第22話 逢坂夏美の憂鬱 その2

 昼休み。


 アイドル部に入って、スピカちゃんの衣装を作りたい。今度こそ伝えようと決意して、逢坂夏美は自分の席を立ち上がった。


 立ち上がった、まではよかったものも。


「冬空さん…………と、春野さん。私たちも一緒に食べていい?」

「うん! いいよー」

「……ああ、別に構わないが」


 陽キャ女子たちに囲まれて近づけない。


 …………うう、どうしよう。とりあえず、スピカちゃんがお昼ごはんを食べ終わるのを待ってからにしようか。


 そう考えて、夏美も仕方なく自分の席に戻った。

 カバンから弁当を取り出す。


 わたしは誰と食べれば…………


 不安になりながら周囲を見回した。


 教室の中にはすでにグループが出来上がっている。

 食べる相手がいないのは夏美だけだった。


 クラスに居場所がない。


 居心地の悪さを感じながら、自分の席でぼつんと弁当を広げる。


 中学でもこうだった。母の都合で転勤が多かったから、仲のいい友だちが学校にいなかった。だからわたしはひとりでご飯を食べていた。

 

 高校では友だち作るって、決めてたんだけどなぁ…………


 周囲からは楽しげな会話が聞こえてきて、ひとりでいるのが余計にさみしくなる。


 ひとりで弁当を食べはじめた。


 話し相手がいないと、自然と周囲の会話に意識が向く。

 弁当を食べながら、こんな会話が耳に入ってくる。


「てかさー、昨日の入学式ヤバかったよね」

「うん、ほんとにヤバかった」


 夏美に聞かせようと思ったものではない。

 けど、それでも思わず聞き耳を立てる。


「あの逢坂秋穂とかいう生徒会長、マジで頭おかしかったよね。なんであんな人が生徒会長やってるんだろ」

「ねー、ほんとに」


 女子たちが姉の陰口を言ってきゃははと笑い合った。姉を笑う女子たちの言葉に、自分のことのように胸が痛む。


 確かに姉の行動は最低で最悪なものだった。生徒会長の役割を放棄して、入学式の真っ最中にあんなふうに他人を侮辱するなんて、もちろん許されるわけがない。


 でも、わたしの姉はみんなが言うような悪人ではない。休職中の母のかわりにお金を稼いでいるのはお姉ちゃんだ。わたしが今食べているこのお弁当だって、高校初日だからと早起きしてお姉ちゃんが作ってくれたものなのに…………


 そんな夏美の内心は知らずに、クラスの女子たちが噂話を続けてゆく。


「しかもさ、あの生徒会長、妹がいるんだって」

「えっ、もしかしてこの学校?」

「うん、あの逢坂夏美って子がそうらしいよ」


 周囲の悪意ある視線を感じて、夏美は思わず息を詰まらせた。聞こえてないふりをしながら背筋を伸ばし、足を地面に押し付けて膝の震えを止めようとする。


 学年全員のきらわれもの、逢坂秋穂。

 そして、その妹であるわたし。


 クラスのみんながわたしとお姉ちゃんの関係を知っている。きっとわたしと仲良くしてくれる人なんていないだろう。スピカちゃんも…………


 学校ですでに孤立し始めているのを感じて、お箸を持つ手が震えだした。弁当が喉を通らない。吐き気がこみあげてきて食べるどころじゃなくなる。


「姉があれなら、きっと妹もヤバいよね」

「ひとりで食べてるけど、それがお似合いだわ」


 自分をくすくすと笑う声が聞こえてきた。


「………………っ……!」 


 もう教室にはいられなかった。

 夏美は弁当を持って外へ飛び出した。

 

 脇目も振らず無我夢中で走る。向かった先は屋上だった。階段を駆け上がって屋上にたどりつく。日陰になってる部分に膝を抱えて座りこんだ。自分のふとももに顔をうずめ、声にならないうめき声を上げる。


 どうしてこんなことになっちゃったんだろ? 高校では今度こそうまくやるって、決めたはずなのに…………


 姉をうらむ気持ちもあった。姉が入学式でやらかさなければ、こんなことにはならなかっただろう。姉のことをうらみつつ、姉の作ってくれた弁当を口に運ぶ。


 …………おいしい。 


 小中は給食があったので、弁当を食べる機会は少ない。けど、運動会の日なんかは仕事の忙しい母のかわりに、姉が弁当を作ってくれた。


 もちろんわたしも高校生だから、自分で弁当を作るくらいできる。今後はそうする予定だ。けど、今日は高校生活初日ということで、姉が早起きして気合をいれて作ってくれたのだ。


