二章 メッセージ
第1話
聡貴はネクタイをほどいた。首と肩が圧迫感から解放される。
実家のタワマンの下。二重扉のエントランス前。街灯の列が煌々と辺りを照らす。聡貴は葬儀後で真っ黒な喪服のスーツを着ている。ジャケットの前は開けられて熱風にたなびき、胸ポケットからは適当に突っ込まれた白いマスクがチーフのように覗いている。
聡貴はタワマンを見上げる。不定期な四角い光の羅列が空高く続いている。22階のあの角部屋は暗いまま。
両親が亡くなったにも関わらず聡貴に悲しみは無かった。葬儀中、涙を流すことも無ければ、泣きそうなることも無かった。この熱帯夜の中、清々しささえ覚えている。
「全部、終わった」
縛る物はもうない。
そう感じると同時に皮肉だと思う。散々子どもたちを都合の良いように縛り付けていた両親の最後が、自ら首を絞めて終わるとは……。
「何で自殺なんてしたんだろうな」
葬儀が終わった今も、その疑問だけがしつこく絡みついてくる。考えるだけ無駄だと分かっていながら、ここにいれば何か分かるかもしれないという気がした。
あの両親のことだ、幽霊として出てきてもおかしくない。
そんなことを考えていると、突然背後から話しかけられた。まさか本当に化けて出たのかと一瞬驚いたが、マスクを取って顔を見せてくれると、生前母とよく一緒にいたママ友の1人の高杉さんだと分かった。50代のはずだが童顔で化粧も薄く、若く見える。肩には手提げ鞄がかけられていた。確か高杉さんは、低層階だという理由でママ友たちにこき使われていた記憶がある。そんな人と顔をつきあわせるのは気まずく、とても申し訳ない。
「ご両親のこと、お聞きました。あんなことになるなんてね。ご愁傷様です」
高杉さんは軽く会釈する。
「恐れ入ります。生前は母が迷惑をかけました」
「いえいえ、そんな。先輩ママとしてたくさん助けていただいて」
そう言う高杉さんの表情は引きつっていた。
「それにしても聡貴くん、立派になって。おばさんには難しいことはよく分からないけれど、応援してるわ。今は大変でしょうけど頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
高杉さんは聡貴の腕に触れ、その顔を感慨深そうに眺める。
「あの……、1つ聞いてもいいですか?」
「ええ、なんでも聞いて」
「ここ最近の両親の様子、知ってたりしませんか?」
聡貴はどうしても両親の自殺の真相が気になった。高杉さんは、言いづらそうに顔を伏せる。この反応は何か知ってるなとすぐに分かった。
「やっぱり聡貴くんも、そんなわけないって思ってるわよね。私にも、とても自殺するような人には思えなかった」
「ええ、自殺とはほど遠い人たちでしたから」
高杉さんは小さくコクコクと頷く。その仕草がまさに、母親のこれまでの周囲に対する態度を如実に表わしていた。
「変わった様子があったんですね?」
「ありました。でも、ごめんなさいね。今、ここで噂話が広がってるの。もう何が正しい情報かは分からないんだけど……」
高杉さんはそう前置きして話し始めた。
ことが始まったのは先週の水曜日からだったと言う。いつもなら、母親はママ友どうしのお茶会に集合時間前にやってきていたそうだが、その日は遅れてやってきた。高杉さんの印象では普段のような余裕のある立ち振る舞いはなく、どこか焦っているようにも、怯えているようにも見えた。高杉さんはその日以来会っていないようだが、他の人の話によると、日に日に痩せ細り、神経質そうに周囲を窺っていたという。出会っても会話はおろか、挨拶もままならない様子だった。父親を見かけた人は誰もおらず、会社にも行っていないようだった。そのため、母親が父親を殺したのではともっぱらの噂だったという。
日曜日のお茶会にも顔を見せず、ママ友たちで部屋まで行ったが、誰も出てこなかった。配達された荷物が部屋の扉の前に置かれたままになっていたので、どこかに出かけているのだろうということになって、その日は解散した。その後、気になったママ友の1人が再び部屋を尋ねると、配達ロボットが部屋から出てくるところだった。それでも、チャイムを押しても誰かがいる気配もなく、不思議に思ってしばらく留まっていると、インターホンから母親の声で、具合が悪いとの旨が伝えられた。その声も確かに抑揚がなく、本当に具合が悪そうだったようだ。それでも、何か隠しているんじゃないかとたちまち噂は広まった。
その2日後、父親の会社から依頼された警察が訪れ、両親の遺体が見つかったという。
聡貴はお礼を伝えて、実家を後にした。高杉さんの話を聞いた後でも、結局両親の自殺の真相は全く見えてこなかった。何かがあったことは事実だろうが、その現場である部屋の中にも証拠になるようなものは一切残されていなかった。手がないというわけではなかった。今時の家電の中にはカメラが内蔵されていて、その記録がイザナミの内部に保存されている。だが、映像という形式では残らない。ただ人間の行動記録のデータとしてしか残されていない。聞こうと思えば聞けるだろう。だが、それは完全な規約違反だ。イザナミにも禁止事項として第三者に漏らさぬよう固く守らせている。たとえ、開発者といえども無理な話だし、そうまでして知りたいことでもない。
聡貴は探偵心を押し込んで諦めることにした。そして、タワマンに永遠の別れを告げた。
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