブルを置き、肘掛け椅子に深く腰掛ける老齢の男が一人、俺たち新参者へ目を向けてくる。
「町で噂になってる二人組か」
低く唸る、獣の威嚇音のような声だった。
自然と気が引き締まる。俺たちは町の外の人間だ、警戒されてもおかしくない。
その目立つ俺たちだから、事前に情報が老人の耳に入っているのだろう。
執事のバセもいい歳なのだが、屋敷の主は更に上。弛んだ肌、シミに、皺だらけの顔は、八十代後半か、それ以上か。骨に皮が張り付いているだけのような枯れ枝に似た手が生えた、右手首を固定する包帯が巻かれている。年老いても眼光は鋭く、それだけに余計、魔物じみた印象の彼が屋敷の主、キギ・コナだ。
「よそ者が、随分長い間こんなへんぴな町に住み着いてるじゃないか。何が目的だ」
老人は、ジロリと睨めつけてくる。向けられる鋭い視線は、好意的なものは感じられない。
歓迎されていないと取れる吐いて捨てる言い方だった。
屋敷を訪れた目的というなら、職を貰いに来たのだが……ではなくて。
町に住み着いている理由なんて、たまたま居着いただけで話せる内容はない。
行商人の用心棒を引き受け、キャラバン隊についてこの町を初めて訪れたのは去年の夏頃。あれから、なんとなくこの町に住むようになって一年と半年。
旅をしていた期間、厳しい季節をしのぐ為に一つの町にとどまってもワンシーズン。俺たちとしても長いといえば長い。
俺たちがこの町に居着いた正直な事情をそのまま伝えた。
「信じられんな。ワシを目の前にしても怯まず平気でいる余所者が。財産を狙う密偵だろう」
この国でまだ聞いたことがない【密偵】という単語がどういう意味かわからなかったが、前後の文脈やキギ・コナの態度から、俺たちを外国のスパイか何かだろうと疑われているらしいと解釈した。
『私たちは、目立つ』
片言のこの国の言葉で何とか説明しようとした。
何かあれば瞬く間に噂が広がるこの町で、俺たちのように目立つスパイがあるのかと。
そもそも、この辺境が国にとってさほど重要ではなさそうで、戦争とはほど遠いだろうと居着いたのだけれど。違ったのなら、別の移住先を考えなければならない。
「この屋敷に盗める財産は無い。国へ帰れ」
侵略を狙う外国からの使者ではなく、どちらかといえば、財産目的で取り入る盗賊の仲間だと思われているか。
最初から疑われているのなら、なぜ使用人の仕事の話が来たのだろう。俺たちが押し掛けたのではなく、屋敷の方から誘いがあったのではないか。
外国人珍しさに、面接という名目で呼び寄せ、ただ話が聞きたかっただけなのか……。この面談を終えてみなければわからない。
『住む』
威圧に屈せず、この国の言葉で短く答えたのは、キギ老人向けてくる猜疑心よりも相手を警戒し、挑んで威嚇仕返す勢いで返しているラフィ。勢いと態度は、この屋敷の主に負けていない。
排他的になりがちな町の狭いコミュニティだが、この辺りの驚異だった盗賊の討伐をし、自警団の師範という信頼が早い段階で出来た為に、目立つ外国人でも受け入れられた。受け入れられれば人はいいし、普段は長閑で静かな所だ、家畜や畑を荒らす獣を捕る依頼があったりと、釣りや狩りが趣味のラフィには、森や湖の近いここは理想的に思える。
キギ・コナの目が、すっと鋭くなる。
「こんな何もない不便な町に住もうなんて、物好きじゃ。子ウサギみたいな青チビ小僧なんて、すぐ雪に埋もれて死ぬぞ」
『人間だ』
「見ればわかるわ。年寄りだと思って馬鹿にしとるのか。ワシは使用人じゃなくて子ウサギを飼おうとしておるのか。口答えして睨んでばかりの可愛くないペットは要らん」
『人間だ!』
「それしか言えんのか、小僧」
「ジジイめ、言いたい放題だな。老い先短い怪我人は黙ってベッドで寝てろ! 永遠に黙らせるぞ!」
「何を言ってるかわからんわ。ここは小僧の国じゃないぞ。ここの言葉で話せんのなら、国へ帰れ」
『じじい!』
