第34話 逢坂夏美の追憶 その2

 お姉ちゃんの作った旧アイドル部は無事に決勝まで進んだ。


 結成一年目での奇跡の快進撃。

 けどその裏で、部はゆっくりと内側から崩壊を始めていた。


 決勝に向けてお姉ちゃんの気合いが高まる中、みんなで屋上で練習をする。わたしも衣装担当としてときどき練習を見学させてもらっていた。


「ことは、遅れてるわよ。置いてかれないようテンポに注意して」

「う、うん…………」


 注意するお姉ちゃんに、ムッとした顔で仲間のひとりが言う。


「おい、あまり強く言うなよ。こいつも頑張ってるんだしさ」


「なに言ってるの? あと一ヶ月で決勝なのよ? できることをやっていかないと」


 アイドルへのモチベーションの差。

 それが対立の原因になっていた。


「…………決勝まで行ったんだ、それで十分だろ。僕たちがいくら頑張ったって、星帝せいてい学園には勝てないって」


 絶対王者、星帝せいてい学園。

 

 歴代の優勝回数が最多で、最近はリミットレスを五連覇もしている名実ともに最強無敗の高校。


「…………確かに星帝には勝てないかもしれない。でも、決勝で目立てばプロになれるかもしれないのよ」


「お前はそうかもしれないが、僕らは別にプロになりたくてやってるわけじゃない。アイドルは好きだし、アイドル部は楽しい。でも、今は…………」


 仲間のひとりが渋い顔で黙りこむ。


「今は、なに?」

「…………分かるだろ」


 雰囲気がギスギスしていて楽しくない、そういうことなのだろう。


 SNSで知り合ったふたり、ことはさんと芽衣めいさん。

 二人はお姉ちゃんのようにプロを目指してるわけではなかった。 


「でも、私と優希ゆうきはプロを目指してる。あなたたちの言い分も分かるけど、あとちょっとで決勝なんだから頑張ってよ」


 お姉ちゃんの言葉に二人はそのときは納得してくれた。

 でも、

 

 ……………………。 



「おい秋穂、さっきから厳しすぎるって。僕たちはお前みたいな完璧超人じゃないんだ。なんでも指摘されてすぐ改善できるわけじゃない」


「でも…………仕方ないじゃない。あなたたちが期末試験で練習時間を減らしたいって言うから減らしたのよ? その分しっかり練習していかないと」


「………………」


 ピリピリとした雰囲気で黙りこむ二人を見て、お姉ちゃんの親友の優希ゆうきさんが言う。


芽衣めいが正しいよ。秋穂はすごすぎる…………私たち凡人が百時間努力しなきゃいけないところを、秋穂は一時間で超えられる。私たちに、自分と同じレベルを求めちゃダメだよ」


 親友にそんなことを言われて、姉が辛そうな顔で黙りこんだ。


 優希ゆうきさんの指摘は半分正しくて半分間違っている。


 確かにお姉ちゃんには才能があるのだろう。

 でも、才能やセンスだけでやっているわけではない。


 作詞作曲や振り付けを考えるのと平行しながら、お姉ちゃんはダンスも歌の練習も人一倍している。他の人が帰った後も、お姉ちゃんは残って練習している。


 自分の努力が否定されて悔しかったはずだと思う。それでもお姉ちゃんは申し訳なさそうな顔で、「ごめんなさい」とだけ小さくつぶやいた。



 ある日のことだった。どんよりと冷え切った旧アイドル部の部室で、お姉ちゃんが仲間たちに言った。

 

「あ……アイドル部をやめたい? どうして急にそんなこと言うの?」


「あんたのせいだよ、秋穂」


 芽衣めいさんににそう言われて、お姉ちゃんがハッと息を呑む。


「あんた、結局ダメ出しばっかりじゃないか。僕たちがどれだけ頑張っても、ここはよくない、ここはこうしろ…………もうみんな疲れたんだよ」


「それは…………でも、私だって最近は…………」


 辛そうな顔でお姉ちゃんがうつむく。

 今度はことはさんがお姉ちゃんに言う。


「…………あのね秋穂ちゃん、わたしお医者さんに言われたの。足首が壊れてるから、半年は安静にしなきゃいけないって。だから決勝には出れない。ごめんなさい」


「足首が壊れてる……?」


 姉が信じられないといったふうに驚く。


「そんな…………どうしてそんなことに」


「こいつがこうなったのもあんたのせいだ! あんたが…………あんたがこいつに無茶な練習させるから……っ…………」


 芽衣めいさんが声を荒げて、お姉ちゃんが怯えたように目を見開いた。芽衣めいさんが苦虫を噛み潰したような表情で息を吐く。


「…………医者の予約があるんだろ? 行こうぜ、ことは」


「うん。秋穂ちゃんごめんね、こんなことになっちゃって」


 二人がその場に居合わせたわたしをチラっと見た。わたしに小さく謝って、二人が弱々しく微笑む。そして、彼女たちは部室を後にした。


 残ったのは優希ゆうきさん。

 お姉ちゃんのかつての親友だった。


 お互いアイドルが大好きで、プロのアイドルになるため本気で上を目指したいと意気投合した人だった。


「ねえ…………優希まで辞めたりしないわよね?」

 

