第15話 きみの前なら歌えるよ

「――――ごっ、ごめんちょっとタンマ」


 ひばりちゃんに曲の再生を止めてもらう。

 

 呼吸を落ち着けながら、額にき出た冷や汗をぬぐった。ひばりちゃん一人の前でさえ歌えない自分が、情けなくて情けなくて仕方がなかった。


 ほんとに…………どうして私は母さんのようになれないのだろう?


「大丈夫か? 顔色悪いぞ」


「大丈夫じゃないかも」


「おい、あんま無理するなよな。なんなら録音したやつを送ってくれてもいいぞ?」


「ダメだよ。こんなところで歌えなかったら、リミットレス優勝なんて絶対に無理だから」


 ふーっと長く息を吐いた。


 ひばりちゃんは恥ずかしいのをこらえて私に曲を聴かせてくれた。今度は私ががんばる番だ。けど、「がんばる」でできるならこんなに苦労はしない。


 大丈夫だ、入学式のスピーチを思い出せ。

 ゆっくりと息を吐いて鼓動を落ち着けるんだ。


「よし、ひばりちゃんお願い」


 ひばりちゃんが曲を再生した。

 呼吸をコントロールして、心臓の鼓動を落ち着ける。


 けど、歌うパートが近づいてくると、心臓の鼓動がふたたび跳ね上がった。


 いやだよ。

 怖いよ。


 子どものころに感じた恐怖が、絶望が、そっくりそのまま現在によみがえる。


「――――ごっ、ごめんひばりちゃん、ほんとにタンマ」


 ひばりちゃんが曲の再生を止めた。


 まるで過去に戻ったような気分だった。音楽室での記憶が目の前に蘇る。高校生になっても歌うことができない私を、かつての同級生たちがケラケラと笑う。


 私は……わたしは…………


「おいスピカ、ほんとに大丈夫か?」


 ひばりちゃんの声が聞こえて、私は現実に引き戻された。ひばりちゃんが心配そうな顔で私を覗きこむ。


「ごめん、ひばりちゃん」


 ひばりちゃんの顔が直視できなかった。ひばりちゃんの曲を完成してみせる、プロのアイドルになってみせる、単独でのワールドツアーを成功させてみせる――――そんな大口を叩きながら、逢坂秋穂ひとりの前で校歌を歌うこともできなければ、親友が想いをこめて作った曲を歌うこともできない。


 どうして私はこうなんだろう? 情けない自分がイヤでイヤで仕方がなかった。思わず拳を青白くなるほど握りしめる。


「ごめんね…………こんなのじゃダメだよね…………私、アイドルにならなきゃいけないのに…………」


 一万時間のボイトレ?

 そんなの、人前で歌えなきゃ意味がない。


 ほんとに…………どうして私はこんなに弱い?

 

「おい、スピカ。あまり思いつめるなよ。別に何回やり直したって構わないからさ、お前の準備ができるまで時間をかけたらいい」


 ひばりちゃんが優しい声で言った。

 思わずひばりちゃんの顔を見つめる。


「でも、そんなことしたら迷惑が…………」


「家に来てる時点でくそ迷惑だから気にすんな。それより、アイドルになるんだろ? だったらボクひとりの前でくらい、歌えるようになれよ。歌えるまで付き合ってやるからさ」


「ひばりちゃん…………」


 なんだか趣旨が変わってきてるけど、それでもひばりちゃんの言葉は嬉しかった。


「…………ひばりちゃん、本当にいつもありがとう」


「急に改まるなよ…………それより早く練習しようぜ」


「うん!」


 とはいえ、闇雲にやってもできる気はしない。

 なにか打開策を求めて、ひばりちゃんに尋ねる。


「ねえ、ひばりちゃん。どうやったら人前でも歌えるようになるのかな?」


「ボクは緊張したことがないから分からない」


「そう……だよね」


 ひばりちゃんは昔からそうだった。授業中に先生に当てられてもオドオドすることなく、人前での発表のときも堂々としている。


 ひばりちゃんは私を何度も助けてくれた。


 いじめっ子から守ってくれた。

 歌のテストで一緒に歌ってくれた。

 自由研究の発表も共同でやってくれた。


 ひばりちゃんは、昔から私を何度も…………


 そのとき、ふとあることを思いつく。


「ねえひばりちゃん、もし私が緊張して歌えなかったり、曲を何度も止めたりしたらどう思う?」


「別にどうも思わないぞ。お前が緊張するのは知ってるからな」


「そっか…………そうだよね」


 ひばりちゃんは私が人前で歌えないのを知ってる。だから私が失敗しても、笑ったりはしないだろう。


 そうだ…………私はなにを怯えていたんだ?


 ひばりちゃんの前なら何回だって失敗してもいい。だってひばりちゃんは、ほんとは私がどんな人間かを知ってるから。


 ひばりちゃんは、私の外見を見て寄ってきて、私に失望して去っていくような人とは違う。私の内面を知っているのに、それでも私に付き合ってくれている。


 ひばりちゃんの前なら、失敗しても大丈夫。


 …………それに、よく考えたらこれは本番じゃない。だから私の好きなタイミングで始めたらいいし、曲を止めたかったら止めてもいいんだ。


 そう考えると、だんだん心が楽になってくる。

 今ならやれそうだ、という根拠のない自信があふれてきた。


「ありがとうひばりちゃん、三度目の正直です。もう一回お願いします」


 そう言って、ひばりちゃんに曲を流してもらう。


 いくぞ、私。


 マイク代わりの筆箱をしっかりと握りしめた。

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