第1章 アイドル部はじめました!

第1話 私には目標があります その1

 高校の入学式の朝。

 鏡で最終チェックをする。


 新品の制服を着た自分がこちらを見つめた。


 長い金髪の女の子。

 年は十五歳。


 目は大きくて、ぱっちりとした二重まぶた。

 瞳は青く、肌は透き通るように白い。


 イギリスと日本のハーフで、名前を冬空ふゆそらスピカという。


 スピカというと変な名前だが、それでも気に入っている。


 両親が私にのこしてくれた大切な名前だから。

 

 ……………………。


 鏡に映った自分の姿をじっと見つめる。

 うん、準備オーケーだ。 


「…………行ってくるね、父さん、母さん」


 机の上の両親の写真に話しかけた。

 返事はない。


 写真に向かって笑いかける。


 …………見守っててね。私、頑張るから。


 カバンを片手に家を飛び出した。



 新入生たちに囲まれながら、新入生代表のあいさつの台本を必死に読み返す。私はこれからみんなの前で目標を宣言しなければならない。


(私には目標があります。私はこの学校でアイドル部に入って――――)


「次は新入生代表のあいさつです。冬空ふゆそらスピカさん、お願いします」


 司会の人に名前を呼ばれて立ち上がった。台本を握りしめ、なるべく堂々とした足取りでステージに向かう。


 私が照明の下に出ると、みんながハッと息を呑むのが聞こえた。周囲の女の子たちが私を見てひそひそと囁きあう。


「見てあの子、金髪だよ」

「すごっ、かわいすぎ」

「イギリス人のハーフなんだって」


 オォウ…………サンキューデース。


 私の容姿は日本ではよく目立つ。

 注目を浴びるのは昔からのことだった。


 今はただ目立っているだけだが、昔はそれでイヤな思いをしたこともある。


『やーい、外国人おんな』

『泣き虫スピカ』

『日本語しゃべれますかー?』


 かつての同級生たちの声が聞こえてくる。


 小学生のころ、私は容姿が原因でみんなにいじめられていた。そのせいもあって、人前に出るのが今でも苦手だった。


 マイクの前に立って、ステージの中央から講堂を見わたす。


 目、目、目。

 みんなが私を見ている。


 背中から冷や汗が出て、胸の奥底から吐き気がこみあげてきた。首を振って過去の幻想を追い払う。あのときの私とは違う、自分にそう言って聞かせる。


 そう、あのときの私とは違うのだ。


 コミュ障は克服した。

 ハーフである自分の容姿も好きになれた。


 そしてなにより、私はボイトレを一万時間やった。


 10000時間。

 秒数にすると36000000秒。


 小学三年生から始めて一万時間だ。


 おかげで私は歌がうまくなった。

 だからもっと自信を持て、と自分に言い聞かせる。


 舞台の上で深呼吸をして、新入生代表のあいさつを始めた。


「私たちは今日から百合ゆりおか高校に入学します。本日はこのような式を準備してくださり、誠にありがとうございました」


 そんな感じの文章から始めて、当たりさわりのない冒頭部分を終える。


 ここまではいい。

 本番はこれからだ。


 かーっと息を吸って、ゆっくりと長めに吐く。

 

 眠たくなるような挨拶は終わり。

 ここからは本音で語る時間だ。


「突然ですが、みなさんは死にます」


 観客たちをぐるりと見回した。


「みなさんはやがて死にます。人間の人生は有限です。どんな命にも終わりがある。みなさんには、死ぬまでに達成したい目標はありますか?」


 緊張はしていた。

 心臓はバクバクいってる。


 でもそれは悪いことじゃない。心臓が血液をめぐらせて、このスピーチを乗り越えようとしてるんだ。

 

「私、冬空スピカには目標があります」


 そう言って、いったんひと呼吸。


 台本をくしゃくしゃに丸めてポケットにつっこんだ。もう台本はいらない。言うべきことは心の中にある。


 ふーっと息を吸いこんだ。

 よし、大丈夫。今ならいける。


「私は――――」 


 目標を言おうとした、そのときだった。


 胸の中に疑念が生まれる。


 ほんとにこんなことを言うのか? 

 達成できる保証はないのに?


 疑念はすぐさまふくれ上がる。


 私にできるのか? 

 達成できるのか? 


 こんなことを言って、できなかったらどうする? 失敗したら一生みんなの笑いものだぞ?


 ごくり、とツバを飲みこもうとした。飲みこもうとして、口の中がカラカラになってることに気づく。


 手が震えて足も震えだした。

 

 それでも必死に言葉を出そうとして、


「…………わたっ、私は――――ひゃっ⁉」


 マイクがハウリングを起こして、キーンという耳障みみざわりな音が講堂に響いた。


 みんなが顔をしかめて耳をふさいだ。私も驚いて、手からマイクを落としてしまう。ゴトっというまぬけな音がスピーカーから響いた。


 なにをやってるんだ、と自分でも思った。新入生代表でこんなにテンパってるやつ、私以外にいないだろう。


 ――――今ならまだ引き返せる。こんなことする必要はない。別に目標の宣言などしなくても、ひっそりと挑戦することは可能だ。


 そんな声が聞こえてくる。

 でも、それじゃダメなんだ。


 七年前に母と交わした約束を思い出す。


『おかあさん、わたしアイドルになるよ! おかあさんみたいなアイドルになって、おかあさんのかわりに――――――を成功させる!』


 病院のベッドに横たわる母に、私はなるべく明るい声で言った。力なく脱力した母の手を握って、母が目を覚ますよう必死に呼びかける。


『それでね、そのときはわたし、おかあさんをゲストとして呼ぶの。わたしとおかあさんで一緒に歌えるんだよ? きっと楽しいよ! だからそれまでは死んじゃイヤだよ…………っ……死なないでよっ、おかあさん…………』


 母が目を覚ますことはなかった。


 それでも、私はこの目標を達成すると決めた。


 けど、私の目標はあまりにも大きい。

 一万時間努力しても、達成できるか分からないほどに。

 

 だからこそ、今日ここで目標を宣言すると決めた。

 

 みんなの前で宣言して、退路を断ち切ってしまう必要がある。失敗しても、挫折ざせつしても、そこから立ち上がれるように。

 

 だから私は、こうするって決めたんだ。


しゃがみこんでマイクを拾いあげた。観客席をぐるりと見渡す。こちらを見つめる無数の視線を正面から受け止める。


「私には……っ、死ぬまでに達成しなければならない目標があります」


 声が小刻みに震えるのを自覚しながら、ひと言ずつ言葉をつむいでゆく。


 私の目標。

 

 それは――――


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