 お姉ちゃんが優希さんに向き合って、心配そうな声で尋ねる。優希さんはうつむいて、弱々しく肩を震わせた。


「あのね…………秋穂、私が前に言ったこと、覚えてる?」


 ――――秋穂はすごすぎるんだよ。私たち凡人が百時間努力しなきゃいけないところを、秋穂は一時間で超えられる。


「…………ええ、覚えているわ」


 お姉ちゃんが答える。


「私ね、あれ言ったとき、なんてひどいことを言ってるんだと思った。秋穂が人一倍努力してるのは、近くで見てきた私がいちばん知ってるのに…………ごめんね」


 優希ゆうきさんが弱々しい声で謝った。


「そんな…………謝らなくてもいいわよ。だから一緒に頑張りましょう?」


 お姉ちゃんの言葉を受けて、優希ゆうきさんが悲しそうに微笑む。

 

「私ね、気づいちゃったんだ…………いや、気づかないふりをしてた。私はなにをやっても秋穂には勝てないって」


「勝てないって…………私たち、仲間じゃない」


「うん、分かってる。でもね、私は秋穂ほどかわいくないし、秋穂と比べて歌もうまくない。踊りだって秋穂の方が上手だし…………私はなにをやっても秋穂には勝てない。私たちがここまで来れたのは全部秋穂のおかげ。秋穂がいなかったら、私たちはもっと早く壁に当たってたと思う」


 優希ゆうきさんの声に絶望がにじんで、お姉ちゃんがハッと息を呑む。


「なに言ってるの……? あなた、あんなにアイドルが好きだったのに…………一緒にプロを目指そうって、約束したのに…………」


 一緒にプロになって、武道館でライブをする。

 そう誓い合ったはずだった。


 優希ゆうきさんが泣きそうな声で言う。


「――――私だってアイドルは大好きだよ! もちろんアイドルにもなりたかった! でも秋穂と一緒にアイドルやって気づいたんだ。私には……っ、私には才能がないって。リミットレスで優勝しても……私はプロにはなれないと思う」


「そんなこと……ない、けど……なにも今やめる必要なんて…………」


「ごめん、私もみんなと同じ。もう疲れちゃった。二人がやめるなら、私もやめる」


 こうして、かつてこころざしを共にした親友までもがお姉ちゃんのもとを去った。

 

 最後のひとりも去って、部室にわたしとお姉ちゃんだけが残された。


 お姉ちゃんが目を見開いて、信じられないといった顔でみんなの去った部室のドアを見つめる。血の気が引いて真っ青になった顔で、弱々しく吐く息を震わせた。


「お姉ちゃん…………」


 姉は目を閉じてふーっと長く息を吐いた。

 そして、拳をぎゅっと握りしめた。


 声の震えを押し殺すようにして、毅然きぜんとした態度で言う。


「去った人を追いかけても仕方ないわ。決勝の舞台は私ひとりで出る。…………優勝はできなくても、舞台で目立てばプロとしてデビューできるかもしれない」


 こうして、お姉ちゃんのソロでの決勝出場が決まった。



 わたしとお姉ちゃんはソロ用のダンスを徹夜で考えた。それをなんとか本場までに体に叩きこんだ。そしてリミットレスの決勝の日がやってきた。


 リミットレスの決勝は武道館で行われる。武道館の最大収容人数である14500人が見守る前で、お姉ちゃんのソロでのパフォーマンスが始まった。


 わたしは関係者席からお姉ちゃんがステージに出てくるのを見ていた。ふだん通りの落ち着いた態度でお姉ちゃんが出てきて、わたしはホッと安心した。


 でも、何事もなく無事に――――なんてことがあるはずなかった。


 お姉ちゃんはこれまでずっとグループでやってきた。決勝の直前でソロになって、ひとりで歌う練習なんて一度もできていない。その上、仲間から裏切られたショックから立ち直る時間も与えられていなかった。


 だから冷静に考えれば、まともなパフォーマンスなどできるはずなかったのだ。


 最初に気づいたのはわたしだった。


 曲はもう始まっているのに、お姉ちゃんの体がまったく動かない。カラフルなステージの照明に照らされて、脂汗を浮かべて怯えるように目を見開いたお姉ちゃんの姿が暗闇に浮かび上がる。


 観客の歓声が、背中にわっと押し寄せた。曲の歌う部分が始まる。お姉ちゃんは青ざめた顔で固まって動かない。歌うどころか、動くことすらできない。


 次第に観客も異変に気づいて、会場がいっきに重たい沈黙に包まれた。どんよりとした沈黙に、陽気なアイドル曲の伴奏だけが虚しく響きわたる。


 お願いします、と思った。

 どうか歌ってください、どうか踊ってください。


 ステージに立ってるわけでもないのに、心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。吐き気がして体の震えが止まらなかった。


