第4話
「じゃあ、行ってきます」
「うん。いってらっしゃい」
――カランカラン――
僕は溝口の帰りの時間に間に合うように事務所を出た。溝口のイヤホンからは相変わらず、パソコンの音しか聞こえなかった。しかし、浮気の依頼がスマホのメッセージなので、まだ油断はできない。
僕が会社のビルに着くと、すぐに溝口が出てきた。さすがは大手。ちゃんと定時に上がれるホワイトな会社だ。隣には岩下の姿がある。二人と10メートルほどの距離を保ちながら、イヤホンから流れる二人の会話に耳を傾ける。
『ほんとに家まで送んなくていいのか?』
『駅まででいいって。多分、俺の考えすぎだし』
『いやいや、家まで送るって』
先ほどとは打って変わって、岩下が心配している。いや、今はストーカー探しが先か。そう思いながら、周りに目を凝らす。しかし、どこにも怪しい人物は見当たらない。そのまま、二人はビルの最寄り駅まで行ってしまった。
『ほんとにここまででいいのか?』
『ああ、岩下は電車乗らないだろ?』
『まあ、徒歩で通える圏内に家があるから。じゃあ、ここで』
そこで前に見えるスーツを着た男性二人が手を振った。溝口が駅の改札をくぐっていく。僕はその後を追った。
電車の中でも気になることは起きずに、溝口は家の最寄り駅でおりた。溝口はそのままマンションまで寄り道せずに帰った。僕は彼の自室のドアに入っていくところまでしっかり見た。周囲に妙な動きはなかったし、帰るか、と思ったその時だった。
「あっ」
ばったり依頼人の谷口にあった。
「ふふ、どうもこんにちは。しっかり調査してくださっているみたいで安心しました」
谷口はこちらに菩薩のような笑顔を向けてくる。しかし、僕はその笑顔の中に深い闇があるような気がした。まるで、僕と同じような、普通じゃない感じ。
「調査の方はとても順調です。しかし、浮気に関わる情報はまだ何も」
僕はそう言って首を振る。
「そうですか。まあ、まだ初日ですものね。これからに期待していますよ。ではこれで失礼しますね」
しかし、谷口はここで何をしていたのだろうか? 彼氏の溝口の会うわけでもなく、小さくなっていく背中を見ながら考えていると、イヤホンから声が聞こえた。
『ああ、今日もか。一体誰なんだよ。まだこの部屋にいるのか? なあ、教えてくれよ……』
半ばあきらめたような、怒られた後の子どものような声だった。
そして、そこから、ビニール袋のような、ガサガサという音がイヤホンから聞こえてきた。この音はきっとごみ袋の音だ。そうなると、食べ物を捨てている? なんのために? どうして捨てる必要が有る?
謎は深まるばかりだった。
―――――※※※―――――
――カランカラン――
僕は事務所に帰ってきた。
「おお、お帰り」
また、丸山がニヤニヤしながら、出迎えてくる。僕はこの気持ち悪いニヤニヤ顔に少しの安心感さえ覚えた。
「どうだった? ストーカーは見つかったかい?」
「いいえ。それらしい人物を見つかりませんでした」
「……そうか」
丸山は入り口から一番遠くの机に座って、スマホを見ている。
「丸山は、」
「丸山さん、な‼」
「丸山さんは、家に帰って、一番にする行動がご飯を捨てることなのは、なぜだと思いますか?」
「……何言ってる?」
丸山は不思議なものを見るような目で僕に視線を向けてきた。
「いや、少し気になることがあって、溝口さん、調査対象が今朝出したごみ袋の中には大量の食品が捨ててありました。そして今日、彼が仕事から帰って一番にした行動は何かをごみ袋に入れること、だったんです。その時に『今日もか』って言っていたんで、きっと食品を捨てたんだと思うんです。それがなぜなのか、わからなくて」
「外食してきたんじゃないの?」
「いえ、僕が見たり、聞いたりしていた限りでは昼から何も食べていないはずなんで
す」
「うーん、理由は見当がつかないな」
「そうなんですよね。まだわかんないことばかりで……」
どうにも腑に落ちない。それから、マンションにいた谷口。彼女も何しに来ていたのだろうか。谷口がストーカー? いやわざわざ彼女がストーカーする理由がない。そうなるとストーカーの正体もまだつかめていない。謎が多すぎる。
「悩んでいるとこ悪いんだけど、今日依頼に来た人は居なかったよ。あーあと、明日は俺警察の仕事あるから、こっちには来れないわ」
「わかりました。一日ありがとうございました」
明日は探偵事務所を閉めておくしかないな。調査の方進めるには致し方ない。
「俺は明日仕事だし、ここらで帰らせてもらうよ」
そう言って丸山はスマホをポケットにしまい、入り口の方に歩いていく。
「また、何かあったら声をかけてくれ」
「そうします。またよろしくお願いします」
――カランカラン――
そう言い残して丸山は出て行った。
今日の謎は三つ。
ごみの食品・マンションにいた谷口・ストーカーの正体これらを中心に明日は動く。そしてできることなら、溝口のスマホの中身を見る。
僕はそんなことを考えていた。明日、あんなことが起こるとは知らないまま。
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