第36話 絶対に成功させるからね

 夏美が湯船の中でライブを成功させると誓ったのと同時刻、冬空家はいつものように真っ暗で、明かりがついているのはスピカの自室だけだった。


 両親の写真を見つめながら、スピカが母に報告をする。



「お母さん、私ね、アイドルとしてライブすることになったんだよ」



「いろんな人が私を手伝ってくれたんだ。ひばりちゃんに夏美ちゃん、それに逢坂秋穂さんまで」



「学校の人も私を応援してくれたんだよ? 私に拍手と声援を送ってくれた」



「最初はアイドルに興味なかったけど、でも今は悪くないかもって思ってる」



「私は母さんみたいになってみたい。母さんの見た景色を見てみたい」



「だからね、絶対に成功させてみせるよ」



「母さんには見せられないけど、母さんも私のこと応援してくれる……?」



「…………ライブが終わったら、また会いに行くからね」



 そう言ってスピカは静かに目を閉じた。

 絶対に成功させてみせる、その決意を胸に抱いて。



 ライブを絶対成功させなければならない。

 そのためには人前で歌う練習が不可欠だ。


 ステージで歌うのは緊張する。観客が夏美ちゃんひとりでも、ただ歌うだけとは違うプレッシャーがあった。


 だから、もっと人前で歌う練習をしなければ――――


 そういうことで、翌日の放課後に私はひばりちゃんの家に向かった。ひばりちゃんのご両親が私の歌を聞きたがってると言うのだ。


 ひばり家のリビングはデーブルや椅子がはしに寄せられ、私が歌うためのスペースが作られていた。ひばりちゃんのご両親が緊張した面持ちで椅子に腰掛ける。

 

 アイドルの衣装に着替えて二人の前に出た。

 ご両親がワッと歓声を上げた。


「わー、かわいいわねぇ!」

「とても似合ってるよ、スピカくん」


 楽しそうにキャッキャと騒ぎ出す二人に、ひばりちゃんが注意する。


「父さんも母さんも静かにしてくれ」


 ご両親がシュンとした顔で口をつぐんだ。


「いけるか、スピカ?」

「うん」


 緊張はしていた。

 でも、歌えないほどじゃない。


 ひばりちゃんが曲を流した。

 両親とひばりちゃんが見守る前で、無事に曲を歌い終わる。


 うん…………大丈夫だ。

 確実に成長している。


 私の歌を聴くと、ご両親が信じられないといった目で私を見つめた。


「す、すごいわスピカちゃん…………ほんとに歌がうまいのね」


「はい! ありがとうございます…………って、なんで泣いてるんですか⁉」


 なぜかひばり母がポロポロと泣き出した。


 えっ、ほんとになんで泣いてんの⁉


「ごめんなさい、あんなにちっちゃかったスピカちゃんが、こんなに上手に歌ってくれたものだから、ちょっと感動しちゃって…………」


 そういうことか…………って、わわっ?


 お母さんが私をぎゅっと抱きしめる。


「大きくなったわね、スピカちゃん」

「あ、ありがとうございます…………」


 ひばり母に抱きしめられるのは、実の母に抱きしめられるように嬉しかった。お父さんの方も大きくうなずきながら言う。


「ほんとうに上手かったよ、スピカくん。本番も絶対に応援に行くからね」


「…………お母さん、お父さん、ありがとうございます! 絶対すごいライブにしてみせますので、応援よろしくお願いします!」



「こっ、こんなに集めてくださったんですか……?」


 講堂の観客席に座る先生方を見ながら、私は思わず担任の先生に尋ねた。担任の先生に人前で歌う練習がしたいと相談したら、次の日に先生たちを集めてくれたのだ。


 集まってくれた先生方を見渡す。


 十人?

 二十人?

 三十人?


 いや、それ以上だ。


 私の練習に付き合うために、四十人以上もの大人たちが講堂に集まっていた。この高校の先生方、校長先生に教頭先生、そして事務の人や用務員の人たちがだ。


 担任の先生が笑顔で言う。


「冬空さんの練習に付き合ってくれないかって聞いたら、みんな手伝いたいって言ってくれたのよ」


「なんで、私なんかのために…………」


「冬空さん、入学式のときにアイドルになるって宣言してたでしょ? それが先生たちの間でもずっと話題になってて、みんな、冬空さんのパフォーマンスを早く見たいねって話してたのよ」


「そう…………だったんですか」


 入学式で目標を宣言した際、学生たちだけでなく先生方も私に拍手を送ってくれていたのを思い出す。


 そうか、ほんとにみんな、私を応援してくれて…………


 ひばりちゃんのご両親。

 学校の先生方。


 みんなが私を応援してくれてるのを実感して、思わず目頭が熱くなった。泣きそうになりながら、先生たちにペコリと頭を下げる。


「あっ……あのっ、みなさんが応援してくださって、私ほんとに嬉しいです。それでは聞いてください」


 拍手がパチパチと鳴った。

 ひばりちゃんが曲を流してくれる。


 緊張はしていた。

 三十人以上もの大人に見られているのだ、当然だ。


 けど――――歌える。


 先生方がみんな私を応援してくれている。

 その安心感もあってか、意外とすんなり歌うことができた。


 私が歌い終わると、先生方が興奮した様子で手を叩いた。


 担任の先生が私に駆け寄ってくる。


「冬空さん、ほんとうに上手だったわ!」


 他の先生方も、


「冬空さん、すごくいい歌だったよ」

「本当に素晴らしかった」


 校長先生が、教頭先生が、それぞれの科目の先生方が、心底興奮した様子で口々に私の歌を褒めて、私のような若造に握手までしてくれる。


 あらためて、手伝ってくれた人たちへの感謝が湧き上がってくる。


「…………今日はわざわざ来てくださりありがとうございました。本番も絶対に成功させてみせるので、ぜひ来てください!」


「ええ、楽しみにしてるわね」


 担任の先生が笑顔で言った。


 うん。

 きっと大丈夫。


 これなら…………



 家に帰って防音室に入った。

 暗闇の中で目をつむり、これまでの練習を振り返る。


 ひばりちゃんの両親の前で歌えた。

 三十人以上の先生方の前で歌えた。


 これ以上の人数での練習は、現時点では難しいだろう。


 けど、本番はどうだ?


 あの講堂は千人が入れる。本番では生徒たちが来る上に、学校外の人にも宣伝する予定だ。だから講堂が満員になってもおかしくない。


 私は…………千人の前で、歌えるのか?


 そこまで考えて、首を横に振った。


 歌えるかどうかじゃない。

 歌うんだ。


 防音室の暗闇に、入学式で見た光景を思い浮かべる。


 舞台前方を取り囲むようにして作られた聴講席。だだっ広い講堂の六割方を埋め尽くす四百名あまりの生徒たち。私を見つめる目、目、目。


 心臓のすくむようなあの感覚を思い出す。


 けど、これだけじゃ足りない。

 

 もっとだ。


 千人も入れる講堂が、すべて観客で埋まっているのをイメージする。


 ああ…………怖い。


 手足が小刻みに震えだした。

 背中から冷や汗があふれだす。


 それでも、私は歌わなければならない。


 満員になった講堂を想定しながら、私はイメージトレーニングをなんども続けた。何度も、何度も、何度も、何度も。


 練習すればかならず上手くいく。

 そう信じて。

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