第20話 姉と妹

「ねえ、お姉ちゃん。どうしてスピカちゃんにあんなことをしたの?」


 生徒会室の中で、逢坂夏美は姉の秋穂に尋ねた。


 入学式での一件。お姉ちゃんがみんなの前でスピカちゃんを攻撃して、身内として本当に恥ずかしかった。


 生徒会室でのバトルもそうだ。スピカちゃんが心配で見に行ったけど、やっぱりお姉ちゃんは必要以上にスピカちゃんに冷たく当たっていた。


「夏美……」


 秋穂が夏美を見てつぶやく。


「ねえ、なんであんなことしたの?」


 もういちど問いかけた。

 すると秋穂がムッとしたような表情を浮かべる。


「あなたには関係ない」


「関係あるよ、姉妹なんだから」


「あなたもあの子の味方なのでしょう? 私のことなんてほっといて」


「味方とかそんなの関係ない」

 

 話して、と姉の顔をじっと見つめる。

 秋穂は不機嫌そうな顔のまま沈黙した。


「話して」


 もういちど言う。

 すると秋穂が渋々といった表情で口を開いた。


「…………別に、あの子がスピーチすらまともにできない分際で、ワールドツアーなどと絵空事を抜かしたからムカついただけよ」


「ほんとにそれだけ?」


 入学式での一件。

 姉は間違いなく大激怒していた。


 あそこまで怒った姉を見たのは生まれて初めてだ。

 スピカちゃんにただムカついただけとは思えない。


 じゃあ、他にどんな理由がありそうかというと………… 

 

 お姉ちゃんは昔、スクールアイドルをやっていた。スピカちゃんと同じように、リミットレスでの優勝を目指していた。でも二年前の決勝で失敗して、スクールアイドルを諦めてしまった。


 過去の自分と同じ目標を語ったスピカちゃんを見て、諦めてしまった自分がやるせなくなったのではないだろうか?


 だからあんなことをしたんだと、夏美はそう思った。


「スクールアイドルやめて、ほんとは悔しかったんでしょ? だから入学式でスピカちゃんの目標を聞いて、うらやましくなってスピカちゃんを攻撃した」


 そうなんでしょ? と問いかける。

 すると秋穂は眉間に深いシワを寄せて夏美をにらんだ。


「私のことをなにも知らないくせに、知ったような口を利かないで」


 秋穂が怒気をはらんだ冷たい声で言う。

 二人のあいだに気まずい沈黙が流れた。


 …………昔はこんなのじゃなかったのにな。


 スクールアイドルをやってたころのお姉ちゃんは楽しそうだった。けど、今のお姉ちゃんはぜんぜん楽しそうじゃない。家でも外でも、姉が笑うことはなくなった。


「ねえ、お姉ちゃんも昔言ってたよね。リミットレスで優勝して、メリア・ブリガンディンみたいなすごいアイドルになりたいって。今ならまだ――――」


「くだらない。私はもうアイドルになど興味はないの」


 秋穂がピシャリと言う。


 「じゃあ、なんでカラーズでアイドルやってるの……?」


 人気ナンバーワンアイドル、逢坂秋穂。

 アイドルに興味ない人が、そんなことできるのだろうか。


 いや、できない。


 きっとまだお姉ちゃんはアイドルが好きなんだ。

 アイドルの夢を諦めてないんだ。


 だからカラーズをやっているんだ。


 夏美はそう思った。

 でも、


「決まってるじゃない。お金のためよ。私たちにお金が必要なのは、あなたも理解しているでしょう?」


 姉の言葉になにも言えなくなる。


 夏美たちは母子家庭で育てられた。父は夏美が生まれてすぐ病気でこの世を去った。母は女手ひとつで娘たちを育てあげたが、仕事と育児を両立しようと無理したせいか、最近は体調を崩して寝こんでしまうようになった。


 仕事のできない母のかわりに、姉がお金を稼いでくれている。そのことを思い出して、アイドル部なんかに浮かれていた自分が恥ずかしくなってくる。


 お姉ちゃんは高校三年生、大学受験も控えているのだ。

 ほんとは、わたしがお金を稼がなきゃダメなのに…………


 わたしはスピカちゃんとアイドル部がやりたい。

 でも、そんなことが許されるのだろうか?


