第26話 アイドルは好き?

「冬空スピカ、あなたはアイドルが好きなの?」


 逢坂秋穂に尋ねられ考える。


 入学式で私のスピーチを聞いた人は、私がアイドル大好き人間なんだと思うだろう。


 でも…………私はアイドルが好きなのか?


 知ってるアイドルグループは?

 AKBとかカラーズとかの、誰でも知ってる程度のものだけ。


 好きなアイドル曲は?

 とくにない。私はボイトレで忙しかったから、音楽を聞いてる暇はなかった。


 あれ……?


 そんなはずはない、と否定する。


 だって私は、スクールアイドルになってリミットレスで優勝して、プロデビューしてソロで世界ツアーをしたいと入学式で宣言するような人間なのだ。


 そんなやつが、アイドルが好きではないなんてことがあるだろうか?


 でも…………やっぱり私はアイドルをなにも知らない。グループも知らないし曲も知らない。当然ライブにも行ったことはないし、YouTube で動画を見たりすらもしていない。ボイトレをするのに忙しかったから、見てる暇などなかったのだ。


 導き出せる結論はひとつだった。


 私は…………アイドルが好きではない。

 別にきらいでもないけど、ただ単に興味がない。


 そのことに七年間かけてようやく気づく。


「冬空スピカ。あなたまさか、アイドルが好きでもないのに、アイドルになりたいなどという戯言ざれごとを吐いているわけじゃないでしょうね?」


 逢坂秋穂がこちらを射抜くような目で尋ねた。


「あ、アイドルは好きですよ。好きに決まってるじゃないですか。やだなぁ、あはは…………」


「そう、ならいいけど」


 逢坂秋穂は納得したのか、それ以上はなにも聞かなかった。



「さようなら、次は中間発表会でいましょう」


 そんなことを言って逢坂秋穂が帰っていった。

 夕飯の支度をする必要があるらしい。


 残った私たちは夏美ちゃんの手芸屋さんに向かった。

 私のアイドル衣装の材料を買いに行くためだ。


 歩きながら、逢坂秋穂に聞かれたことを考える。

 そういえば、いつかひばりちゃんに言われたことがあった。


『お前さ、いっつも自分はアイドルにならなきゃダメなんだって言うよな。アイドルになりたいわけじゃないんだろ? ならなきゃダメにすがるより、なりたいを探した方がいいんじゃないか?』


 私が「ならなきゃダメ」に縋っている? 

 そんなはずはない。


 確かに私はアイドルが好きじゃないかもしれない。でも、それでも私は…………アイドルになりたいと、心からそう思ってるのだ。


『でもお前、人前に出るの苦手だろ。仲間内でキャッキャしたり、ファンにチヤホヤされるのを妄想するのは楽しいかもしれないが、実際にアイドルとしてステージで歌って踊るのはどうなんだ?』


 アイドルとしてステージに上がるのを想像する。


 露出の高い衣装に身を包んで、キラキラと輝くステージの上に立って、人々の声援を浴びながら、逃げられない状況で数時間も歌って踊りつづける?


 ……………………。


 胃を締めつけられるような思いがした。心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。背中に脂汗がにじむのを感じる。


 おぞましい。

 考えるだけでゾッとする。


 じゃあ…………私はアイドルになりたくはないのか?


 思わずごくりとツバを飲みこんだ。

 そんなこと、今まで一度も考えたことがなかった。


 でも、


 自分の中で反射的にそう考えた。

 そして、自分がそう考えたことに驚く。


 私は今、「ならなければならない」と思ったのか?


 これじゃほんとにひばりちゃんの言う通りじゃないか。



 ではなく、



 私は……ほんとはアイドルにはなりたくないのか?


 そういえば、メタルを歌った日、ひばりちゃんは私にこんなことを尋ねた。


『お前さ、なんでアイドルになりたいんだ?』


 私がアイドルを目指す理由…………


 アイドルになってワールドツアーを成功させる。それがに対する、私ができる唯一最大の恩返しだから。


 ……………………。


『メリアさんへの恩返しって…………それでほんとにあの人が喜ぶのか?』


 分からない。

 お母さんが私になってくれと頼んだわけじゃないから。


『お前アイドルになるってずっと言ってるけどさ、他の選択肢はないのかよ』


 考えたことはない。

 私はアイドルになるために人生のすべてを捧げてきた。


『毎日ボイトレばっかして、つらいとか思わないのか?』


 思ったことはない。

 アイドルになるために必要だから。


『でもボクは、お前が毎日ボイトレばっかして、一緒に遊べなくてさみしかったぞ』


 それは…………ごめん。

 ひばりちゃんがそんなこと思ってたなんて知らなかった。


『この子は昔からずっと言ってたのよ。スピカちゃんがボイストレーニングするようになってから、一緒に遊べる時間が減ってさみしいって』


 …………ごめんなさい。

 私のせいでさみしい思いをさせて、ごめんなさい。


『確かにお前は世界でいちばん歌がうまくなった。でも、そのためになにを捨てた? 捨てたものの中にも、大切なものはあったんじゃないか?』


 それは…………


 捨てたもの。

 心当たりは数え切れないほどあった。


 ひばりちゃんとの時間?


