第29話 衣装準備

 高校生活四日目。

 いつのまにか放課後になっていて、夏美ちゃんが私に話しかけてきた。


「ねえスピカちゃん。よかったら今日、うちに来てくれない? 衣装作りを始めるために、スピカちゃんの体を採寸さいすんする必要があるから」


「うん、分かった! いいよ」


 夏美ちゃんとひばりちゃんは中間発表会に向けて頑張ってくれている。それなのに私はまだなにもできていない。


 罪悪感と焦りに駆られながら、私は笑顔で夏美ちゃんにうなずいた。



 夏美ちゃんの家に行くということは、当然あの人もいるわけで、


「夏美、こっちよ――――って、冬空スピカ…………」

 

 逢坂秋穂が手を振る姿勢のまま私を見て凍りついた。なんか昨日も見たシチュエーションだなと思いつつ、今日はひばりちゃんがいないので平和そうで安心する。


 逢坂秋穂が私をにらみながら尋ねる。


「夏美、どうしてその子がいるの?」


「今日はスピカちゃんにうちに来てもらおうと思って」

 

 逢坂秋穂が衝撃を受けたような表情を浮かべた。


「なん……ですって。なんでその子が私たちの家に来るのよ」


「スピカちゃんの採寸を測るためだよ?」


 夏美ちゃんがそう説明すると、逢坂秋穂が渋々といった表情でうなずく。


「…………確かにそれなら仕方がないわね。分かった。あなたたちは先に帰ってなさい。私は学校に急用を思い出したから、それが終わったら帰るわ」


 そう言って逢坂秋穂がきびすを返した。

 そして、この場から逃げ出そうとする。


 しかし、


「お姉ちゃん、どこ行くの〜?」


 夏美ちゃんが逢坂秋穂の腕をガシッと掴んだ。


「はっ、離しなさい夏美!」


「だってお姉ちゃん、逃げちゃうじゃん。わたしはお姉ちゃんにも手伝ってもらいたいのに」


「な、なんで私まで…………」


 逃げ出そうとする逢坂秋穂をらえながら、夏美ちゃんが私に耳打ちする。


「ごめんね。お姉ちゃんもほんとはスピカちゃんを認めてるんだけど、入学式であんなことしちゃったから、今さら普通に接するのが恥ずかしいんだと思う」


 逢坂秋穂が…………私を認めている。


 アイドルが好きですらない私に、そんな資格があるとは思えなかった。



 逢坂家への道すがら、逢坂秋穂は私とも夏美ちゃんとも言葉を交わそうとはしなかった。できるだけ口数を少なく保ったまま、私から離れるようにして歩いた。


 しばらく歩いて、住宅街の中の一軒家にたどり着く。


「ここがわたしたちの家だよ」


 大きくも小さくもない普通の一軒家という感じだ。 

 夏美ちゃんに案内され、家の中に入る。


「おじゃましまーす!」


 家に入ると、お母さんっぽい人が私たちを出迎えた。


「おかえりなさい、秋穂、夏美。そして、あなたは…………」

 

 お母さんが私をじっと見つめた。

 逢坂姉妹によく似た美人なお母さんだ。


 私が自己紹介をしようとしたところで、お母さんがぽんと手を叩いて言った。


「あなたが冬空スピカちゃんね! 娘たちからあなたのことは聞いてるわ。聞いてた通りほんとにきれいな子ね」


「そ、そうですか……?」


「ええ、それに秋穂があなたのことを褒めてたわよ」


 あの逢坂秋穂が?

 家で私の話を……?


「秋穂さんはなんておっしゃってたんですか?」


「若いのに素敵な目標を持っていて立派だって」


 お母さんが笑顔で言った。

 この人がそんなことを、と思わず逢坂秋穂を見つめる。 


「お、お母さん…………余計なこと言わないでよ」


 逢坂秋穂が恥ずかしそうにうつむいた。



 夏美ちゃんの部屋に通された。女子力が高めの女の子の部屋だ。家具は白を基調にしたおとなしめのデザインだけど、ピンクの布がアクセントであしらわれていて、狙いすぎてない落ち着いたかわいさがある。


