閉蔵(さくら)

Task111

第1話

 何か、世界の美しさに気づいたように、彼女は掃除を始める。

 それは、彼女がいつもの黒革の椅子に腰を掛けて本を読んでいる時などに、ふと読んでいる本から目を離し、物思いにふけるように机の一点を見つめたかと思えば――見つめていた箇所を不意に指でなぞり、その指を顔の前に持ってきて数秒間凝視する――そして、指にホコリなどが何も付着していないのを確認してから――彼女は掃除を始める。そのように、本当に美しさを入念に確認してから、彼女の掃除は始まる。

 彼女の掃除は、まずその机を拭くことから始まる。机と聞いて思いつく限りの場所、机の上を、裏を、引き出しを、足を、普段は引き出しが収まっているその中を、更には引き出しの鍵穴や、足の裏などをも彼女は何か儀式がかったような挙動で拭いていく。

 長いこと机を掃除しているな、と思って少し目を離していると、気づけば彼女は拭き掃除の範囲をそのまま拡大し、知らぬ間に床全体の拭き掃除を始めている。机から床へのトランジションがあまりに自然なため、既に蔵全体の掃除が始まっているなど、誰にも予想はつかない。宇宙の広がりをも感じさせる。

 掃除がいつのまにか僕の座っているソファーにまで侵食してくると、僕と相席しているテディベアが日向に引っ張り出されたり、ソファーを叩いてみたり、拭いてみたり、時には掃除機がかけられたりする。僕はどかない。

 掃除も全盛期に差し掛かると、蔵の二階から布団や本が降りてきたり上がっていったり、掃除機も各所で過度な反復運動を見せたり、時々二階からもどんどんと儀式を盛り上げる小気味の良いリズムも聞こえてきたりする。あの、どんどんという音は、何かの足の裏を拭いているのだろうか、僕は思ったりするが、彼女の掃除中は二階に行ったことがないので何もわかりはしない。

 しばらくして彼女は一階に戻ってきて、宴もたけなわといった具合に、音も立てずもう一度床の拭き掃除をする。祭りの終わりとは寂しいものだ――いや、拭き掃除はさっきやっていなかっただろうか。だったら最初の拭き掃除はいらないのでは、僕は毎回思うが、もともと儀式のようなものであるし、思えば最初からこれ以上ないくらいに綺麗だったのだから、一度目もいらないことに気づく。だから言わない。それ以前に、何も手伝ってもいない僕が何か文句めいたものを言うわけにもいかない。

 全ては手際よく五十分程度で行われ、僕の隣にテディベアが日光浴から帰って来て、彼女の掃除は終わりを告げる。

 掃除が終わると、彼女はもとの黒革の椅子に戻る。

 さっきまで読んでいた本を手に取り、何もなかったかのように再び本を読み始める。

 元通り。

 本当に何事かあったのだろうか、僕はいつも思う。

 最初からきれいだったものが、きれいなままというだけ。

 物の配置も何も変わっていない。

 しかし、やはりこれは彼女の信仰と哲学の話なので、僕には関係ないし、口を挟んだこともない。彼女の中では何かが変わっている、それだけがここでは意味のあることなのだ。

 そして、彼女はしばらくの間、世界の美しさを忘れる。


               ○


 例えば、彼女はカレンダーを捨てない。

 例えば、彼女は、毎年決まって同じ日めくりカレンダーを買ってくる。買ってきて、分厚いその束を毎日めくり、しかし、どの日もちぎり取ることは無く、一年を終える。そして、使用済みになったその束を、大晦日の夜に「ありがとうございました」と言いながら、去年に買ってきた同様のカレンダーの上に置く。

 既に十年分ほど積み上がったその日めくりカレンダーは、まるで去年とその前の年とがつながっているように、過去を絶え間ない今日へとつなげる礎であるかのように、あるいは何か過去に忘れ物をしたように、異様な存在感を放ちながら蔵の片隅に鎮座している。これには何か実は深い意味があるかというと全くなく、彼女は、というだけだ。