 おいしいっ、おいしいよ……っ…………


 姉へのうらみ、感謝、愛情。それがクラスで感じた孤独感や疎外感とあわさって、思わず涙がこぼれてくる。


「………………っ……」


 夏美は弁当を食べながら静かに泣き出した。

 屋上でひとりで膝を抱えて今後の未来を考える。


 ああ、わたしはこれからどうしたら…………

 

「――――ねえ、大丈夫?」


 頭上から心配するような声が降ってきた。

 ハッとして顔を上げてその子を見つめる。


 金髪碧眼の女の子――――冬空スピカが、風に吹かれる髪を押さえながらこちらに手を差し出していた。


 夢を見ているのかと一瞬思った。


 スピカちゃんと一緒にアイドル部をやりたい気持ち。

 高校ではちゃんと友だちを作りたい気持ち。


 それらが白昼夢を見せてるんじゃないかと。


 あわてて目をこすって涙をふいた。

 それでもスピカの姿が消えることはない。


 夢ではない、スピカちゃんは今わたしの目の前にいる。


 どうしてここに…………


 目を見開いてスピカを見つめる夏美に、スピカが優しい声で言う。 


「夏美ちゃん、なにかあったの? 私でよかったら話してよ。私、アイドル部とか関係なく、夏美ちゃんと仲良くなりたいからさ」


 なんて優しい人なんだろうと夏美は思った。

 昨日会ったばかりの自分をここまで気にかけてくれる。


 でも…………わたしが逢坂秋穂の妹だとバレたら、わたしのことをきらいになるんじゃないか。


 そんな不安が心から消えなかった。


「夏美ちゃん、なにか悩んでることがあるなら話して」


 スピカにそう言われ、わたしはこの人みたいに勇敢になりたいんだと思い出す。


 もうこうなったら正直にぜんぶ白状するしかない。嫌われるかもしれないし、大丈夫かもしれない。


 一か八かの大博打。 

 勇気を出して、洗いざらいすべて話す決意を決める。


 そのときだった。


「おいスピカ、お前騙されてるぞ」


 スピカの後ろで状況を静観していたひばりが口を開いた。仏頂面で腕を組みながら、不審そうな目で夏美を見つめて言う。


「あんた、スピカには自分が大阪夏美だと言ったみたいだが、本当は逢坂夏美っていうんだろ? 名簿を調べたらすぐに分かった。なんでわざわざボクたちを騙すようなことをしたんだ?」


 ひばりの言葉に、スピカが驚いたような表情を浮かべた。


「ど、どういうこと……?」


「そいつは大阪夏美なんかじゃない、逢坂夏美だ。おそらくあの生徒会長の妹のな。もうクラス中で噂になってる」


 ひばりが淡々とした声で告げる。

 スピカが驚いたような顔でつぶやいた。

 

「夏美ちゃん、どうしてそんな嘘を……」


 ああ……終わった。


 裏切られたようなスピカの表情(少なくとも夏美にはそう見えた)を見て、夏美は自分が完全にスピカにきらわれてしまったのだと思った。


「スピカちゃんごめん…………ごめん、っ――――」


 夏美はかぼそい声で謝って、二人のもとから走って逃げ出した。階段を駆け降りてトイレの個室に走りこんで、鍵をかけて閉じこもった。個室の壁にもたれかかって、声を押し殺してひとりで泣いた。



「あっ、ちょっと夏美ちゃん――――」


 夏美ちゃんが屋上から逃げ出して、私とひばりちゃんだけが取り残された。ひばりちゃんと二人で顔を見合わせる。


「もしかして、ボクがやらかしたか?」


 ひばりちゃんが焦った顔で尋ねた。


「うん、ひばりちゃんがやらかした」


 実際のところは分からないが、とりあえずそう答えておく。


「そ、そうか……怖がらせるつもりはなかったんだが。ボクはただ、事実確認がしておきたかっただけなんだ…………」


 まあ、ひばりちゃんが怖く見えるのは確かだ。私も小学校のトイレで初めてひばりちゃんと出会ったときは、不良の子が私をボコボコにしにきたのだと思った。


「起きちゃったことは仕方ないよ。とにかく、夏美ちゃんを追いかけよう」


「あ、ああ……そうだな」


 どこかへ逃げ出してしまった夏美ちゃんの後を追いかける。


 あの大阪夏美ちゃんが逢坂秋穂の妹?

 それには普通に驚かされた。


 でも、夏美ちゃんはそんなの関係なく私の友だちだ。


 なんで悩んでるのかよく分からないけど、困っているなら助けてあげたい。

 

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