 夏美ちゃんが道具を取りに行ったので、逢坂秋穂と二人きりで残された。逢坂秋穂に母親が言ってたことを聞いてみる。


「逢坂さん、私のことを立派だって褒めてくれたんですか……?」


 逢坂秋穂がムッとした表情で答える。


「そういうのわざわざ本人に聞く?」


「はい、気になって」


 私が彼女をじっと見つめると、渋々といった様子で彼女が答えた。


「…………立派だと思ったのは本当よ。私もアイドルをやってるけれど、あなたのように高い目的があって活動しているわけではない。リミットレス優勝にプロデビューからのワールドツアー、難しいだろうけど、素敵な目標だと思うわ」


 あの逢坂秋穂がそんなことを言ってくれる。

 それはもちろん嬉しかった。

 

 けど、


『あなたまさか、アイドルが好きでもないのに、アイドルになりたいなどという戯言を吐いているわけじゃないでしょうね?」』


 彼女の言葉が脳をよぎる。


「私は…………たぶん逢坂さんが思うほど立派な人間ではないです」


 アイドルになるのが怖い。

 ステージに出て本番に出るのが怖い。


 もし歌えなかったら?

 また吐いてしまったら?


 昨日はそんなことを考えて眠れなかった。


「…………私、怖いんです。アイドルになってステージに上がるのが。やっぱり、入学式で逢坂さんが言ってたことは正しかったのかなって」


「なに? あれだけ大口を叩いて今さら怖気おじけづいたつもり?」


 逢坂秋穂がするどい声で尋ねる。


 はいと答えるのは情けないと思いつつ、いいえと嘘をつくこともできない。だから黙ってうつむくことしかできなかった。


 どんな罵詈ばり雑言ぞうごんが飛んでくるのかと待ち構えていると、


「安心しなさい、最初は誰でも怖いから」


 口調は淡々としているものも、はげましの言葉がきて驚いた。

 

 呆気に取られて彼女の顔を見つめる。

 彼女は気まずそうに視線をそらした。


「…………じゃあ逢坂さんも、最初は怖かったんですか?」


「ええそうよ。私も最初は怖かった。でも、やっていくうちに慣れていったわ」


「でも私、あなたみたいになれる気がしません」


「諦めなければかならず出来るわ。諦めたらきっと後悔するから、せいいっぱいやりなさい。あなたは…………私のようにならないでね」


 あなたは私のようにならないで。

 その言葉の真意は分からなかった。


 でも…………やっぱり、この人は優しい人だ。


「ありがとうございます、逢坂さん。私、がんばります……!」


 最初は怖いけどやってくうちに慣れる、か。


 そうだな。

 ちゃんと歌えるよう練習しないと。



「それじゃあ、スピカちゃんの採寸を測るね」


 部屋に戻ってきた夏美ちゃんが満面の笑みで言った。

 

 採寸を測るって、具体的にはどうやるんだろ? 