 許されるはずがない、と夏美は思った。

 

「ねえお姉ちゃん、やっぱりわたしバイト始めるよ。お姉ちゃんは受験勉強に集中しなきゃ…………」


 夏美がそう言うと、けわしかった秋穂の表情がやわらぐ。


「あら、心配してくれるの?」

「心配するよ、姉妹なんだから」


 夏美が生まれてから十五年間。

 ずっと秋穂と一緒に生きてきた。


 ちょっとやそっとじゃ絆は変わらない。


 自分を心配そうに見つめる夏美に、秋穂が柔らかい表情で微笑んだ。

 

「心配してくれてありがとう。けど、お姉ちゃんは成績がいいから大丈夫よ。お金のことも、夏美は気にしなくて大丈夫だから」


「でも……」


「それに、アルバイトじゃ大した稼ぎにならないでしょ?」


 それは姉の言う通りだった。

 

 わたしがいくらバイトを頑張ったところで、お姉ちゃんのアイドル代には足元にも及ばないだろう。カラーズ人気ナンバーワンアイドルは伊達じゃない。


「…………じゃあせめて、今日はわたしがご飯つくるからさ。お姉ちゃんはゆっくり休んでてよ」


 それくらいしか、自分にできることは思いつかなかった。


 

 夏美は秋穂と一緒に学校を出た。家に向かって歩く途中、スーパーに寄って食材を買っていく。秋穂の要望で今日の晩ごはんはシチューに決まった。

 

「じゃあ、お姉ちゃんはのんびり待っててね」


 夏美がそう言うと、秋穂は心配そうな顔でリビングの椅子に座った。料理を始めようとする夏美を、秋穂が不安げにじっと見つめる。


「あの……お姉ちゃん? 部屋に戻っててくれていいんだよ?」


「私のことは気にしないで」


「気にしないでって言われても……そんなふうに見られたら気になるよ。お姉ちゃんは自分の部屋に行って休んでてよ」


「私のことは気にしないで」


「………………」


 仕方ないので料理を始める。


 野菜を片っ端から洗った。

 包丁とまな板を用意する。

 トントントン、と包丁で野菜を切っていく。


 秋穂が夏美の手元を見つめながら言う。


「夏美、包丁を使うときは猫の手よ」

「ああもう、幼稚園児じゃないんだから」 


 わたしってそんなに頼りなく見えるのだろうか? 


 だとしたら心外だ。

 わたしだって料理くらいできる。


 わたしはもう十五歳だ。

 料理くらいかんたんに――――

 

「って、痛っ! うわわっ、血が……」


 包丁で指を切って血が出てきた。

 傷に野菜の汁がしみてヒリヒリと痛む。


 うぅ……


「ほら、言わんこっちゃない。お姉ちゃんが絆創膏ばんそうこうとってくるから、しっかり水で洗ってなさい」


「はい……」


 言われた通りにする。


 秋穂が夏美の指に絆創膏を巻いた。絆創膏を巻かれながら、子どものときもこんなふうに傷の手当てをしてもらったな、と昔を思い出す。


 やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだ。頭がよくて、カッコよくて、強くて、優しくて、わたしの大好きなお姉ちゃんだ。


 だからこそ、なんであそこまでスピカちゃんに怒ったのか謎なんだけど…………


「はい、できたわよ」


 秋穂が夏美の頭をポンと撫でた。


 ああ…………恥ずかしい。


 お姉ちゃんがスクールアイドルやってたときは、わたしがお姉ちゃんの衣装を作ってた。だから針仕事には慣れてるんだけどなあ…………

 

「あなた、針の扱いは上手いのに包丁はてんでダメね」


 真顔で痛いところを突かれる。


 仕方ないもん。


 針で指を切り落とすことはないけど、包丁だと指を切断できる。だから怖くて緊張してしまうのだ。


「私が半分やるから、もっと気をつけて切りなさい」

「は、はい……」


 あれ? いつのまにか、お姉ちゃんも料理することになってる?


