第6話 出ていかなければならなくなった

 鐘塔を下り、夕食の買い物をしてから、帰路につく。

 夕食時前の客が少ない時間帯、帰宅した俺たちに店主が声を掛けてきた。

「今ね、息子からの手紙が届いたんだけど。今度、嫁さんと一人娘を連れて帰ってくるのよ」

 母親としては嬉しい知らせだろうに、店主は複雑そうな顔をする。ただの帰省じゃないのだろうと予感がした。

「それで、こっちで一緒に暮らしたいって」

 理解した。

 この食堂の二階が住居になっている。店主とその亡き夫の部屋と、息子たちが二人で使っていた部屋、俺たちの使っている元物置しか部屋数が無い。いつ帰ってくるかわからないと、息子たちの部屋はそのままにしてあったところに、物を移動させたから、今は息子たちの部屋が物置だ。

 息子たちの部屋を片付けて夫婦の部屋にし、俺たちが使っている部屋を子供部屋にすれば、部屋は丁度埋まる。

 この小さな食堂じゃ、複数人を雇って給料を払う余裕は無い。息子夫婦がどこで働くかわからないが、町で職を見つけるまで、食堂の手伝いが手っ取り早い。

『おめでとうございます』

「ごめんね。住む所はみんなに頼んで探して貰うから」

『大丈夫』

 申し訳なさそうにする店主だが、感謝したいのはこっちだ。見知らぬ外国人に良くしてくれて、職と住む所を提供してくれたのだから。

 俺たちは元々、何処へとも目的もなしに流れていく旅人。この町には長居し過ぎたくらいだ。

「せめて暖かい季節だったらよかった」

 二階にある元物置部屋のベッド端に腰掛け、ラフィがごちる。

「仕方ないですよ」

 この町の真冬は、湖が凍りついて雪が分厚く積もり、陸地と湖の境がわからなくなる程の寒さだ。二階建ての二階に冬用の玄関があるくらい、積雪量も多い。

 埋没資源を探しに、山の地質やら植物やらを調べに、国から調査団が派遣されたり、学者が来る町でもある。

 緑豊かな夏は、涼しくて過ごしやすい土地柄だ。反面、冬は長く厳しい。町中の除雪は馬や人力で頻繁にするが、ここに来るまでの道は町中程にはできない。大雪をかき分けてやってくるのは旅商人くらいだ。宿なら空いているが、ひと冬となると出費が痛い。

「自警団の修練場なら貸してくれそうだが。冬支度をしていないからな」

「凍死する」

 冬を凌ぐには、暖炉かかまどが不可欠。暖をとるには多くの薪を使う。この辺りの針葉樹は成長が早く、伐採した分は植えて肥料をやってある程度人の手で育てていた。生木は手に入っても、薪にするには乾燥させる必要がある。

 この時期になって、すぐに使える薪を買い求めると値が張る。近所の人たちに言えば多少は融通してくれるだろうが、一冬分は厳しい。だったら、金を諦めて宿を取る方がいい。

 物価の安い田舎だ、選ばなければ中古物件くらなら買える金額があるにはあるが、それだけでは冬を越せない。

 町の人間なら、一つの家に数家族が身を寄せ合い薪や食料を持ち寄って冬を越すこともあるが、俺たちはよそ者でしかない。

「最終手段として、この町を出て雪の少ない所へ行くことも視野に入れよう」

 町を出ていく決断が最終手段とラフィが言い出すのは以外だった。

「自警団はどうなさるのですか」

「真冬は食料泥棒だの薪泥棒だの、近所の諍いが多くなるし、雪の事故も増えるから、稽古どころじゃない」

 命が掛かっているのだ、この辺りは顔も人柄も知れ渡る土地柄が幸いして、助け合いが浸透していてる。見知った間柄だからだろう。声を掛ければ、ある程度は譲ってくれる。だが、いくら知った仲でも、無断で持って行かれて近所同士の争いに発展する事件は、冬は特に増える。町が豊かになっただけ、朝市のひったくりのような外からの流れ者が盗んで行ったり、勝手に薪小屋に住み着いて凍死体で発見されたり。治安を守る自警団は冬場こそ忙しい。

 俺たちは二人同時に、職も住む場所も失ってしまった。

 悲観しても始まらない。ラフィとの会話を切り上げ、店に下り、客たちと雑談に興じる。言葉を覚える為というのもあるが、今回はいい案がないか意見を貰いたい。

 殆どが常連だ、俺がもうすぐ店を辞めると伝えると、「美人が居なくなる」と寂しがり、「家族や親戚に声を掛けてみる」と言ってくれる。

 客も店主も気のいい連中ばかりだが、急な話なうえ、外国人を長い冬の間ずっと家に泊めるなんてほぼ無理だ。あまり当てにしない方がいい。

 なるべくならラフィの希望を叶えたいが、居場所が見つからなかったときのために、旅人の用心棒の仕事でも探しておくか。雪の季節を警戒し、この雪深い山の地域から離れる一団があればいい。

 何気ない会話に花が咲き、店内に引き止めようとする客を断り、再び部屋へ戻る。明日から、部屋と職探しに忙しくなる。今のうちに買ったニットのワンピースをほどいてしまいたかった。

――と、その前に。

「着て貰えませんか」

 できるだけ柔和に微笑んみ、女性のラインを強調する腰のくびれたフワフワのワンピースを、ベッドをソファー代わりにしているラフィの前に広げて差し出せば、疑う視線で見られた。