 お姉ちゃんがせめてワンコーラスでも歌ってくれるよう、手を合わせて必死に祈った。でも結局、お姉ちゃんは一歩も動けなかった。ステージの上で棒立ちになって、歌うことすらできなかった。曲が終わるまでの三分五十五秒間、お姉ちゃんはずっと動けなかった。


 曲が終わって、お姉ちゃんが控室に戻ってゆく。わたしも観客席を抜け出して、お姉ちゃんのいる控室へと走った。


 扉を開ける。


 お姉ちゃんは控室の椅子に呆然とした様子で座っていた。

 お姉ちゃんがわたしを見る。


「なつ……み」


 お姉ちゃんの瞳に大粒の涙がにじんだ。


「私は…………わたしは……っ…………」


 普段は冷静沈着でクールなお姉ちゃんが、肩を震わせて机の上に泣き崩れた。お姉ちゃんが壊れてしまったように声を上げて泣きじゃくる。

 

 お姉ちゃんが拳を握って、テーブルを力なく叩いた。

 何度も、何度も、何度も、何度も。


 わたしもいつのまにか涙が止まらなくなっていた。わたしたちは二人で抱き合って泣きつづけた。


 会場で見ていたお客さんの中に、お姉ちゃんを馬鹿にする者はいなかったと思う。良いアイドルが会場と一体化してライブを盛り上げるのと同じように、お姉ちゃんの恐怖や絶望はあのとき会場にいたみんなに共有されていた。


 けど、ネットで見てた人たちはそうではなかった。


 公式の生配信を見ていた人が、切り抜きやスクショを嬉々としてSNSに上げた。お姉ちゃんの動画や画像がまとめられて、こんな記事さえ投稿された。


【悲報】高校生アイドルさん、決勝の大舞台で固まって泣いてしまう


 その記事を見たときのお姉ちゃんの気持ちは想像もつかない。


 記事にはお姉ちゃんを心配したり応援したりするコメントも寄せられていた。けどそれ以上に多かったのが、お姉ちゃんを馬鹿にするようなコメントだった。その記事が拡散されると、お姉ちゃんのSNSが直接荒らされることも増えていった。


 ――――アイドルは生き物よ。人を食い殺そうとする猛獣よ。恐怖して背を向けた者や、絶望して立ち止まった者にアイドルは容赦ない。


 ――――生半可な気持ちでアイドルに挑めば、あなた自身が返り討ちにあうわ。大勢の前で恥をかきたくなければ、せいぜい気をつけることね。


 生徒会室でのバトルでスピカちゃんに言ったセリフ。


 あのときのお姉ちゃんはスピカちゃんを毛嫌いしている様子だったが…………それでも、あの忠告は心からのものだったと思う。 


 お姉ちゃんはスクールアイドルをやめ、アイドル部は廃部になった。



 お母さんはお姉ちゃんがネットで叩かれてるのを見て自分のことのようにショックを受けた。心を病んで体調も崩して、最後には仕事を辞めることにまでなった。


 仕事をやめればお金もなくなる。

 父の健康保険もすでになくなっていた。


 お母さんのかわりにお金を稼ぐため、お姉ちゃんは地元のアイドル事務所にオーディションを受けた。決勝での失敗のせいで断られるかと思ったけど、実力で「カラーズ」に一発合格。すぐに人気ナンバーワンとなり、家族三人を養えるだけの収入も手に入れた。


 ――――プロのアイドルになりたい。


 ある意味お姉ちゃんの夢は叶ったのだ。


 でも、お姉ちゃんはまるで嬉しそうじゃない。

 それもそのはず。


『わたし、メリアちゃんみたいなすごいアイドルになる!』


 お姉ちゃんの夢見たのは、メリア・ブリガンディンのように日本中から愛されるアイドルだからだ。


 でも、地下アイドルとしての活動をいくら続けてもそこまではたどり着けない。それはお姉ちゃんも分かってるはずだった。


 アイドル部が崩壊してからというもの、お姉ちゃんが笑うことはなくなった。家でも舞台でも、思い詰めたような表情を浮かべている。


 わたしはお姉ちゃんにまた笑顔になって欲しいと思う。そして、諦めたアイドルの夢を追いかけるのがそのために必要なんだと思ってる。


けど、


『言ったでしょ? 私はもうアイドルには興味はないの』


 それが姉の、少なくとも現時点での気持ちらしかった。



 秋穂が家に帰ってきて、夏美は家族三人で夕食を食べた。姉にふたたび笑って欲しいとの想いから、さりげなくスクールアイドルに再挑戦する気はないと尋ねる。


「私はアイドルになんて興味ない」


 いつも通りの答えだった。

 

 しかし、いつもと違う点がひとつ。

 夏美は夕食後、母に部屋に呼び出された。


 一度は病気で体調を崩した母。

 しかし今は順調に回復が進んでいる。


 夏美を部屋に招き入れると、母が夏美に尋ねた。


「ねえ、夏美。あなたはどうして秋穂がアイドルを続けてるんだと思う?」

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