「はっ! 年寄りを捕まえてジジイだと! 当たり前じゃ! ジジイじゃない年寄りはババアしか居らん。大体、外国人が辺境の地に居座るなんて、後で仲間を呼んで征服でもするつもりか。おとなしく国へ帰れ」
『国、無い』
「国が無い?」
『捨てた』
「国を捨てた? ふん、礼儀を知らん小僧の態度じゃ、追い出されたかお尋ね者かの間違いじゃろ」
『違う!』
「まあ、子ウサギ一匹相手にするほど、お前さんのお国も暇じゃないじゃろ」
売り言葉に買い言葉、勢いだけで言い合い。
羊毛で財を成した商人は歳をとっても口がよく回る。対して、現地人より明らかに語彙の少ないラフィだ、考えながら知っている単語しか出せないのだから、舌戦は不利。
しかし、面接に来て雇い主に噛みつくなんて。この冬が越せるかどうかの瀬戸際だのに、わかっているのかどうか。
「あんな国、こっちから捨ててやったんだ、賊と一緒にするな! 何が子ウサギだ、礼儀を知らないのはそっちだろう。文句ばかりの性悪ジジイのところなんて、こっちから願い下げだ! ミラ、町を出るぞ!」
自国の言葉で喚き散らした。
「それで良いというなら、そのように」
ラフィがここが嫌だというなら、主人が好む環境を探すだけ。どのみち、今借りている部屋を出なければならないのは同じ。運命を共にすると、腹はとっくにくくっている。
ラフィとは母国語でやり取りした為に、キギ老人には通じていなかった。
「何、二人だけで話してるんだ、この国の言葉で話せと言っている。赤子の方がまだ言葉が通じるぞ。ここに居る間、自国の言葉は禁止だ。雪解けまでは置いてやる。その間、勉強して孤児院の子らくいの書読み書きを身につけることじゃな」
『出て行く!』
「住むと言った奴がもう尻尾を巻いて出て行くのか。世話しないな」
『出て行かない!』
「どっちじゃ」
ほんと、どっちだ。先の言葉を一瞬で反故にするな。
『知らない!』
腹を立て、プイッと顔を背けるラフィ。
まるきり子供の癇癪だ。単に、負けず嫌いで反発しているに過ぎない。
知らない、じゃないんだよ。町を出るなら、雪が降り出す前にと早々に出立しなければならないのだから、こっちが困る。
屋敷の主をジジイ呼ばわりしたんだ、不敬だと摘まみ出されても文句は言えない。ここが領主の屋敷なら、二、三日牢屋暮らしだ。
ラフィが町を出る出ないは置いておいても、使用人の話はどのみち不採用だろう。
屋敷の主の前でなければ、盛大なため息が出ていた。この町で好かれている地主にいちゃもんつけて喧嘩を売りに行く為に、本日の仕事の予定を切り上げたのではない。
「明日から精々頑張れ」
次の職場を探さなきゃな、と考えていたところに、思いがけないキギ老人の一言だった。
『採用……?』
思わずバセの顔を見た。困惑する俺とは違い、執事は当然のように小さく頷く。
面接にもならない今の口喧嘩のどこに、採用を判断する材料があったのか。
気難しい人だと聞いていたが、これは気難しいというよりも、偏屈で変人。
一通り説明を受け、使用人室の案内をされたあと、屋敷を出て食堂へ帰る道中、白い息と共にラフィはずっと不満を吐いていた。
「あのジジイ、何が子ウサギだ。こんな所、出て行ってやる」
「ラフィは背が低いですし、小動物といえば小動物」
「あのケミとかいうメイドよりはある。お前が横に立つから、俺が低く見られるだけだ。お前、縮め」
「脚を切れば縮みますが、歩行困難になる」
「何ですぐ、そうこと言う。冗談に決まってるだろ」
「町を出るなら、旅商人の用心棒の依頼を引き受けにギルドへ寄りますか」
「そうだな」
垂れ込める曇天から、熱くなっているラフィの青い頭にチラチラと雪が舞い落ちる。それを見ながら、出掛ける前に帽子を被せるべきだったか、それとも、頭を冷やすには丁度いい雪なのかと考えを巡らせた。
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