第3話 あなたの目標は叶わない

「次は生徒会長による挨拶です。逢坂おうさか秋穂あきほさん、よろしくお願いします」


 後ろでひとりの女子生徒が立ち上がって、堂々とした態度で前に出た。


 きれいな人だ。


 スラっとした長い黒髪に、ピンと伸びた背中。透き通るような肌に、スッと通った鼻筋。黒髪ロングのクール系美少女ってかんじだ。


 でもなぜか…………ちょっと不機嫌ふきげんそう?


 逢坂秋穂がステージの上に立って、獲物を前にした獅子ししのような目つきで観客席をギロリとにらんだ。そして――――私をじっと見つめる。


「それでは逢坂さん、よろしくお願い――――」


 司会の言葉をさえぎるようにして、逢坂秋穂が静かに言った。


「調子に乗るなよ、冬空スピカ」


 周囲が驚いたように静まり返る。


 今…………私の名前を出したのか?


 いったい今、なにが…………


 周囲が異常事態にザワザワとざわつきだした。

 司会の人がギョッとした顔で固まる。


「さっきから黙って聞いていれば、リミットレスで優勝? ソロのアイドルとしてワールドツアー? 馬鹿馬鹿しい。寝言は寝ていうことね、外国人さん」


 リミットレスで優勝。

 ソロでのワールドツアー。


 どちらも私が言ったものだ。


 なんで?

 意味不明なんですけど。


 この人はなにを………… 


「私には分かる、あなたにはアイドルの才能が無い。それなのに、まるでリミットレスでの優勝が決定事項のように言わないでくれるかしら? 不快だわ」


 逢坂秋穂が憎しみのこもった口調で言った。


 ――――リミットレスの優勝が決定事項。


 私が優勝を宣言したことが気にさわったのだろうか?

 

 それを裏付けるように、後ろの上級生たちの席からこんな会話が聞こえてくる。

 

「出た、またあの女だよ」

「決勝で歌えなかったっていう」

「マジで学校の恥だな」


 状況を理解するためのピースが集まり出した。けど、全てがそろう前に、逢坂秋穂が私の後ろを見つめて低い声でつぶやいた。


「黙れ」

 

 それだけで、上級生の席がしんと静まり返る。

 

「今ここで謝罪しなさい、冬空スピカ。なにも知らない若輩者じゃくはいもの分際ぶんざいで、リミットレス優勝を軽々しく語ったことを」


 逢坂秋穂が私を見つめて言う。


 事情は分からなかった。


 でも…………謝って済むなら、とにかくこの場は謝って済ませよう。


 そう思って立ち上がった。

 逢坂秋穂を見つめてごくりとツバを飲む。


 けど、私が立ち上がると、


「冬空さんが謝るなんておかしいよ!」

「あの人頭おかしいって」

「あんな人の言うこと聞いちゃダメ」


 周囲の同級生たちがそんなことを言ってきた。


 確かにそうかもしれない。

 でも、他にどうやってこの状況を…………


 そこまで考えたところで、視界の端で先生たちが相談しているのが見えた。すぐに先生方のひとりが立ち上がって、逢坂秋穂の方に向かって歩き出す。


 確かに私がどうこうする必要はない。

 ここは大人に任せようと考え直した。


 逢坂秋穂もそれを見てか、私を挑発するように言った。


「あら、これだけ言っても言い返してすらこないの? 所詮しょせんはそれだけの決意だったようね。そんな生半可な決意で世界を目指すなど言わないでくれるかしら?」


 逢坂秋穂の言葉に思わずムッとする。


 生半可な決意?


 母と約束して以来、私はアイドルになるため必死に努力してきた。それを生半可だと言われるのは、約束を侮辱されるみたいでイヤだった。


 思わず拳を握りしめる。

 握った拳が怒りで震えだす。


「おい、なにか言い返してやれよ、スピカ」


 隣の席のひばりちゃんが私に言った。


 昔、彼女に言われた言葉を思い出す。


『だからお前は弱い奴だと思われるんだ。やられたらやり返せ。そうすれば、こいつらもお前をいじめてこなくなるからさ』


 小学生のとき、ひばりちゃんはいじめっ子たち全員まとめてボコボコにした。そのときに彼女が言ってくれた言葉だった。


 先生を見て考える。

 私はまた誰かに守られるのか?


 それはイヤだ。


 ひばりちゃんみたいに強くはなれないかもしれない。それでも、昔と比べてコミュ障も克服したし、人前でスピーチもできるようになった。


 そうだ。

 私は変わったんだ。


 だから、私は…………


 ふーっと息を吐いて、入学式のど真ん中でドンパチやる覚悟を決めた。逢坂秋穂を見つめて静かに、けど会場全体に響くような声で言う。


「いい加減にしてください。私のことをなにも知らないくせに、適当なことを言わないでくれませんか」


 私が反撃に出たことに驚いたのか、周囲のざわつきが一瞬止まった。舞台の方に向かってた先生も、「しまった」みたいな顔でその場に凍りつく。


「へえ。言い返すだけの度胸はあるのね。少しだけど褒めてあげる」


 そう言って感心したようにわずかに目を細める。


「ふざけないでください。私に文句があるならこんな場所で言わず、私に直接言いにきたらどうですか?」


 私がそう言うと、逢坂秋穂が口の端を歪めて答えた。


「その言葉、そっくりそのままあなたに返すわ。私に文句があるのなら、このステージに上がって、今ここで私に直接言いに来てみなさい」


 ステージに上がって…………直接?


