第35話 どうしてアイドルを?

「ねえ、夏美はどうして秋穂がアイドルを続けてるんだと思う?」


 夕食のあと母に呼び出されて、そんなことを尋ねられる。


「どうしてって…………お金のためでしょ?」

 

 分かりきった質問だと思ってそう答えた。

 でも母の回答は予想外のものだった。


「じつはね、私たちは今、お金に困ってるわけではないの。確かにお母さんが病気になったときは大変だったけど、今はお母さんも家でできる仕事を見つけて、結構お金には余裕があるのよ?」


「そうなの……?」


「夏美、ちょっと耳貸して。うちの貯金残高教えてあげるから」


 母に耳を貸す。


「ええっ、そんなに⁉」


 夏美は飛び上がって驚いた。


「じゃ、じゃあなんでお姉ちゃんあんなに節約してるの? 食べ物も安売りのときしか買わないし、CDもぜんぶ中古だし…………」


「昔はお金がなくて底辺な思いをさせたからね、そのときのクセで節約してるんだと思うわ」


「でも、それならなんで…………」


 生徒会室で姉とした会話を思い出す。


『じゃあ、お姉ちゃんはなんでカラーズでアイドルやってるの?』

『決まってるじゃない。お金のためよ』


「でも、お姉ちゃんはお金が必要だからって…………」


 夏美がそう言うと、母が小さく微笑んだ。


「母さんね、秋穂に何回か言ったことがあるの。お金のことははもう大丈夫だから、あなたは大学受験に集中しなさいって。でも、何度言ってもあの子はアイドルをやめようとはしなかった」


 お金がいらないのに、アイドルをやめなかった?


 でも、なんで…………


 お姉ちゃん、アイドルに興味はないって言ってたはずなのに。


 アイドルなんてきらいだって言ってたはずなのに。


「じゃあ、なんでお姉ちゃんはアイドルやってるの……?」


「簡単な話じゃない。あの子はアイドルが大好きなのよ」


 母の言葉にハッとさせられる。

 今まで理解できなかった姉の言動が脳をよぎった。


 アイドルのCDをわたしに隠れてこっそり買い集めてること。文部科学省によるスクールアイドルの総数の統計を、なにも見えずに言えるほど暗記してたこと。


「じゃあ、お姉ちゃんは…………」


 夏美がそう言うと、母がうなずいた。

 

「ええ。あの子はまだアイドルの夢を諦めてない。心のどこまでまだやりたいと思ってる。…………まっ、ぜんぶ母さんの推測だけどね」


「そう……だったんだ」


 母が夏美に笑いかけて言った。


「この一年間、私がなにを言ってもあの子は変わらなかった。でも最近、冬空スピカさんと出会ってから、あの子が少しだけ変わったように思うの」


 スピカちゃんと出会って変わったこと…………そういえばお姉ちゃん、スピカちゃんといるときはときどき笑ったりする。スピカちゃんと出会ってから、少しだけ明るくなったような気がする。


 スピカちゃんと出逢ってから、お姉ちゃんは変わった。


「私が言ってもいいんだけど、あの子は気難しいから認めないと思う。だから夏美、あなたがあの子の背中を押してあげて」



 わたしが…………お姉ちゃんの背中を押してあげる。


 想像していなかった展開に、夏美は思わずごくりとツバを飲みこんだ。


 うまくできるかは分からない。

 具体的になにをすればいいかも分からない。


 でも、わたしがもし成功すれば、お姉ちゃんはふたたび夢と向き合うことができて、スピカちゃんも強力な仲間を得ることができる。あの二人が力を合わせたら、リミットレス優勝だって絶対に…………


 そう考えると、心の底からやる気がメラメラと燃え上がってきた。

 


 夏美は上機嫌になって鼻歌を歌いながらシャワーを浴びていた。


「ふふぅん、そうだったんだぁ。お姉ちゃんはまだ、アイドルを諦めてなかったんだ! お姉ちゃんはスクールアイドルをやりたい、お姉ちゃんはスクールアイドルをやりたい。るんるんるん〜♪」


 肩までバサンと湯船につかる。


「じゃあ、わたしが恋のキューピットになるしかないよね!」


 わたしが二人の仲を取り持つんだ、と心に決めた、。


「ふふふふふ…………スピカちゃんとお姉ちゃんが一緒にアイドル…………絶対かわいいよぉ、もうさいっこうだよっ…………」


 二人が仲間になった未来を妄想する。

 

 ――――リミットレスの決勝。


 最終決戦を前に二人は控室で互いをじっと見つめあう。姉が気恥ずかしそうに微笑んで言った。


『スピカ、あなたのことが大好きよ』


 スピカちゃんも満面の笑みで答える。


『うん、私も秋穂ちゃんのことが大好き』


 強固な絆で結ばれた二人。でもスピカちゃんは一年生で、お姉ちゃんは三年生。これが最後のステージということはふたりも理解している。


『ああ、スピカ。あなたと離れるのがさみしい』


『私もだよ。秋穂ちゃんとずっと一緒にいたい』


 二人は泣きながら熱い抱擁を交わした。


 思わずザバッと湯船から立ち上がる。


 ひゃうん⁉ 

 なにこのシチュエーション。


 熱すぎる、熱すぎるんですけど!


 ここまで来るとむしろ、二人が入学式であれだけやらかしたのも、最終的に仲良くなるための壮大な「フリ」だったのだとさえ思える。


 ふたたび湯船に座りこんで、自分に言い聞かせるように言った。


「…………こうなるためにも、わたしも頑張らないとだね」

 

 本番まであと数日。


 少しでもライブが成功する確率を上げるため、自分もできるだけのことやろうと心に決める。


 …………中間発表会でのライブ、ぜったいに成功させてみせる。


 夏美はひとりで静かにそう決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る