 彼女という人間を最も顕著に表す特性として、モノへの執着があげられる。

 モノへの執着、というか完全に性癖である。

 彼女は、ものを捨てない。捨てられない。彼女は自分のモノを捨てることができない。

 基本的に彼女の持っているもの――所有物の全ては、たとえ使用済みで、どう考えても他に使い道がなくとも、歴史的に重大な意味を持つもののように彼女に継続的に持たれている。その理由は、自分の所有物を、これ以上ないほど愛しているからである。

 今言ったカレンダーもそのように彼女の所有物の一つで、他にも例えば彼女が高校へ入学する際に購入した制服は、四つのスカートと三つのブレザーである。これが苦悶の末彼女の辿り着いた結論で、これであれば季節も計算に入れ着まわすことで三年どころか、三十年も劣化を抑えて着ることができるわ、と彼女の計算式を見てもらったこともある。しかし、疑問が湧くだろう。彼女は五十になっても高校の制服を着る気なのだろうか、と。愚問だ。着るのだ。彼女は死ぬまで高校の制服を着続けるつもりなのだ。

 すべての持ち物について、彼女はそのように考える。

 最近とみに「持たない生活」なんてことが取りざたされることもあるし、必要ないものを持たない、それには僕も彼女も人並み以上に同意することではあるのだけれど、しかし簡素に纏まっている僕の部屋と比べ、そこから生み出される結果がまるで対極になるというのが全くわからないといつも思う。

 いや、理由ははっきりしている。やはり問題は彼女がものを捨てないことで、仮に「捨てない生活」と聞いたときに、雑多で生臭いゴミ屋敷を想像するように、僕らの人生は多くのものを手放すことが前提であるということはいうまでもない。しかし、そんなことはお構いなしに、彼女は彼女のモノを持ち続ける。


                 ○


 まず、捨てない彼女のそんなモノたちをどこにとってあるかというと、これは彼女の蔵にとってある。

 彼女の蔵。

 彼女の家の広い敷地の中には、大正に建てられた酒蔵のような二階建ての蔵があり、彼女は祖父の死を機にそれを受け継ぎ、以後文字通り彼女のモノとして扱っている。

 今や彼女はその蔵を住処としており、蔵の横にはお屋敷のような立派な家があるにもかかわらず、ほとんど家には帰らず、その蔵の中で生活をしているに近い。蔵を、そしてその中にある彼女のモノを守るため、守衛のように、電気や水道等も引き、平日学校へ行っている時以外、ほとんど彼女はそこから出ることはない。

 蔵は彼女の持ち物で最大のモノであるが、その蔵の中も隅から隅まで彼女のモノで埋め尽くされている。彼女が生まれてきてから人生で使ったもの、すべてがあるのではないのかと思われるくらいで、それを聞くだけで想像するに難くない雑多具合となっている。まるでサーカス小屋の控え室のようで、人間生きてきて持ってきたものを捨てないと、このようになるのか、と見た人間に多少の驚きを与えられるだろうと思う。ちなみに先の例のカレンダーは蔵の二階の左隅、動いていない柱時計の隣に置いてあるといった具合だ。そこが使用済みの時間の置き場所なのかは分からない。

 もちろん彼女も自身の性質を知っているので、極力必要のないものを持とうとはしない。買い物も必要最小限に留めているし、必要のない物を受け取ろうともしない。贈答用のバスタオルの受け取りをあれだけ拒絶する人間は見たことがない。そんな努力の甲斐あってか、その生来の習慣をもってしても、なんとか彼女の蔵は『整頓されている』の域を多少はみでるくらいですんでいる。

 奇跡的だと思う。

 その神様のようなバランス感覚には、僕はいつだって関心を通り越して何かを思うことになる。

 前置きが長くなったが、ともかく彼女は自分のものを大切に持ち、そして捨てない。それだけわかっていただければ、彼女の世界は皆さんの中でも形を為すのではないかと思う。

 彼女の名前は、さくらと言う。

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