 別に、女装させたい趣味があるのではない。面白そうだから、着せてみたい。

「ほどくのではないのか」

「一度、着ている所が見たい。実際に着ている色を見て、新しく編み直したいですし」

 裾の広がったグレーのワンピースを、青い目がジッと凝視する。さながら、不本意に盗んできてしまった女物のワンピースを見るような、いけないことに足を突っ込もうとしているような、険しい顔つきで。

「……お前が見たいなら、仕方ない」

 少しの間があって、小さい声で躊躇いがちに答えた。

「嫌なら無理なさらなくても」

「無理してない」

「嫌では?」

「……無い」

「へぇ」

「違う! お前が喜ぶなら、着てもいいって言ってるんだ!」

 何を慌てて取り繕っている。 

「喜ぶとは一言も言っていない」

「い、色が似合うかどうか見たいんだろ! 俺のセーターの為だ!」

 ワンピースをひったくり、ベッドの上、目の前で服を脱ぎ始める。服の上から被ってくれてもよかったのだが、まあいいか。

 着替えるラフィがどこか楽しそうなのは、気のせいだろうか。

 本当は着たかったのか、やけくそなのか。

 長い付き合いなのに、絵に興味があっただなんて今日知ったばかりだし。本心ではどうだったのだろうかと軽く悩む俺の前で、被ったセーターを頭に引っ掛けて藻掻き、壁に激突しベッドから転がり落ちてひっくり返り、壁とベッドの隙間に挟まって下着を晒すラフィ。

「頭打った……」と情けなく呟く。

 一人、ニットと格闘して負かされている。ワンピースを着る前からもう面白い。

 仕方ないから、手伝ってやった。

「上半身がきついな……。着たぞ」

 再びベッドの上、お立ち台に立つサーカスの道化師のように仁王立ちになるラフィ。

 着たぞ、じゃなくて、俺が着せたのだけれど。

 似合う、似合わない以前の問題だった。女の体型に合わせて作られたものだ、くびれた腰回りや、胸回りは余裕があるくせ、よく鍛えられたラフィの腹が太いでもないのに、胸の下の肋骨辺りは、ピッチリして編み目が若干伸び、余裕がない。

 男の体型には合っていない。無理して着た感が否めない。

「似合ってるか、似合ってないか、なんか言え」

 足場が柔らかいところで器用にクルリと回ると、ワンピースの裾が優雅に広がり、無毛で健康的な脚が覗く。

 返答に困った。

 確かに、体型に合っていない。ちぐはぐで、合っていないが、似合ってないかと言われたら――

「似合ってる」

 ラフィは、何の凹凸もない平たい胸を、満足げに張った。

 元々、童顔で背の低いラフィだ、似合わないと笑ってやろうと思ったのに、思いの外、似合ってしまった。服装のラインさえ弄れば、違和感が無くなるだろう。

 両肩の出た、寒色ライトグレーの品の良いワンピースだ。奉公する女たちがメイド服を着るところ、髪を短くして執事服を身に纏い、颯爽と仕事をする気高い女の雰囲気に似たものある。

 ラフィ自身の火傷の痕が気になるが、些細なものだ。

 俺がラフィに似合う色だと思って選んだのだから、似合って当然。

「風邪をひいたらいけないので、脱いでください」

 肩の出るワンピースは都会的ではあるが、この町の気候に合っていない。これの作者は、洒落たものを編んでみたものの持て余した、といったところか。

 着ているところが見られたのだし、満足したのだから、これ以上着せる意味はない。

「嫌だ」

 なぜか着替えを拒まれた。

「寒いでしょう」

「このまま、裾からほどいていくのはどうだ?」

 肩出しで寒そうだから着替えろと言っているのに、露出を増やしてどうする。

「風邪をひく」

「平気だ」

 こうなると、ラフィは頑として譲らない。

 薬も診てくれる医者も田舎では貴重なんだ、こじらせれば大変なことになる。

 変なところで頑固を発揮するな。

「寒そうだったら、脱がせます」

 結局、こっちが折れた。説得するより、とっととやってしまう方が早く終わる。

 思い通りになり勝ち誇って胸を張るラフィの、ワンピースの裾からほどき、毛糸に戻していく。ラフィの脚が徐々に露わになっていき、ヘソの下までほどいた。

「鳥肌が立ってます」

「大丈夫だ」

 震えて固まるラフィの肩に触れると、氷のようだ。外よりマシとはいえ気温が低くなる初冬の日没後だ、それはそうなる。我慢強いのもいい加減にして欲しい。

 ここは強硬手段。

「終了」

「まだ平気だ! や、脱がすな!」

「逃げるな、毛糸が絡む」

「嫌だ!」

 ベッドの上を逃げ回るラフィを捕まえ、無理やり脱がせはしたが、今度は毛糸が絡まって余計に手間が掛かる。

「すまん」

「謝るくらいなら最初から大人しくしてろ」

「ミラだって楽しんでたろう」

「……少しは」

 したり顔が苛ついたので、無防備な脇腹を擽ってやる。

「やめっ、あははは!」

 少しは懲りろ、と思っていたのに結局楽しくなってしまい、せっかく時間に余裕のある日だったのに、じゃれ合っているうち、そのまま盛り上がって、次の朝の仕込みに遅れそうになった。いい歳して何やってるんだろうなと、自分のことながら思う。

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