 なにを言ってるんだこの人は、と思った。

 この喧嘩を見せ物にでもするつもりか?


 逢坂秋穂の意図は分からなかった。けど、ステージに上がって直接という言葉に、思わず背後で私たちを見守る生徒の存在を意識する。


 ヒソヒソと囁きあう声が聞こえる。

 みんなが私に注目している。

 

 そのことを意識すると、心臓の鼓動が一気に跳ね上がった。私が前に出るか出ないか、みんなが私を見守っている。思わずごくりとツバを飲み込んだ。


 行かなければならないと思った。


 けど――――新入生代表のときに見た光景が脳をよぎる。


 舞台前方を取り囲むようにして作られた観客席。だだっ広い講堂の六割方を埋め尽くす四百名あまりの生徒たち。私を見つめる目、目、目。


 人の前に立つときの、心臓のすくむような感覚を思い出す。

 あの場所に戻りたいとは思えなかった。


 足がガタガタと震えだした。

 もうあの場所には戻りたくないと体が訴える。


 そんな私を見つめて、勝ち誇ったような態度で逢坂秋穂が言った。


「ふっ、やはり思った通りだわ。あなたはアイドルの器ではない」


 人のすべてを見透かしたような発言に、思わず奥歯を噛みしめた。私がアイドルの器じゃない――――どうしてそんなことが言えるのだろう。


「初対面のあなたに……私のなにが分かるんですか」


「さあ? 少しは自分で考えたら」


 逢坂秋穂が冷たい目で私を見つめる。

 しばらくの沈黙。


 私たちの喧嘩が止まったのを良いタイミングだと思ったのか、注意に向かった先生が言った。

 

「こらっ、逢坂くん、いい加減にせんか!」


 潮時だと判断したのか、逢坂秋穂がそっけない声で言う。


「以上、生徒会長、逢坂秋穂」

 

 そして短く礼をして、何事もなかったようにステージを去った。



 入学式が終わって新入生のクラス分けが発表された。

 ラッキーなことに私とひばりちゃんは同じクラス。


 教室に向かいながら、ひばりちゃんが怒りマックスといった様子で言う。


「マジでなんだったんだ、あの頭がおかしい女は。ああくそっ、思い出すだけでもほんっとうに腹がたつぜ」


「うん……」


 彼女の勝ち誇ったような顔を思い出す。

 あの一瞬で私のなにが分かったというのだろう。


 私がアイドルにはなれない?


 私になにか、私すら見逃してるような弱点があるのか?


 ……………………。


「おいスピカ、なんでそんなに落ちこんでんだよ」


 ひばりちゃんがジトっとした目で私を見つめた。


「あんなに好き勝手に言われたんだぞ? もっとおこれよ。お前よりボクの方が怒ってるじゃないか」


「だって……」


「だってじゃない。ほら、もっと怒れよ。怒ってもっと元気出せよ」


 怒って元気を出せ。

 初めて聞いたはげまし言葉だ。


 それが有効かはともかく、言われた通りに怒ってみようと努力する。


「うぅ…………クリリンのことかぁ……!」

「もっとだ」

「クリリンのことかぁ……っ!」

「もっと」


 むむ、こうなったら、



「クリリンのことかーッッッ!!」



 私が全力で叫ぶと、周囲がしんと静まり返った。

 近くの同級生たちがじっとこちらを見つめる。

 

「お前、悟空の声真似うまいな」


 ひばりちゃんが目を丸くしてつぶやいた。


 でも……やっぱりダメだ。

 いかりという感情が湧いてこない。


 自分のなにがいけなかったのだろう?

 そのことがグルグルと頭をついて回る。


 私が落ちこんでいると、


「…………なあお前、あんま気にすんなよ? ああいう頭のおかしいやつはどこにでもいるって。あんなやつの言ってたことをに受ける必要はないさ」


 ひばりちゃんが今度は私を励ますように言った。

 

 …………今度はっていうか、さっきも同じか。


 もっと怒って元気を出せ。

 それはつまり、私に元気になって欲しいということで、


「…………ふふ、ありがとうひばりちゃん。励ましてくれて」


 心強い友人の存在に、いくらか気持ちが楽になった。


 ひばりちゃんを見つめて笑いかける。

 するとひばりちゃんの顔がパッと赤くなった。


「ば、バカ……ボクはただ友人として当然のことをしただけだ」


「ふふっ、ひばりちゃんはかわいいなぁ」


 ひばりちゃんをぎゅっと抱きしめた。

 すると真顔の抵抗にあう。


「やめろ。ここは日本だ、ハグはしないでくれ」


 ひばりちゃんの発言に衝撃を受けてひばりちゃんを見つめた。


「えっ、日本ってハグだめなの⁉」


「そうだ」


「オォウ、カルチャーショック…………」


「お前ずっと日本暮らしだろ、アホか」

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