 まあいっか。

 

 二人で手分けして食材を切ってゆく。

 玉ねぎ、じゃがいも、にんじん…………


 具材を切りながら、秋穂がおもむろに夏美に尋ねた。


「ねえ夏美。あなたは冬空さんとアイドル部がやりたいの?」

「…………聞いてたの?」


 生徒会室の前でのスピカちゃんとの会話。

 あれを聞かれていたのか尋ねる。


「ええ、ぜんぶ。…………もちろん、盗み聞きしたわけではないけど」


 まあ、すぐ近くで話してたし、そりゃ聞こえてるよね…………


「冬空さん、小学校でいじめられていたのね。それが原因になって、あの子は人前で歌うことができなくなった。…………あの子には、悪いことをしたわ」


 お姉ちゃんが申し訳なさそうな表情で言った。わたしも昔はいじめられてたから、思うところがあるのだろう。


「お姉ちゃん…………スピカちゃんに謝ってみたら?」


 お姉ちゃんはスクールアイドルの先輩だ。

 関係がいい方がスピカちゃんのためにもなるはず。


 それに、わたしとしても、お姉ちゃんとスピカちゃんが仲良くしてくれたほうが嬉しい。 


「…………ええ、そうね」


 秋穂が小さくうなずいた。


 そのまま二人はなにも話さなかった。

 しばらくして、秋穂がポツリと口を開く。


「冬空さんとアイドル部をやりたいなら、あなたの好きにやったらいいのよ。またアイドルの衣装を作りたいのでしょう?」


「それは…………うん、作りたいよ」


 わたしはかわいいものが大好きだ。かわいい衣装を作って、それをかわいい女の子に着てもらいたい。スピカちゃんみたいに最高にかわいい女の子の衣装を作れるなんて、わたしにとっては天国みたいなものだ。


「…………でも、わたしはいいや。お姉ちゃんがお金を稼いでくれてるのに、わたしだけ好き勝手はできないから」


 夏美がそう言うと、秋穂が柔らかく微笑んだ。


「夏美、あなたはあなたのやりたいことをやりなさい。お姉ちゃんはそのために頑張ってるんだから」


 ――――アイドル部で衣装作りを学んで、将来は服飾ふくしょくや衣装製作を仕事にしたい。


 姉は自分の夢について知っている。

 だからわたしを応援してくれている。


「でも…………ほんとにいいの?」

「もちろんよ、夏美」


 姉が笑顔でうなずいた。

 ここまで言われて、姉の好意を無下にできる夏美ではなかった。

 

「…………うん。じゃあわたし、スピカちゃんとアイドル部、やりたい」


 姉への負い目はある。

 けど、スピカの衣装を作りたいというのが心からの気持ちだった。


「ふふ、応援してるわね。…………まあ、冬空さんのことは少し心配だけど」


「スピカちゃんなら大丈夫だよ。あの子は勇敢な子だから」


 今日会ったばかりだが、夏美はそう確信していた。


 問題は、スピカちゃんがわたしを仲間にしてくれるかどうかだけど…………


『夏美ちゃん、私と一緒にアイドル部やってみない?』


 スピカちゃんに誘われて、自分はすでにいちど断っている。断っちゃったけど、大丈夫だろうか? それに、わたし以外の人をもう見つけてるかも…………


 どうしよう、心配になってきた。


 ワクワク半分、不安半分になりながら、夏美はその日を終えた。

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