第2話
瑞姫はいつものパジャマ姿でリビングにいた。瑞姫は葬儀には出席しなかった。本人が頑として出たがらなかったし、聡貴も初めから出席させるつもりはなかった。
「ただいま」
瑞姫はソファに座ってテレビのついていない目の前の壁をじっと見つめている。恨んでいたとはいえ、両親の死に思うところがあるのだろう。
「終わったよ」
聡貴はジャケットを脱いでソファにかけ、シャツの首元のボタンを外して座った。瑞姫はまだ、正面の壁を食い入るように見つめている。その横顔からは何を考えているか読み取れない。
「まさかこんなことになるとは思わなかったよ」
瑞姫の返事はなかった。これはいつものことだが、今日はいつも以上に気まずい。どうしようか思案していると、瑞姫の方から話し始めた。
「私も行けば良かったかな」
聡貴にとってその言葉は予想外だった。顔すら見たくないのかと思っていた。たとえどれだけ非道な仕打ちを受けようが、瑞姫の中で親は親のままなのだろうか。そう思うと、元は心根の優しい子なのにと、やるせない気持ちが込み上げてくる。
「勘違いしてるでしょ」
「ん?」
瑞姫は長い髪を指でいじりながら言った。
「行けば良かったって言ったのは、あいつらがどんな顔して死んでったのか見とけば良かったって意味。あいつらが親だとかこれっぽっちも思ってないから」
「──そりゃあ、そうだよな」
聡貴はそれを聞いてもっとやるせない気持ちで一杯になった。親が死してなお、これだけの恨みを持ち続けている。そうしてしまったのは、他ならぬ両親のせいでもあり、自分自身のせいでもある。諭す権利なんてない。しかし、それでも、さよならの一言くらいは言ってもいいのではないか。
「せめて、墓に行かないか」
瑞姫は手を止め、髪の隙間から睨む。聡貴は慌てて二の句を継ぐ。
「手を合わせなくても良いし、線香もあげる必要はないよ。ただ行って見るだけでもいい」
瑞姫は少しの間視線を漂わせ、髪いじりを再開した。
「それ意味あんの?」
「ないと言えばないけど。一応」
「あんたもそういうこと言うんだね。人工知能の開発者なら、もっと合理的にものを考えてると思ってた」
手痛い反撃だった。聡貴はあからさまに面食らった表情をして、頭を掻く。
「でも、ある種、区切りにはなるとは思うんだ。これまで散々苦しめられてきた分、これから再出発する意気込みにもなるかもしれないし、気持ちの整理もつくかもと思って……」
瑞姫は「はあっ?」とでも言いたげに首を傾げ、口を開ける。
「だからさ、私にとっては意味ないって言ってんだよ。気持ちの整理? そんなもん小学生のときからとっくについてるよ。あいつらは親でも何でも無い。あいつらからしても私は娘でも何でも無い。ただ、血が繋がってただけで親子じゃない。それに、その繋がりはあいつらの方から切ってきたんだ。何でこっちから許すようなことしなきゃなんねえの」
「許さなくていい。ただ行って、これまで縛られてきた人生に一区切りを──」
「だから、私は縛られてなんかなかった! 私は私の望む、私の人生を歩んできた。勝手に哀れんで、私の人生が悲しい物だって決めつけんなよ。私が望んでなかったって、決めつけんなよ……」
「それは……、でも……」
聡貴は瑞姫の目を見返せなかった。その言葉が虚栄だと分かっている。ずっと引きこもって生きていくことを望んでいた訳がない。ただ、真実を否定し、壁のように積み重ねてきた嘘を引き剥がすことほど残酷なことはない。
「あんたはいいよね。ずっと両親から目をかけられてて。神童ってずっともてはやされて。こうなったのも、あんたのせいだよ。あんたが先に生まれてたせいで、普通の私が出来損ないになった」
「瑞姫、それは──」
「でも良かったー。そのおかげで、あいつらに道具として使われずに済んだから。あんたは、あいつらにとって見栄を張るためだけのブランド品に過ぎなかった。そのブランド品があまりに高級だったから、自分たちまで素晴らしい人間なんだと勘違いしちゃったのね。てっことはやっぱりあんたのせいじゃん。あんたがあいつらをつけあがらせた。そのせいで今の私がある。感謝しないと」
聡貴は拳を振るわせた。その物言いに怒りが湧いてくる。
道具? ブランド品? 違う、僕は僕のために努力してきた。両親のためじゃない。世界を変えるために尽力してきた。僕のせいなわけない。僕は何もしていない。
「お前をあの両親の元から連れ出してやったのは誰だと思ってる? ここに住まわせてやってるのは誰だと思ってる? 1人じゃ何もできないくせに偉そうな事ばっか言いやがって──」
聡貴ははっと気づいて口を塞いだ。謝罪の言葉を口にしようとしたが、もう遅かった。
「なによ。ずっと私のことなんか見てくれなかったくせに、今更兄貴顔して。あんたも同じよ。あいつらと何も変わらない」
「瑞姫、ごめん。だから兄ちゃん反省して──」
聡貴は瑞姫の肩に触れようとする。しかし、思い切りその手を弾かれてしまう。
「触らないで。クズがうつる」
瑞姫が部屋へ戻った後も、聡貴はその場から動けなかった。前に出した手は、そっと妹の残り香を掴んでいる。
聡貴はその日初めて涙を流した。
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