第8話 アイドルは生き物よ

「私の母は七年前に死にました。私が殺してしまったんです」


 私がそう言うと、逢坂秋穂がピクリと眉を吊り上げた。


「あなたが…………あなたの母親を殺した?」


「もちろん、私が直接殺したわけではありません。でも、私のせいで母は…………」


 七年前、病室で母の手を握って交わした約束を思い出す。


『おかあさん、わたしアイドルになるよ! おかあさんみたいなアイドルになって、おかあさんのかわりにワールドツアーを成功させるの!』


 涙をこらえて明るい声で言った。冷たくなった母の手を握って、母が目を覚ますよう必死に呼びかける。


 あのときから気持ちは変わっていない。

 私は母の夢をこの手で叶えてみせる。


 それが、に対する、せいいっぱいの恩返しだから。


「…………私は母と約束したんです。アイドルになって全世界でワールドツアーをすると。だからアイドル部を作ってリミットレスで優勝を目指したいんです」


 そう言って逢坂秋穂に頭を下げた。

 

「どうかお願いします。私のアイドル部設立を認めてください」


 逢坂秋穂は腕を組んだまま不機嫌そうに私を見つめ続ける。


「家族のことを話せば私が同情すると思った?」


「そんなつもりはありません。ただ――――この通りです」


 誠意を見せようとひたすら頭を下げる。

 

 逢坂秋穂はなにも答なかった。


 そのとき、

 

「逢坂先輩、わたしからもお願いします」


 生徒会室の扉がガチャリと開いて、部屋に誰かが入ってきた。


 ふんわりとした雰囲気の美少女。

 大阪からきた大阪夏美ちゃんだ。


 ――――って、なんで夏美ちゃんがここに?


 いきなりの登場に驚いた。けど私以上に驚いたのが逢坂秋穂だった。逢坂秋穂がなぜか動揺した様子で夏美ちゃんに問いかける。


「…………なっ、夏美? どうしてあなたがここにいるの?」


 夏美ちゃんが私のとなりに立って頭を下げる。

 

「わたしからもお願いします、逢坂先輩。スピカちゃんのアイドル部設立を認めてあげてください」


「なんであなたにそんなこと…………」


「お願いします、逢坂先輩」


 夏美ちゃんが有無を言わさぬ口調で言った。

 二人がしばらくのあいだ見つめ合う。


 やがて…………折れたのは逢坂秋穂の方だった。


 彼女が渋々といった様子でうなずく。

 

「…………あなたが言うなら、分かったよ」


 夏美ちゃんが私にガッツポーズする。  

 えっ、この二人ってどういう関係なの……?


「冬空スピカ、あなたにひとつ質問がある。…………10235人、この数字がなにを意味するかあなたに分かるかしら?」


「分かりません、なんの数字ですか?」


「昨年度の文部科学省の調査によって分かった、アイドル活動に取り組んでいる女子高生の総数よ。リミットレスでの優勝は、その一万人の頂点に立つことを意味するわ」


 一万人の頂点に立つ…………理解していたつもりだった。けど、具体的な数を聞かされたのは初めてで、思わずごくりとツバを飲みこむ。


「あなたの容姿が優れてるのは認める。そして、緊張も治したと仮定しましょう。でも、それだけじゃ一万人の頂点に立つことはできないの。歌唱力、ダンス、あるいは存在感。どれか一点でも、他者より抜きん出たものを持つ必要がある。リミットレス優勝を語るくらいなら、なにかしらはあるのでしょうね? そうでなければ、部設立を認めることはできないわ」


 逢坂秋穂が鋭い目で私を見つめる。


 一万人のライバルに負けない私だけの武器――――心当たりはあった。


「私は…………歌がうまいです」


 私がそう言うと、逢坂秋穂が思いきり吹き出した。


「歌? 歌ですって⁉︎ 私ひとりの前で校歌すら歌えなかったあなたが? 面白い冗談ね」


「冗談じゃありません、本気です」


 私はボイトレを10000時間やった。

 だから私は歌がうまい。


 それだけは断言できる。


「…………不快だわ、その態度」


 逢坂秋穂がキッと私をにらみつけた。私の発言が本気なのか虚勢なのか見抜こうとするみたいに、私の顔を上から下まで凝視する。


 嘘は見て取れなかったのだろう、やがて逢坂秋穂は渋々というように言った。


「まあいいわ。土壇場どたんばでハッタリを利かす度胸だけは認めてあげる」


「度胸だけでなく、私のアイドル部設立も認めてくれますか?」


「…………そもそもね、今のあなたはまだ部を申請する段階にないの。まずは人数を集めて、それから生徒会に申請するという流れだから」


「そう……だったんですか」


「だから、まずは人数を集めてきなさい。話はそれからよ」


 思わず逢坂秋穂の顔をじっと見つめる。


「集めたら認めてくださるんですか?」


 私が尋ねると、逢坂秋穂が渋々といったふうに答えた。


「…………考えてあげてもいいわ」


「そう……ですか」


 私はもういちど逢坂秋穂に頭を下げた。

 今度はお願いではなく感謝だ。


「逢坂秋穂さん…………あの、ありがとうございました」


 アイドル部の設立を、まだ確定じゃないとはいえ認めてくれたこと。私が人前で歌えないという弱点を教えてくれたこと。どちらも感謝すべきことだと思った。


 私がお礼を言うと、逢坂秋穂は親の仇でも見るような目でこちらをにらんだ。


「勘違いしないで。私はあなたがアイドルとして大成できるとは微塵も思ってない。私はただ、生徒会長として最低限の説明をする義務を果たしただけ」


 結局、きらわれたままということか。


 この人と和解できなかったのは残念だ。

 けど、私にはどうすることもできない。


 もうここには用はないだろう。

 この場から立ち去ろうとする。


 すると逢坂秋穂が言った。


「冬空スピカさん、あなたにひとつだけ忠告してあげる――――」


 逢坂秋穂の冷酷な瞳が私を見つめる。


「アイドルは生き物よ。人を喰い殺そうとする猛獣よ。恐怖して背を向けた者や、絶望して立ち止まった者にアイドルは容赦ない」


 ――――かつての私にそうであったようにね、と逢坂秋穂がつぶやいた。


「生半可な気持ちでアイドルに挑めば、あなた自身が返り討ちにあうわ。大勢の前で喰われたくなければ、せいぜい気をつけることね」


 アイドルをやれば、大勢の前で恥をかくぞと言いたいのだろう。


 でも、そんなこと構うものか。


 私は…………アイドルにならなきゃダメなんだ。

 母さんの夢を叶えたいから。


 だから――――

 

「私は死んでもアイドルになります。四肢を食いちぎられても、五臓六腑を引きずり出されても、私は絶対にアイドルになってみせます」


 そんなことを言って、生徒会室を後にした。



「やったねスピカちゃん。これでアイドル部が作れるね!」


 生徒会室を出て、夏美ちゃんが嬉しそうに飛び跳ねて言った。


「うん……ありがとう。夏美ちゃんのおかげで助かったよ」


 私がそう言うと、夏美ちゃんがうんうんとうなずく。


「でも、夏美ちゃんがなんでここに? とういうかあの人との関係は?」


 私がそう尋ねると、夏美ちゃんがギクッという表情を浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る