 小学生のとき交わした会話が脳をよぎる。


『ボイトレボイトレって、たまには一緒に遊ぼうぜ。昔みたいにさ』

『ごめん、また今度ね』

『また今度って、いっつもそればっかりじゃねえか』


 部活?


『お前は部活とかどうするんだ?』

『私はいいかな、ボイトレあるし』

『合唱部とかどうだ、面白そうだろ』

『時間の無駄だよ』

『時間の無駄って…………やらなきゃ分かんないだろ』


 クラスメイト?


『冬空さん、給食中に宿題をやるのはやめませんか? 給食は、みんなと話して仲良くなるせっかくの機会なんですから』

『時間がもったいないんです。私、ボイトレがあるから』

『みんなは冬空さんと仲良くなりたがってると思いますよ』

『私は興味ないです』


 青春?


『なあ、西村さんがお前と遊べるかって聞いてたぞ』

『西村さん? …………誰だっけ?』

『クラスメイトだろ。覚えてないのかよ』

『覚えてないや。その人がどうしたの?』

『クラスの女子みんなで卒業旅行に行くんだって。ボクは行くぞ、お前はどうする?』

『私はいいや。ボイトレあるし』

『…………ああ、そうかよ』


 恋愛?


『冬空さん、ずっと好きでした……! ぼっ、僕と付き合ってください!』

『…………ごめん、あなた誰だっけ?』

『えっ、僕は……同じクラスの……っ……』

『あっ、同じクラスの…………ごめん。クラスの人の顔、ぜんぜん覚えてなくて』


 夢?


『冬空さんは、将来の夢はなにかあるんですか?』

『夢はないです』

『では、冬空さんがボイストレーニングをしてるのは…………』

『夢ではなく目標です。私は死んでもアイドルにならなければダメなんです。なにを犠牲ぎせいにしてでも、かならず…………』


 私は死んでもアイドルになると決めた。

 七年前に母さんと約束したから。


『それでほんとにあの人が喜ぶのか?』

 

 …………うるさい。


『恩返しって言うけど、罪悪感とか罪滅ぼしとか、そういうのだろ』


 …………だまれ。

 

『やらなきゃダメより、やりたいことを探したほうがいいんじゃないか?』


 …………わたしに聞かれても、そんなの分かんないよ。


『好きじゃないものを目指すのは不幸なことだとボクは思うぞ』


 違う。

 私は不幸なんかじゃない。


 私は母さんのためにアイドルになるんだ。

 きっとそれで母さんも喜んでくれるから。


 だから私は不幸なんかじゃない。


 でも――――アイドルになりたいと伝えた日、母さんに病室で言われたことを思い出す。伝説のアイドル、冬空メリアは確かに私にこう言った。


『スピカちゃん、あなたが母さんのためになにかする必要はないのよ。あなたはあなたのやりたいことをやりなさい』



 ああ。


 

 ああ、ああっ。



 母さんは、私がアイドルになることなど望んでいなかった。



 じゃあなんだ?

 これは私の自己満足か?



 ほんとに贖罪しょくざいとか、罪の意識でやってるのか?


 やりたくないのに、罪悪感でやらされているのか?


 ……………………。


 みんな私にやりたいことをやればいいと言う。


 でも、そんなの今さら言われても困るよ。自分のやりたいことなんて分からない。わたし、ボイトレしかやってきてないから…………


「…………スピカちゃん? スピカちゃん? どうしたの?」


 夏美ちゃんがきょとんとした表情で私の顔をのぞきこんだ。


「あっ、ごめん夏美ちゃん。なんの話だっけ?」


「お前の衣装の案、どれがいいって話だろ? 夏美ががんばって考えてきてくれたんじゃないか」


 周囲を見渡す。

 私たちはいつのまにか、夏美ちゃんの手芸屋さんに到着していた。


「わたしたちはこの衣装が一番いいねってなったんだけど、スピカちゃんはどう?」


 夏美ちゃんがスケッチブックに書かれた衣装案を見せてくれた。デフォルメされた金髪のキャラが、学校の制服を基調にした衣装に身を包んでいる。


「アイドルっぽくてすごいよな。最初見たとき驚いたぜ」

「スピカちゃんが着たら、きっとかわいいと思うんだぁ〜」


 二人が楽しそうに言う。


 アイドルっぽいってなに?

 かわいいってなに?


 わたし、分かんないよ…………


 アイドルのこととかなにも分かんない。

 ボイトレのこと以外、なにも分かんない。


「いいんじゃないかな! 私もその衣装でいいと思う」


「じゃあ決定だね。えへへ…………この衣装を着たスピカちゃん、きっとかわいいんだろうなぁ」


「ああ、ボクも今から本番が楽しみだ」


 本番。


 それは私にとって、「楽しみ」とはもっとも遠い言葉だった。


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