 とりあえず両手を広げてみる。


 これでいい? と夏美ちゃんを見つめると、


「服、脱いじゃおっか」

「ぬっ、脱ぐの?」

「だって、脱がなきゃちゃんと測れないよ?」

「はい……」


 逢坂姉妹の見守る前で、制服のブレザーのボタンに手をかけた。ボタンを一つずつ外していく。シャツがすべり落ちて肩が露出した。


「こ、これほんとにぜんぶ脱がなきゃダメ……?」


 このまま下着とかまで見せるのは恥ずかしい。


「もちろん脱がなきゃダメだよ!」


 夏美ちゃんが満面の笑みでうなずく。

 そりゃそうなんだろうけど…………


 うぅ…………恥ずかしい。


 そもそも同性同士だし、それに採寸を測るというちゃんとした目的がある。だから恥ずかしがることはないのは理論上は分かる。


 けど、二人は制服のままで、私だけ下着姿になるのはやっぱり恥ずかしかった。


「大丈夫だよ、スピカちゃんかわいいから!」


 夏美ちゃんが元気たっぷりに言う。

 いや、そういう問題じゃないんだけど…………


「同性同士でしょう? なにをいちいち気にしてるの?」


 逢坂秋穂がめんどくさそうに言った。

 いや、それも分かってるんだけど…………


 はあ。

 まあ仕方がないか。


 観念してシャツを最後まで脱ぐ。


 うぅ…………寒い。


 露出した肩やお腹に空気がふれてスースーする。


「じゃあわたしが記録を取るから、お姉ちゃんはメジャーでスピカちゃんを測っていってね」


 夏美ちゃんがそう言うと、逢坂秋穂がギクッとした表情を浮かべた。


「わっ、私がやるの? ふつう逆じゃないかしら」


「お姉ちゃん、採寸ノートの書き方わからないでしょ?」


「むぅ、それはそうだけど…………」


「まずはスリーサイズから頼むね」


「…………分かったわよ」


 逢坂秋穂が渋々といった感じで夏美ちゃんからメジャーを受け取った。私に向かってメジャーをバッと広げる。


「まずはバスト、腕上げて」


 逢坂秋穂が不機嫌そうに言った。そして、私の胸の下の部分(たぶんアンダーバストと呼ばれる場所)に、メジャーをぐるっとあてがう。


 素肌にいきなり冷たいものを当てられて、


「――――ひゃい⁉」


 思わず変な声が出た。

 逢坂秋穂が憮然ぶぜんとした表情で私を見つめる。


「なに?」

「ご、ごめんなさい。冷たくて…………」

「いちいち大げさよ」


 逢坂秋穂が私をぐるっと測って、夏美ちゃんに事務的に報告する。


「アンダーバスト67センチ」


 夏美ちゃんが報告をメモりながらつぶやいた。


「スピカちゃん細いねぇ、とってもかわいいよぉ」

 

 えっ。 


 なにこれ。

 こんなのがずっと続くの?


 耐えられる気がしないんですけど…………


「じゃあ次はトップバストだよ。スピカちゃんお辞儀のポーズになって」


 あ、そうやって測るんだ、とちょっと感心しつつ、腰を直角に曲げてお辞儀のポーズになる。逢坂秋穂が私の胸の中心部分の外周を測った。


「79センチ」

「うん、ありがとう…………Bカップか。やっぱりちょっと小さめだね。控えめなところもかわいいなぁ」


 …………この夏美ちゃんのコメントって聞かなきゃダメ?


「次はウェストを測るわよ」

「は、はい……」


 逢坂秋穂が床に片膝をついて、私の腰のくびれの部分にメジャーを当てた。そして私を抱きしめるようにして、メジャーをぐるっと一周させる。普通とは違う距離感に、思わずいけないことをしてるような気分になる。


「あの、逢坂さん……?」

「なに?」

「ちょっと距離感が近いんですけど」

「いちいちうるさいわね」


 逢坂秋穂が冷たい声で言った。


「ウェスト58センチ」


 私ですら把握してなかった自分のスリーサイズが、衣装採寸の名目で白日のもとにさらされてゆく。


 夏美ちゃんがノートにメモを取って、感心したように言った。


「スピカちゃんほんとにスタイルいいねぇ」

「私にはむしろ、痩せすぎて不健康に思えるけど」

「そんなことないよぉ。手足もスラッとしてて素敵だし」

「歌って踊るには少し頼りなく感じるわ」


 やめてくれ。

 私の体型で談義だんぎするの。


「はい次、ヒップ」


 逢坂秋穂が今度は私のおしりを測る。


「80セン――――」

「あー! あー! あー!」

「なに?」


 逢坂秋穂がギロリと私をにらんだ。


「いやっ、口頭で発表されるのが恥ずかしくて…………」

「私たち以外誰も聞いてないんだから、別にいいでしょう?」


 私たち以外誰も聞いてない。

 確かにそうかもしれないけど。


 ってそうなのか?


 ぐぬぬぬぬ…………。


「よし、スピカちゃんのスリーサイズは、79・58・80だね。全体的にちょっと細めだけど、女の子の理想みたいな体型でかわいいよぉ」


 えっ、なんで今わざわざもういちど発表したの?

 

 ……………………。


 他にも身体測定は続いて、


「身長157センチ」

「スピカちゃんけっこうちっちゃいんだね。小動物みたいでかわいいなぁ」


「体重45キロ」

「すごいなぁ。ダイエットとかしてるの? ほっそりしててかわいいよぉ」

「痩せすぎよ。もう少し増やした方がいいわ」


 いや、身長はまだ分かるけど、体重の情報いる?


 …………とまあ、いろいろ思うところはあったものも、体の採寸を無事に測り終えた。


 そして次の日。

 夏美ちゃんが嬉しそうに私に話しかけてきた。


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